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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.5] ■■■
[220] 好眼鳥
👀拘拏羅とはヒマラヤ棲息の好眼鳥のこと。
花粉を主食としているように見える(実際は食虫。)、留鳥の、"眼鳥"の類ではないかと思う。結構、美しく囀る、目の周りの輪が目立つ"目白"の系統である。

そんな鳥の綽名がついている阿育[アショーカ]王の拘拏羅太子は、眼を抉ってしまうが、仏法で癒され、その聴聞者は皆随喜の涙、という主旨の譚を見ておこう。

もちろん、天竺の話だが、翻案化されており、予想以上に、本朝に大きなインパクトを与えていそう。・・・
 青江舜二郎:「日本芸能の源流」岩崎美術社 (民俗民芸双書) 1985年
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  謡曲 観世十郎元雅:「弱法師」
  説教浄瑠璃「信徳丸」
  人形浄瑠璃 菅専助・若竹笛躬:「摂州合邦辻」
      …"莠伶人吾妻雛形"(「弱法師」+「信徳丸」)+説経節「愛護若」

「今昔物語集」成立後、日本仏教は独自性を高めていくことになるが、このような動きを見る限り、心根では、インターナショナル性を重視していたと考えるべきだろう。

この話は、「阿育王経」に収載されているが、「今昔物語集」の譚では、継母を処刑することはない。もちろん「大唐西域記」の翻訳バージョンである。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#_4]拘拏羅太子抉眼依法力得眼語
 天竺の阿育王は前妃との間に
 容姿端麗、心根正直、すべての点で優れた拘拏羅太子をもうけた。
 父は溺愛。
 現妃 帝尸羅叉は継母だが、心を奪われてしまった。
 思い悩んだ末、隠れて太子に近付き抱き付こうとしたが
 太子にはその気がなく、逃げ去られてしまい、
 太子を恨んでいた。
 そこで、機会をとらえて
 「太子は私に思いを寄せていますので
  速やかに戒めて下さい。」
 と王に申し上げた。
 王は、妃の讒言と察し、
 密かに太子を呼び、悪いことが起こらないよう、
 一国を与えるからそこに住み、
 宮殿から離れるように命じた。
 その国はかなり遠い徳叉尸羅国。
 継母の恨みは晴れず、
 王を酔わせて、歯型を盗み取り、
 王の宣旨を偽造し、使者を派遣。
 「速やかに太子の両眼を抉り取って捨て、
  国外追放せよ。」と。
 確かに、王の歯型なので、
 太子は、それを見て、嘆き悲しんだものの、
 背くことは出来ないと考え、
 ただちに旃荼羅を召しその通りに。
 城内の者は皆泣いたのであった。
 そして、妻だけ連れ、宮殿を出た太子は
 あてのなき流浪の身に。
 父の王は、もちろん、この事を全く知らなかった。
 そのうち、偶然にも、太子は父の宮殿に迷い込んでしまった。
 しかし、女に手を引かれたやつれた盲人姿なので、
 誰も太子と気付かず。
 そこは象小屋だったので、その晩は、そこに泊めてもらうことに。
 夜になり、太子は琴を弾いた。
 その時、王は高楼に居り、その微かな音色を耳にしたが、
 拘拏羅太子の琴に似ているので、使いの者に確かめさせた。
 そして、すべてが判明したのである。
 王は継母の仕業とわかり、ただちに処罰を考えたが、
 太子に制止されてしまった。
 王は泣き悲しみ、
 菩提樹寺の羅漢 窶沙大羅漢は、三明六通に優れ、
 仏のようにご利益ありとされていたので、
 招請し、慈悲を以て拘拏羅太子の眼を元通りにして欲しいと誓願。
 羅漢は
 「それでは、優れた教法の十二因縁の法の説法を致しましょう。
  国中の人達に来てもらってそれを聞いて頂き、
  一人一人が貴んで流す涙を器で受け
  それを集めて太子の眼を洗えば治るでしょう。」
 と言う。
 当日は、雲の如く人々が集まり、その涙を黄金の器に入れ
 羅漢は請願を立てて眼を洗うと、眼が再生したのである。
 王は、大いに喜び、官人昇位や恩赦などを行った。
 太子の眼を抉った場所は、
 徳叉尸羅国の東南端にある山の北側だったが
 そこに高さ10丈ほどの仏塔を建立した。
 盲人は、この仏塔に祈願すると、
 目が見えるようになるとの信仰が生まれた。


