→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.15] ■■■ [230] 玄武妙見菩薩 道教の玄天上帝/北極鎮天真武玄天上帝が仏教に取り入れられたと考えられている。占星が絡むから儒教も知らん顔できるものではなく、おそらくゴチャゴチャ。 常識的にはその発祥は遊牧系民族の最高神であろう。天空の不動の星 北辰(北極星)や北斗七星は生きていく上で桁違いに重要な筈だから。 実際、「史記」天官書でも天帝太一神の居所とされており、要するに天帝が住む紫微宮があって、中華帝国流解釈からすれば、そこにはすべての神々を差配するための官僚機構が備わっていることになる。 その天帝の命を受けて天子の称号で地上で活動するのが皇帝ということになる。 中華思想の塊とでもいうべき菩薩であり、他の菩薩とは異質であるし、本朝は、山がちの陸上生活をする海人としての文化が色濃いから、星信仰の伝統があったとは思えない。しかし、大陸から、上流階層や高度な技術を持つ職人が難民として流入して来て、混在したので、この観念は古くから列島全体に広がっていたようである。ただ、現存する菩薩像は後世の作ばかりのようだし、玄天上帝画像を渡来させる訳にもいかぬだろうから、他の菩薩とは扱いが違っていた可能性は高かろう。 「今昔物語集」では、極めてマイナーな扱い。 もともとは欠文だったが、補遺@"鈴鹿本"が見つかったという経緯があるらしい。 【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚) ●[巻十七#48]依妙見助得被盗絹語 霊験話としては、暴風を起こしたというだけで、他とは大きく異なる特徴がある訳ではない。 紀伊安諦@有田川上流の私部寺/信部寺の前に裕福な人が住んでいた。 家の主人は、年来、妙見菩薩を深く信仰していた。 盗人に入られ、絹十匹を取られてしまったが 犯人はわからない。 妙見菩薩に心から祈るだけ。 ところが、この盗人、 この家の北方にある市場で絹を売り払っていた。 盗まれて、7日も経っていなかったが 突然、市場の庭に大風が吹き荒れ、 この絹を大空へ巻き上げてしまい、 南へ吹き飛ばしたのである。 そして、吹き落ちた先は、絹の持ち主の家。 絹の持ち主は 「これは、他のことは考えられぬ。 妙見菩薩のお助けだ。」 と言うことで、 益々、信仰を深めたのである。 場所は紀伊の有田川上流であり、熊野に向かう路すがら、と考えてよいのではないか。一歩、山谷に入れば、隔絶された桃源郷的な里も少なくなかった地域だろうから、古代からの信仰が残っていると見てよさそう。 おそらく、京の貴族の北辰信仰というよりは、この地に来た人々の玄武信仰が残っているという話だろう。 それに、熊野本宮大社には舶来と思しき古来品が残っており、本朝内の閉鎖的な奥社だった訳ではないことがわかる。 そのなかには、作成年代ははっきりしないが、玄武鏡も。上部には北斗七星が描かれており北辰信仰を示しているのは間違いない。 (南方熊楠が、この辺りの社は強引に合祀整理されてしまったと指摘しているから、この地域における現存の寺社情報を調べても意味は薄そう。尚、高野山には星供養曼荼羅図がかなりの数残されているが、いずれも、かなり後世のもののようだ。) (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |