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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.5] ■■■
[249] 男児が孵る卵
🐣ヒトが卵を産む神話は少なくないが、始祖とか宇宙創成神話ならそれなりに納得できるものの、普通の夫婦生活で懐妊し卵を産むとなると、どうしてもナンダカネ感が先に立ってしまう。しかも、卵の数が半端ではなく、鳥類トーテム族の神話としても成り立ちそうにないし。(ヴィシュヌ神化身の亀をトーテムとしているというのも無理そうだ。)
そんな話を取り上げておこう。
  【天竺部】巻二天竺(釈迦の説法)
  [巻二#15]須達長者蘇曼女十卵語

出典元の漢文訳はわかりやすい。しかしながら、そのストーリーは陳腐な印象を与える。
(維基文庫版では元魏涼州沙門"慧覺"等在高昌郡譯とされている。)
  ⇒慧覺[訳]:「賢愚經」卷第十三蘇曼女十子品第五十八
如是我聞:
一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園。
爾時須達長者,末下小女,字曰蘇曼,
  面首端正,容貌最妙,其父憐愛,特於諸子,若遊行時,將共去。
於是長者,將至佛所,其女見佛,情倍欣踊,願得好香,塗佛住室。
斯女手中,有賓婆菓。佛從索之,奉教便與。
佛尋於上,書香種稷,還以與之。
女共其父,還歸城裏,便行推買種種妙香,如佛所須,持詣祇,躬自擣磨,日日如是。・・・

 舎衛国の須達長者の末娘蘇曼は並ぶ者無いほどの美人。
 父親は大層可愛がり、出かける時も連れて行き離さない
 ある時、祇園精舎参詣。
 蘇曼は仏
[=釈迦]を見奉り感激し、
 様々な香を買い仏のお部屋に塗塗った。
 丁度その頃、叉利国が亡くなり、王子が祇園精舎を参詣しており
 麗しい姿を見て、恋しくなってしまい、
 舎衛国の王のもとに参上し、
 蘇曼嬢を妻として給わりたいと申し上げた。
 王は自分で直接申し出るようにと言った。
 そこで、本国に帰って、謀略的に手に入れようと決意。
 従者達を引き連れ舎衛国にやって来て、
 蘇曼の祇園精舎参詣時を狙って拉致。
 須達長者は人を派遣したが、娘を帰そうとはせずに、
 妻にしてしまった。
 その後、懐妊。
 十個の卵を生んだ。
 そこから十人の男子が生まれたが、その姿は美しく、
 心は猛々しく力も強かった。
 十人は、仏が舎衛国にいらっしゃると聞き、
 父母にことわり、舎衛国に行くことにした。
 そして、最初に、祖父の須達長者の家を訪問すると
 長者は大いに喜び、仏のもとに連れて行った。
 十人は説法を聞き、
 皆、須陀を得た。
 阿難はこれを見て、仏に尋ねた。
 「この比丘は、前世でいかなる善根を積んで、
  富貴の家に生まれ容姿端麗なのでしょうか?。
  それに、どうして、出家してすぐに
  須陀を得ることが出来たのでしょうか?」と。
 仏は阿難にお答えになった。
 「遥かに遡る過去世の九十一劫、
  毘婆尸仏の涅槃後、
  舎利を分配し無数の塔を建立。
  その時、崩壊した塔を老母が修理しようとした。
  たまたま十人の少年が通り、一緒に修理に当たった。
  そこで、"来世、母子・兄弟に転生させて下さい。"
  と祈願した。 その老母が蘇曼で、少年十人が今の十人。
  過去世、仏道を歩み、その請願によって、
  九十一劫の間、悪道に堕ちず、
  天上・人中に生まれ、常に富貴で幸せを受けたのである。
  そして、三つの報を得た。
    姿が美しい。
    人に愛される。
    長生きする。
  さらに、今、私と出会い、出家し 仏道を得たのだ。」と。
 塔の修理の功徳は大きいのである。

珍しく、末尾ご教訓部分が引用。
大衆部の戒律書「僧祇律/摩訶僧祇律」から。白馬寺に持ち込まれて漢訳されたという。
   百千の金を擔ひ持て、布施を行ぜむよりは、
   如じ、一団の泥を以て、心を至して
     仏塔を修治すべし。

 
同じ巻にもう一つ卵生譚がある。出典は同じ。
  [巻二#30]波斯匿王殺舎離卅二子語
  ⇒慧覺[訳]:「賢愚經」卷第七梨耆彌七子品第三十二

こちらは、題だけの欠文だったが、補遺で充当された。
釈尊の時代の話で、登場人物のプロフィールが一般的なものとは違っており、それが削除の理由かも。
一般にはこんな具合。・・・
○波斯匿王/Prasenajitは釈迦族を属国としていた拘薩羅国/薩羅國[首都:ガンジス川中流北岸の舎衛城]の国王であり、釈尊と同日出生とも。釈尊教団の檀越である。妃として、勝鬘が知られるが、第一妃ではないようだ。
○毘舎/Visākhāは鴦伽国のMendaka長者の娘で、舎衛城のMigāraの子Punnavaddhanaに嫁いだとの伝がある。鹿という名の子の母とされている。
 舎衛国の長者 梨耆弥に子供が7人おり、
 その第七子は娘の舎離。賢く智力もあった。
 そこで、波斯匿王は后として迎えた。懐妊し、32個の卵を産み、
 それぞれから、立派な千人力の男子が生まれた。
 皆成長して結婚。
  :
 (略)
  :
 輔相の大臣が32人は謀反人と讒言。
 父王はそれを信じ皆殺し。
 その首は篋に入れられて封がされ、母離のもとへ送られた。
 供具とみて開封しようとすると、仏が制止し、無常を説法。
 舎離は阿那含果を得た。
 仏が返ってから開封して中を見てしまったが、
 愛欲の心を断っており、歎き悲む事は無く、一言のみ。。
   人生れて必ず死する事也。
   永く相副ふ事を得ず。

 一方、32人の妻と親族は歎き悲しみ、
 王を罸とうと出兵。
 恐れた王は仏のもとへ。
 そのため、祇園精舎は兵衆で囲まれてしまった。
 阿難は、仏に32人の前世の果報を尋ねると
 皆で牛を老女の家で殺したからで、
 その牛こそ波斯匿王、とのお答。
 その結果、32人の家の親族一同納得し、怨の心消失。
 王は罪を悔いた。
 阿難は、さらに舎離が道を得ることができた果報を尋ねた。
 迦葉仏の時、諸々の香を油に和し、塔に塗布した老婆だった、と。
  :


仏塔を修治すべし、との前譚のご教訓とほとんど同じパターンに落ち着く。もともと、「賢愚経」は前生譚が多く、果報の説明が華。「今昔物語集」編纂者もそこらの物語性を大いに気にいったということではなかろうか。

他の巻にも卵生譚があるので、そちらにも触れておこう。こちらの出典は「賢愚経」、ではない。前生果報スタイルとは異なる。
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#_6]般沙羅王五百卵初知父母語
  ⇒吉迦夜,曇曜[訳]:「雜寶藏經」卷一(八)
  ⇒玄奘:「大唐西域記」巻第七 吠舎釐国ヴァイシャーリー(ビハール)

 般沙羅王の后が500個の卵を産むが、
 奇異で恥ずかしいことと考え、
 箱に入れて恒伽河ガンジス川に棄ててしまう。
 これを隣国の王が遊行中に発見。拾って王宮に持ち返る。
 大事保管していると孵化し、500人の皇子誕生。
 王は喜んで養育。成長して500名の立派な兵に。
 般沙羅王の国とは敵対関係が続いていたので
 王の命令一下、皆で攻め入った。
 すると后が皆我が子であると言い
 乳を飛ばすと皆の口に入ったので
 それが真実と知り、皆、返ってしまう。
 その後両国は友好関係を保つ。


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