→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.21] ■■■ [236] 山階寺涅槃会 式次第の骨格は早くから決まっていたようで、入滅の様子を観想できるように「涅槃図」を掲げた上で、最後の説法「遺教経」を読誦することになるようだ。そして、参拝者拝礼の上で散会となるようだ。 これだけだと、随分と寂しい。 現代人からすると、それよりは誕生日を祝う花まつりの方が嬉しい。仏教に心から帰依している人だと、それよりは悟りを開いた日を貴んでいそうと思ったりも。 実に面白いと思っているのは、こうした、所謂《三仏忌》について「今昔物語集」編纂者が結構無関心なこと。法会については、一通り触れておこうとの姿勢を見せていそうにも見えるのに、涅槃会しか取り上げていないのである。 _4月_8日 仏生会/灌仏会/降誕会/花まつり 12月_8日 成道会/臘八会 _2月15日 涅槃会/常楽会 【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳) ●[巻十二#_6]於山階寺行涅槃会語 山階寺の「涅槃会」は有名。 二月十五日に、一日の法会 四色の羅漢は威儀を調へ、 三部の伎楽は音を発す。 もともと、この儀式は古くから行われてはいたが、今一歩だった。 (749年開修との伝ありとか。) それを変えたのは寿広。 尾張の書生の出家者で、山階寺の僧、善殊僧正の弟子。 正教の道で修学を積み、音楽も身に付け、和尚と呼ばれるように。 そこで、涅槃会の儀式次第を整えた。 衣を揃え色衆を調へ、楽器を副へて、荘厳重厚に。 尾張の熱田明神にも聴聞してもらう。 (860年のことらしい。) (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |