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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.23] ■■■
[238] 明日香村岡寺の由緒
伝飛鳥板蓋宮東の山腹に建つ、伝創建663年の岡寺の由来譚を見ておこう。
現存建造物は江戸後期の再建だが伽藍構造が保たれている。(仁王門・三重塔・本堂・開山堂・書院)
ただ本尊の巨大塑像(4.6m)如意輪観音像は8世紀の造像のようだ。二臂であり、もともとは半跏だったと推定されており、密教的な姿ではないどころか本朝的でもない。

寺名は地名由来とされているが、要するに、草壁皇子[662-689年]の住んだ岡宮/嶋宮(蘇我馬子邸跡か。)を寺にしたことによるもの。古来の寺名は龍蓋寺で、開山僧義淵[n.a.-728年]が池に暴虐な龍を閉じ込めた伝承話から来ている。五箇龍寺として、龍聞寺、龍福寺、龍泉寺、龍象寺も創建したと言われる。
この僧は最初の僧正。法相宗では宗祖で玄ム、行基、良弁、隆尊、道鏡は弟子に当たる。
  【本朝仏法部】巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史)
  [巻十一#38]義淵僧正始造龍蓋寺語
 大和高市の天津守の郷に阿刀という夫婦がいた。
 子供ができず観音菩薩に祈願。
 ある夜柴垣の上で白帖に包まれ泣いている小児を見つける。
 香しく馥しく、端正美麗な今年生まれた男子だった。
 育てることにすると、狭い家中が芳香に包まれた。
 天智天皇はそれを聞きおよび、召し取り皇子として養育。
 後に出家して法の道を学び、剃髪し法師に。
 興福寺僧となり、703年には僧正に。
 
(平城京遷都は710年。
    藤原不比等は山階寺/厩坂寺を移転させ興福寺に。)

 住家に伽藍建造の上、如意輪観音を安置。
 これが龍蓋寺である。

義淵と共に育ったとも伝わる、早逝した草壁皇子のことには触れていないし、"龍蓋"の謂われも語らず。入唐僧でもないのに、どうして大抜擢され僧正位に就いたのかも不明瞭であり、事績記載が皆無なのも解せぬところ。
う〜む。
これは怨霊を鎮めるに効ありを示唆しているのだろうか。

それは考え過ぎか。
龍蓋寺と共に、義淵僧正が創建したのが龍門寺@吉野龍門山南斜面山腹。龍門滝の上に伽藍が建造された。神仙境的な地とされており、大伴仙・安曇仙・久米仙がいたとされている。
  [巻十一#37] □□□始建龍門寺語 (欠文)

ちなみに、五箇龍寺の他の3寺は以下の通り。

龍福寺@明日香稲渕には、竹野王在銘石造層塔@751年が現存している。寺伝の開祖はもちろん義淵僧正。飛鳥川の上流の、この地には、遣隋使小野妹子に随伴し32年後帰還した、南淵漢人請安が居住していた。(中大兄皇子と中臣鎌足の謀議に関与した可能性が高い。)

龍象寺@帯解の開基(730年)は行基とされている。広大寺池の龍神信仰。

龍泉寺@天川の開基(c.a.700年)は役小角とされている。"龍の口"泉の龍神信仰。大峰山入山の際の水行場に当たる。

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