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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.25] ■■■
[269] 陀国王阿闍世
「今昔物語集」編纂者の知的水準の高さがわかるのが、摩陀国王/Magadha阿闍世に関する記述の姿勢。
  【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  [巻三#27]阿闍世王殺父王語
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#_3]國王、為盗人被盗夜光玉語
阿闍世は、仏尊に帰依していた父の頻婆娑羅王を殺して王位を継承したことで知れれているにもかかわらず、ソースによりその暦年代や前後の王朝が大きく異なるため、確定的な年代記のなかに位置付けることができない。
「今昔物語集」編纂者もそこらに悩んだに違いないが、考えてわかるようなものでもないから、ザックリと判断したのではなかろうか。
例えば、こんな具合。・・・
--- 摩陀Magadha王朝史 ---
《列国期》
  【布里哈卓瑟王朝Brihadrath王朝/Maharatha】[前566年〜]
  【普拉迪奥塔王朝/Pradyota王朝】
  【訶黎王朝/曷利昂伽/Haryanka】
┼┼(巴哈蒂亞/Bhattiya)
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┼┼頻婆娑羅/Bimbisara/影勝王[在位:前543-前492年]…王舍城建立 竹林精舎寄進
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┼┼阿闍世/Ajatashatru/未生怨王[在位:前492-前460年]…第一次結集賛助
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┼┼優陀夷/Udayin[在位:前460-前440年]…華氏城建立
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┼┼阿兔楼陀/Anuruddha
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┼┼文荼/Munda
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┼┼那伽都沙迦/Nagadasaka[在位:前437-前413年]
  【悉輸那伽王朝/Shaishunaga/幼龍王朝】…訶黎族
┼┼悉輸那伽/Shishunaga[在位:前413-前395年]…大臣によるクーデター
┼┼├○烏耳王/Kakavarna
┼┼K阿育王/Kalashoka[在位:前395-前367年]…第二次結集賛助
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┼┼難提跋達那/Nandivardhana
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┼┼摩訶難丁/Mahanandin/大難丁王[在位:n.a.-前345年]
《強国支配期》
  【難陀王朝/Nanda】
┼┼摩訶コ摩 難陀/Mahapadma Nanda…大臣によるクーデター
  【孔雀王朝/Maurya】
┼┼旃陀羅笈多一世/Chandragupt/月護王[前322-前298年]
┼┼┼ [宰相]考底利耶/Kautilya…著「政治論」
┼┼賓頭娑羅/Bindusara[在位:前297-前272年]
┼┼阿育王/Ashoka[在位:前273-前232年]…第三次結集賛助
┼┼布柯陀羅多/Brihadratha/巨車王[前187-前180年]
  【巽伽王朝/Shunga】[前185-前73年] ⇔ 南天竺【百乗王朝/Satavahana】
  【甘婆王朝/Kanva】[前28-225年] ⇔ 南天竺【安度羅王朝/Andhra】
  【笈多王朝/Gupta】[320-550年]
--- 非 中天竺国 ---
  【シンハラ族セイロン王朝】
┼┼Vattagamani-Abaya[在位:前29-前17年]…南伝第四次結集@阿盧迦寺賛助
  【貴霜帝国Kushan】…大月氏バクトリア
┼┼迦膩色伽一世/Kanishka[在位:127-151年]…北伝第四次結集@カシミール賛助

上記は、上座部系の伝承をベースにしている。第四次結集になると、セイロン系とガンダール遺跡系で完全に分裂しているから、それぞれ、異なる見方がでてくる訳だ。
その辺りを「今昔物語集」編纂者はよく見ており、巻五#3は阿闍世王だが、その前の#1-2は上座部系のメッカとなる僧伽羅国シンガラ=セイロン島の話なのだ。[玄奘:「大唐西域記」巻第十一]

言うまでもないが、大乗経典では、文殊、普賢、観音の3菩薩と、本朝では地蔵がさらに加わった衆生救済話が主体という印象を持つ訳で、上座部系との違いは歴然としているが、大乗経典でも釈尊の直弟子や初期経典に登場している在家信仰者のお話も多数収載されている。
ここらは実に悩ましいところ。
父殺しの逆罪を犯し、地獄に堕ちるしかない阿闍世王が第一次結集のパトロンだからだ。後悔し懺悔しようが、僧にはなれないのだから、上座部的には救われることなどありえない。しかし、大乗であるとどうなるのか。
この辺りはどうも曖昧な印象は否めないから、「今昔物語集」編纂者も大いに気になったに違いないのである。・・・
《阿闍世王殺父王》
 提婆達多は摩竭陀国王舎城の阿闍世王子とツーカーの側近的仲。
 そこで、頃合いを見計らって語ったのである。
 「君は、
  父の大王を亡き者にし、王位に就くべし。
  我は、
  釈尊を殺して、新たに仏の地位に着きますによって。」
 そこで、阿闍世王子は父王を幽閉し、誰も接触できぬように。
 7日で責め殺そうとの目論見。
 そこは王宮から遠く離れた場所で、七重の壁を巡らせた牢である。
 それを心から嘆き悲しんだ后は密かに先王のもとへ通った。
 そして、
(麦こがし)に和合した蘇蜜を大王の身体に塗り、
 漿が盛ってある瓔珞を奉げた。
 そのお蔭で、大王は命を繋ぐことができ、
 一代教主釈迦牟尼如来に助けを祈願。
 釈尊は、目連・富楼那を遣わしたのである。
 何時までも父王が死なないので、
 阿闍世王はその状況を知るところとなった。
 母の韋提希は悪比丘とつるんで
 父の悪王を活かしているということで
 殺戮せねばと決意。
 ところが、耆婆大臣が「陀論経
(ベーダ経典)」を言い出す。
 父を殺すことはあっても無道にも母を害する話は無い。
 よくお考えになって、お止めになった方がよい、と。
 その時、父王死去の知らせ。
 釈尊は、鳩
(拘)尸那城 抜提河の辺りにある沙羅林の中に居た。
 そこで、耆婆大臣は、
 逆罪で無間地獄に堕ちることになるので、釈尊に懺悔なさるべしと言う。


もちろん、「今昔物語集」編纂者は、とりたてて、この問題について語ろうとの姿勢を見せている訳ではないが、普通に読めば自然と疑問が浮かぶのではなかろうか。
そのレベルの感受性を持つ人々を対象にして書かれているということ。

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