→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.25] ■■■ [240] 信貴山縁起 伝聖徳太子創建の信貴山朝護孫子寺を再興した修行僧,命蓮[889-898年]の物語。全3巻で、12世紀後半の作と推定されている。 ○飛倉の巻/山崎長者の巻 …命蓮の鉄鉢が山麓の長者の米倉を信貴山頂に運ぶ。 [photo→(C)NDL] ○延喜加持の巻 …命蓮が剣の護法という童子を飛ばし、 信貴山に居ながら都の帝の病を癒やす。 ○尼公の巻 …弟の命蓮を尋ねて旅をしている尼公が、 東大寺大仏の夢のお告げで命蓮と再会。 なかでも、鉢が空を飛び米俵が舞い上がるシーンは圧巻。鳥獣戯画同様な描き方である。 「今昔物語集」編纂者はそういうことで選んだのかは定かではないが、この鉢飛ばしだけを末尾に取りあげている。 【本朝仏法部】巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史) ●[巻十一#36]修行僧明練始建信貴山語 僧明練は常陸出身。 諸国霊験の処々を巡礼し大和に入った。 東の高山の峰から眺望するに、 西の山の東面の小山の山頂に、 被覆するが如く五色の奇異な雲。 早速、その山麓から人跡未踏の山を目指した。 辺りは谷で囲まれていたが峯を目指した。 辺りは馥しき香が満ちていて、樹木で鬱蒼としていた。 その 山中の岩の間に石櫃があった。 中には、この世のモノとも思えぬ像。 銘があり「護世大悲多聞天」とある。 稀有な瑞相であり、 明練は、他所には行かず、ここで命を全うしようと決意。 庵を作って住することに。櫃には覆堂を。 ということで、 自然に、大和・河内や周辺の人々の信仰を集めたので 布施でお堂を建立することができた。 明練は住して行を続け、人々は、貴んで参詣。 訪れる人がいない時は、 鉢を人里に飛ばして食を得て、 瓶を川に遣り水を汲んだので、 欠乏することはなかった。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |