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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.9] ■■■
[253] 比叡山西塔相輪
比叡山西塔東谷の弥勒石仏がある香炉ヶ丘の先に、1895年に再建された青銅製九輪塔が立っている。
伝最澄820年創建の、納経"浄菩提心無垢浄光摩尼幢相輪"。(弘仁十一年歳次庚子九月中旬沙門最澄撰と記載の銘文が文書として残っている。)
宝幢院[恵亮建立]は、法華経の多宝塔/多宝如来登場の言われから建造されたものだろうが、相輪はその一部と思われる。

観光ルートには登場しそうにない場所だが、夏目漱石「虞美人草」には比叡山の最重要地との会話がでてくる。流石漱石。
相輪を見ないようじゃ叡山へ何しに登ったか分からないゾという下りだ。
  堂に法華と云い、石に仏足と云い、に相輪と云い、院に浄土と云うも、
  ただ名と年と歴史を記して吾事畢ると思うは屍を抱いて活ける人を髣髴するようなもの・・・


その話が「今昔物語集」に収載されている。
当然ながら、西方浄土ではなく、弥勒菩薩の兜率天往生の話になる。ということは、現存弥勒石仏安置の地には弥勒堂があったのだろう。もちろん、ことごとく焼かれ、仏像は破壊しつ尽くされたであろう。石造とは残った石。
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_7]比叡山西塔僧道栄語

 近江出身の僧 道栄は比叡山西塔に住していた。
 幼くして比叡山に登り、出家し法華経受持。
 日夜読誦、12年間籠って修行期間として山を出ることがなかった。
 花を摘んで、水を汲み、仏に供養し奉り、読誦の毎日。
 そして、故郷に帰ったものの、心の中では、
 「比叡山に住し、顕教・密教の立派な教えに触れたが、
  学ぶところは何もなかった。
  生をうけ、いたずらに時間が過ぎていくだけ。
  後世のために善根を積まない限り、
  今世でも来世でも、成仏できそうにない。
  法華経書写を奉ろう。」
 と考え、
 経典の一部を書写すると、5人の智僧を招いて供養し、
 経典の教義説法の後、教義問答をさせた。
 月に1〜2度、あるいは5〜6度、これを行った。
 長年、このようにして善根を修め、臨終を待っていた。
 ある時、道栄は夢を見た。
 そこは比叡山西塔の宝幢院の前庭。
 金の多宝塔が立っており、筆舌尽くし難き美しさ。
 それを見て、心をこめ、敬い礼拝。
 そこに、梵天や帝釈天に似ている、
 並の者とは思えない気高い男がおり、
 「汝は、この塔が何だか知っているか?」
 と尋ねられたので
 「存じあげません。」
 と返答。
 すると、
 「これは汝の経蔵だ。
  今すぐ、戸を開けて見よ。」と。
 言葉に従うと、
 塔の中には沢山の経巻が積まれていた。
 「汝は、この経巻を知っているか?」
 と尋ねられたので
 「存じあげません。」
 と返答。
 すると、
 「この経は汝が今生で書写したもの。
  積んで塔内を満たしたのである。
  汝は、速やかに、この塔を持ち、兜率天に転生せよ。」
 と告げられた。
 そこで夢が覚めたのである。
 その後、さらに心をこめ書写供養を続けた。
 老齢化が進み歩行困難な状態になっても続いた。
 とある縁で下野に住むことになり、そこで最期を迎えることに。
 普賢品を書写供養し奉り、その経文を読誦して息を引き取った。


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