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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.2] ■■■
[277] 請雨経法
この項、少々、前置き話が長いし、関係なさそうなこともダラダラ述べているが、それなくしてはたいした意味がなくなりかねないので、ご容赦頂きたい。

雨乞いは、震旦では、道士的な雨師による呪術が一般的だったと思われるが、要するに、土着信仰に支えられた専門呪術師/巫が執り行う儀式ということ。
(はるか昔は、ローカルな部族長=巫だったに違いないが。)

本朝でも似た様な形だったと見てよいだろう。巫あるいは行者が、山頂で、火を焚き、できる限り目立つことを行い、神の注意を引いた上で、降雨をお願いするのが基本形だと思う。
里社や滝壺で行われる雨乞いは、直接降雨に繋がる観念が生まれるとは思えない地であるから、渡来信仰がらみの、山頂儀式代替と思われる。

どうでもよさそうな話に映るかも知れないが、「今昔物語集」の根底に流れるインターナショナル思想からすると、空海の祈雨譚は極めて重要であることを確認するためにはこうした理解は欠かせない。

祈雨呪術の仏教スタンダード化を実現した、まさに結節点にあたるからだ。
云うまでもないが、インターナショナルな世界を志向するなら、そうあらねばならないという強い意志が存在しているということでもある。

ここらは震旦とは違う。
中華帝国の場合は、インターナショナルとは中華帝国領土拡大と同義と考えたりもするし、地場信仰を寄せ集めて官僚的にまとめただけの道教の呪術に統一してもインターナショナル化と見なせるからだ。

ここで、突然、話は飛ぶが、漢文ではなく、和文で書くことにした「今昔物語集」編纂者は、「酉陽雑俎」とは違い、言語や文字について故意に触れていない。このことは、このことに関しては、空海の請雨経法譚から、そのインターナショナル性を理解してご自分で考えよ、と提起していると言えなくもない。
この譚を、国際主義 v.s. 国粋主義の熾烈な戦いの象徴と見ている可能性もあるからだ。

・・・そんな突拍子もない想像をしてしまうのは、言葉の研究が進んで、万葉集の日本語は、"あいうえお"五十音ではなかったことがわかってきたからである。
梵語のように、母音+子音で整然と並ぶ五十音は、確実にインターナショナルに通用するが、万葉集発音は無理。
五十音で統一し、さらに仮名を使用することで発音と文字表記の一致も果たし、インターナショナルな水準に高めたということ。
コレ、出典は不明ながら、弘法大師のお蔭と言われている。

つまり、弘法大師の請雨経法降雨に従わない人々とは、こうした国際主義を毛嫌いしている人ということになろう。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#41]弘法大師修請雨経法降雨語
 1240年、旱魃。
 天皇命で、
 空海が神泉苑において多数の高僧と共に
 請雨経の法を執り行った。
 祈祷が7日間に及んだ時、祭壇の上に五尺ほどの蛇が出現。
 その蛇は頭に五寸ほどの金色の蛇を載せており、
 すぐに池に入っていった。
 空海と4人の高僧だけがこの蛇を見た。
 空海は彼らに説いた。
 「天竺の阿耨達池に居る善如龍王が
  請雨経の法の霊力を顕すために現れた。」と。
 まもなく空が曇って雨となり、国中が潤った。


…【京都の神泉苑において、延応2年(1240)に醍醐寺座主の実賢(1176〜1249)が主催して執り行われた、請雨経法(雨乞い)の様子を描いた図。】が現存している。 →「神泉苑請雨経法道場図」1279nen @奈良国博 (C)NICH

この「請雨経」だが、空海、円仁、円珍、宗叡が招来した、不空[訳]:「大雲輪請雨経」989年だろう。
他の経典と比べると、かなり異質。名前と思われる固有名詞が延々と列記されており、これに呪文的な陀羅尼が加わる。ストーリー無して文字の羅列が続くので極めて単調。内容的にはこのようなパートからなる。
 【龍王名】
 【供養雲海名】
 【慈悲説】
 【施一切安楽陀羅尼】
 【(大雲)如来名】
 【陀羅尼呪】
 【請雨壇法】

明らかに、密教高僧だけが用いる経典。

一般信者は、法華経を通じて、その威力を感じ入っていたのだろうか。・・・
娑竭羅龍王女 年始八歳
智慧利根 善知衆生 諸根行業 得陀羅尼 諸仏所説 甚深秘蔵 悉能受持 深入禅定 了達諸法 於刹那頃 発菩提心 得不退転 弁才無礙 慈念衆生 猶如赤子 功徳具足 心念口演 微妙広大 慈悲仁譲 志意和雅 能至菩提

   [「法華経」第五巻提婆達多品第十二]

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