→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.17] ■■■ [261] 興福寺僧一瞥 興福寺とは、それを官寺にするための改名であると示唆したいのだろう。実際、知識階層は山階寺と呼び続けていたようだし。 山階寺@669年藤原鎌足夫人鏡女王造営 (「今昔物語集」では鎌足が子孫の為に造営。 巻十一#21) ⇒飛鳥浄御原遷都:厩坂寺@672年 ⇒平城遷都:興福寺@710年藤原不比等造営 巻十一#14 中金堂:藤原不比等 東金堂:聖武天皇 西金堂/塔:光明皇后 北円堂:元明天皇・元正天皇 春日大社@768年創始 南円堂@813年:藤原冬嗣創建 一乗院@970年:定昭開基 大乗院@1087年:隆禅開基 興福寺は法相宗学僧の拠点とされているが、それが原点ではない訳だ。法相宗伝来系譜としては以下のようになる。 [1伝:渡唐@653年(師は玄奘)]@元興寺 道昭/道紹[629-700年]…法興寺/元興寺禅院 [2伝:渡唐@658年(師は慧沼)]@元興寺 智通…観音寺・金剛山寺建立, 智達 [3伝:渡唐@703年(師は智周)]@興福寺 智鳳, 智鸞, 智雄 新羅渡来僧 智鳳@飛鳥寺/元興寺の弟子が 義淵[643-728年]…元興寺僧 岡寺/竜蓋寺含む5ヶ龍寺創建 巻十一#38 …義淵の弟子は多数にのぼる。 "七上足":玄ム, 行基, 良弁, 隆尊, 宣教, 良敏, 行達, "三論宗"(高句麗渡来僧 慧灌@元興寺>智蔵@法隆寺>)道慈@大安寺 道鏡 [4伝:渡唐@717年(師は智周)]@興福寺 玄ム[n.a.-746年] 実際、どのように興福寺の系譜が語られていたかは、残存している僧像でわかる。 〇興福寺南円堂木造法相六祖(学僧)坐像1189年 常騰 神叡 善珠 玄ム 玄賓 行賀 (「興福寺流記」南圓堂。:"日本六人祖師木像。喜操。直齊。善珠。玄賓。常騰。行賀。") 〇法相曼荼羅図@室町期 [中_尊] 宝冠弥勒菩薩 [天竺僧] 無著菩薩 世親菩薩 護法菩薩 陳那菩薩 戒賢論師 (世親:「唯識三十頌」 護法:「成唯識論」) [震旦僧] ⓪玄奘三蔵[602-664年] ①法相宗宗祖 窺基[632-682年]@慈恩寺 ⇒本朝《慈恩会》[951年〜]…空晴 発願 ②淄州大師 慧沼[650-714年] ③濮陽大師 智周[668-723年] [本朝僧] 善殊僧正 玄賓僧都 行賀僧都 基操大徳…玄ムの代替? 信叡大徳…神叡か? 常騰僧都 真興僧都…子島僧都 ここでも、「今昔物語集」は格別な扱いをしている。 以下3名の高僧を取り上げていないのだ。 行賀[729-803年]…[2代別当]永厳の弟子 3代別当 渡唐@752年 常騰[740-815年]…[2代別当]永厳の弟子 玄賓[734-818年]…宣教の弟子 "祖"とされていないが、こちらも加えておこう。 賢憬/賢m/尾張僧都[714-793年]…宣教の弟子 ⇒弟子:[4代別当]修円/檉生禅師[771-835年]…別当@812年 "隠遁聖の祖"と呼ばれており、名前が知られている玄賓を外している点からみて、明らかに意図的であり、メッセージ性ありと見るべきだろう。知を否定する姿勢を感じ取って嫌ったか。 一方、興福寺の別当系は名刹化のための政治優先の学を追求していると見なしたのかも。学を追求している姿とは思えないというところか。 〇興福寺別当:[1@757年]慈訓[691-777年]⇒[2]永厳[n.a.]⇒[3]行賀[729-803年]⇒[4]修円[771-835年]⇒隆慧,寿朗,興昭,孝忠,房忠,仙忠,真覚,基継,平源⇒[14]空晴[878-957年] 収載されている僧はこちら。 唐僧神叡/芳野僧都[n.a.-737年]巻十一#_5…渡新羅@693年 師は義淵 隆尊[706-760年]巻十一#13…栄叡・普照を渡唐@733年させ道璿・鑑真等招請 玄ム[n.a.-746年]巻十一#_6…渡唐@717年,751年 __@維摩会巻十二#_3 寿広@涅槃会の師:善殊[723-797年]巻十二#_6…玄ムの弟子 秋篠寺開基 得一/徳一[n.a.-843年]巻十七#29…[4代別当]修円[771-835年]の弟子 清範[962-999年]巻十三#43 巻十七#38 蓮寂[n.a.]巻十三#_2 中算/仲算[n.a.-969年]巻二十八#_8 巻三十一#24 …[14代別当]空晴[878-957年]の弟子 法華経講論@963年 ⇒弟子:真興/子島僧都[953-1004年]@子嶋寺 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |