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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.3] ■■■
[218] 泉川原の消えた乞食
泉の川とは木津川のこと。

平安京から南に下り、大和の外港に当たる木津の泉津から平城山と越えて平城京に入る道での話が収載されている。
泉津辺りは、蛇行する場所で砂洲が広がっていたと見てよかろう。
近くには日本最古級前方後円墳 椿井大塚山古墳(被葬者は泉津支配者と目される。)があり、「古事記」にも話が。異界的雰囲気の地なのだろうか。・・・
四道将軍大毘古命が越の国に向かう途中、この辺りの幣羅坂[@相良木津…坂とは異界との境を意味している。]で腰裳を着た少女に遭遇したが、歌を詠んだ途端に消え失せてしまい、驚いて馬を返してこのことを奏上。
天皇は武埴安彦王の反逆を知ったのである。

なんとなく、そんな感覚が蘇ってきそうな譚がある。
  【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報)
  [巻二十#40]義紹院不知化人被返施悔語
 元興寺@奈良に、義紹院と呼ばれる止事無き学生僧がいた。
 ある冬の日のこと。
 義紹院が京都から帰る時、
 泉川原は悪風が吹き荒れ、極めて寒かった。
 夜立の杜の墓の陰に、
 腰に藁薦を巻いてうつ伏せにうつ伏せになっている法師がいた。
 死人だろうかと思いが馬を止めてよく見ると動いている様子。
 「何者だ?
  こんな所に臥せているとは。」と問うと、
 どうやら息をして
 「乞食でございます。」と。
 「寒いのでは?」と問うと、
 「凍えてかたまってしまい、
  どうなっているか分からない態でございます。」
 義紹院は極めて可哀想に思い、
 身に着けていた衣を一枚脱ぎ、馬に乗ったままで、
 乞食に投げて与えた。
 「これをあげるから着るとよい。」と言った。
 すると乞食は
 顔に打ち懸かった衣を取り、攫んで投げ返したのである。
 その衣は義紹院の顔に"フタ"と当たった。
 奇異なことと思い、「どういうことだ?」と言うと、
 乞食が言うことには
 「人に物を施す時は、
  急いで馬から下り、礼を施すべきである。
  馬に乗りながら、
  放り投げて打ち懸けるような施しなど、誰が受けとるものか。」
 言うや否や、掻き消すように失せてしまった。
 「これは只者ではない。
 化身に違いあるまい。」と考え、
 悲しくなって、急いで下馬。投げ返された衣を捧げ持ち、
 乞食の居た場所で泣く泣く礼拝したが、甲斐なしである。
 日が暮れる迄、その場所で居たものの、何の応答もない。
 馬を引いて、10町ほど歩きながら、悲しみ後悔したのである。
 その後、義紹院は他の人に
 「乞食を侮蔑してはならない。」と言っていた。


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