⇒玄奘:「大唐西域記」@646年 巻三 叉始羅國タクシャシラ
五、南山堵波及拘浪拿太子故事

城外東南,南山之陰有堵波,高百余尺,是無憂王太子拘浪拿為繼母所誣抉目之處,無憂王所建也。盲人祈請,多有復明。
此太子正後生也,儀貌妍雅,慈仁夙著。正後終沒,繼室驕淫,縱其愚,私逼太子,太子瀝泣引責,退身謝罪。繼母見違,彌撩|怒,候王閑隙,從容言曰:
「夫叉始羅,國之要領,非親弟子,其可寄乎?今者,太子仁孝著聞,親賢之故,物議斯在。」
王惑聞説,雅ス奸謀,即命太子,而誡之曰:
「吾承余緒,垂統繼業,唯恐失墜,忝負先王。叉始羅國之襟帶,吾今命爾作鎮彼國。國事殷重,人情詭雜,無妄去就,有虧基緒。凡有召命,驗吾齒印。印在吾口,其有謬乎?」
於是太子銜命來鎮。歳月雖淹,繼室彌怒,詐發制書,紫泥封記,候王眠睡,竊齒為印,馳使而往,賜以責書。輔臣跪讀,相顧失圖。太子問曰:
「何所悲乎?」
曰:
「大王有命,書責太子,抉去兩目,逐棄山谷,任其夫妻,隨時生死。雖有此命,尚未可依。今宜得請,面縛待罪。」
太子曰:
「父而賜死,其敢辭乎?齒印為封,誠無謬矣。」
命旃荼羅抉去其眼。眼既失明,乞貸自濟,流離展轉,至父都城。其妻告曰:
「此是王城。嗟乎,饑寒良苦!昔為王子,今作乞人!願得聞知,重申先責。」
於是謀計,入王内s="unicode">廄,於夜後分,泣對清風,長嘯悲吟,箜篌鼓和。王在高樓,聞其雅唱,辭甚怨悲,怪而問曰:
「箜篌歌聲,似是吾子,今以何故而來此乎?」
即問内
「誰為歌嘯?」
遂將盲人而來對旨。王見太子,銜悲問曰:
「誰害汝身,遭此禍?愛子喪明,猶自不覺,凡百黎元,如何究察?天乎,天乎,何コ之衰!」
太子悲泣,謝而對曰:
「誠以不孝,負責於天,某年月日,忽奉慈旨,無由致辭,不敢逃責。」
其王心知繼室為不軌也,無所究察,便加刑辟。時菩提樹伽藍有瞿沙(唐言妙音。)大阿羅漢者,四辯無礙,三明具足。王將盲子,陳告其事,惟願慈悲,令得復明。時彼羅漢受王請已,即於是日宣令國人:
「吾於後日,欲説妙理,人持一器,來此聽法,以盛泣涙也。」
於是遠近相趨,士女雲集。是時阿羅漢説十二因縁,凡厥聞法,莫不悲耿,以所持器盛其瀝泣。説法既已,總收衆涙,置之金盤,而自誓曰:
「凡吾所説,諸佛至理。理若不真,説有紕繆,斯則已矣;如其不爾,願以衆涙,洗彼盲眼,眼得復明,明視如昔。」
發是語訖,持涙洗眼,眼遂復明。王乃責彼輔臣,詰諸僚佐,或黜或放,或遷或死,諸豪世祿移居雪山東北沙磧之中。


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