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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.2] ■■■
[246] 無着の神通力
「今昔物語集」では、大乗仏教の系譜が、簡単に整理されている感じがする。

こんな具合。・・・
 ○釈尊とその直弟子の時代
 ○愛育王の時代
 ○龍樹による新仏教樹立
 ○世親・無着による大乗仏教化
 ○菩提達摩の登場

   《釈尊伝灯》
 __六[_0] 釈尊[前563/480-前483/4001年]◆
 __七[_1] 大迦葉/摩訶迦葉
 __八[_2] 阿難/阿難陀
 __九[__] 末田地/摩田地[阿難 晩年の弟子]
 _十一[_3] 商那和修[阿難の弟子]
 _十_[_4] 優婆鞠多/優波崛多…愛育王[前268-前232年]◆の師
 _十二[_5] 提多迦
 _十_[_6] 彌遮迦
 _十_[_7] 婆須密多
 _十三[_8] 佛陀難提/浮陀難提
 _十四[_9] 佛陀密多/浮陀密多
 _十五[10] 脅/脇 or 波栗濕縛
 _十六[11] 富那夜奢
 _十七[12] 馬鳴 or 阿那菩提
 _十八[13] 斯匿王請羅毗摩/迦斯匿王請羅毗摩羅
 _十九[14] 那伽閼剌樹那 or 龍樹[150-250年頃]◆
 二十_[15] 迦那提婆
 二十一[16] 羅斯匿王請羅睺羅多
 二十二[17] 僧伽那提
 二十三[18] 僧伽耶舎
 二十四[19] 鳩摩羅多
 二十五[20] 闍夜多
 二十六[21] 婆修盤頭 or 世親[320-400年頃]◆・・・[世親の兄]無着
 二十七[22] 摩拏羅
 二十八[23] 鶴勒那夜奢
 二十九[24] 師子菩提
 三十_[25] 舍那婆斯/婆舍斯多
 ___[26] 不如密多
 ___[27] 般若多羅[n.a.-457年]
 三十一[__] 優婆堀
 三十二[__] 僧迦羅
 三十三[__] 須婆蜜多
 三十四[28] 南天竹國王子 第三子菩提達摩[5世紀後半-6世紀前半]◆
[「南宗頓教最上大乘摩訶般若波羅蜜經六祖惠能大師於韶州大梵寺施法壇經」
 瑩山紹瑾:「伝光録」1300年…インド28祖+中国23祖 一般には道元:「正法眼蔵」仏祖]


一般的な解説によれば、龍樹と提婆によって中観派が形成され、これが三論宗となったとされるし、無着と世親が瑜伽行唯識派を生み出したと見られている。こちらが、摂論宗@震旦、法相宗@本朝に引き継がれる訳だ。
仏教史的にはこの両者がメルクマールと言ってよさそう。

このうち、無着と世親についての「今昔物語集」の記載を見ておきたい。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#26]無着世親二菩薩伝法語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」@646年 五阿踰陀国アユダー

両者はよく知られるように兄弟である。・・・
[婆羅門階層]尸迦@ペシャーワル
長男無着/無著[310-390年頃]
│   …(大乗)唯識思想大成者(「摂大乗論」「顕揚聖教論」)
次男世親/天親[320-400年頃]
│   …説一切有部+経量部 学僧(「阿毘達磨舎論」)⇒転向
│    ⇒(大乗)瑜伽行唯識派 学僧(「唯識二十論」「唯識三十頌」「摂大乗論釈」「十地経論」)
│     浄土思想の唱導者(「浄土論」)
三男比隣持跋婆
    …[部派仏教最大学派]説一切有部 僧

話にでてくる「十地経」は大乗経典で、後世、「華厳経」十地品とに編入された。世親の註釈書がある。
仏の御弟子 賓頭盧尊者が登場するが、獅子吼第一と呼ばれた直弟子[ガンガー川流域跋蹉国出身]の系譜を引く人というより、ママということであろう。仏教が立ち上がった頃の法解釈を学んだと言っているように思える。
尚、釈尊の時代が紀元前500年頃であり、無着と世親の時代が400年代とすれば、入滅後900年の話との冒頭の記載は的確である。

 仏涅槃後900年の頃のこと。
 中天竺阿輸遮国の無着菩薩という聖人は智恵甚深、弘誓広大で、
 夜は兜率天に昇って、弥勒の御許に参上し、大乗の法を学習、
 昼は人間界の閻浮堤に下り、衆生のために法を広めていた。
 その弟は世親菩薩という聖人で北天竺丈夫国に住していた。
 智慧が広く、哀心も深かった。
 東洲から賓頭盧尊者と称する仏の御弟子がやって来て
 小乗の法を教授。
 そんなことで、世親は、長年に渡り小乗の法を好んでおり、
 大乗の法は知らないままだった。
 兄の無着菩薩は、遥か遠くに居たが、世親のこの心を知り、
 なんとしても大乗に転向させたいと思って、
 門徒の一人の弟子を世親の活動場所に派遣し
 「速やかにこちらにお出でくだされ。」
 と伝えさせた。
 世親が無着の命に従い出立しようとした夜のこと。
 無着の弟子の比丘が「十地経」と云う大乗経文を読誦した。
 その文を聞くと、はなはだ深遠。
 心で受け止めることができるほどには理解が及ばなかった。
 「我、年来、未熟のままだった。
  このような甚深の大乗を聞かないで、
  小乗を好んで学習して来た。
  にもかかわらず、大乗を誹謗した罪は無量だ。
  この誤りは、すべて舌から発生したもの。
  これこそが罪の根本であり、今、この舌を切り落とそう。」
 と考えて、鋭利な刀を取り、自分の舌を切り落とそうとした。
 その時、無着菩薩は神通力でこの様子を見ており、
 手を差し伸べ
 舌を切り落とそうとする手を捕らえて切らせなかったのである。
 両者の間の距離は、3由旬もあったが
 無着は即座に世親の傍らに来て、
 「汝が、舌を切ろうとするなど、極めて愚かな事。
  大乗の教法は真実の理だからだ。
  諸々の仏がこれを賞賛しているし、諸々の聖衆もこれを貴んでいる。
  汝に、この法を教えたいと思っている。
  速やかに、舌を切るのを止めて、これを学習すべきだ。
  舌を切ったからといって、それが悔いを表しているのではない。
  昔、舌で大乗を誹謗したなら、
  今、その同じ舌で、大乗を讃嘆せよ。」
 と伝えてから、掻き消すようにいなくなってしまった。
 世親はそれに随い歓喜。
 その後、世親は無着のもとに行って、大乗の教法を受習。
 ついには、瓶の水を移すように修得。
 兄の無着菩薩の教化の不思議である。
 世親は、それから、百余部の大乗論を作り世に広めた。
 そして、世親菩薩と名付けられ、世の中で尊崇されるように。


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