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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.8] ■■■
[283] 「六宮姫君」元ネタ
慶滋保胤:「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂でござる。御仏を念じておやりなされ。」との言葉で終わる、芥川龍之介:「六の宮の姫君」1922年の元ネタを取り上げてみたい。
  【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#_5]六宮姫君夫出家語

「今昔物語集」のこの話にも元ネタがあり、翻案版である。
  "此の事は、委しく語り伝へずと云ども、
    
「万葉集」と云ふ文に注されたれば、
   此く語り伝へたるとや。"


ということで、先ず、大元を見ておこう。
  「万葉集」巻十六#38111〜3813]
 戀夫君歌一首[并短歌]
さ丹つらふ 君がみ言と 玉梓の 使も来ねば 思ひ病む 我が身ひとつぞ ちはやぶる 神にもな負ほせ 占部据ゑ 亀もな焼きそ 恋ひしくに 痛き我が身ぞ いちしろく 身にしみ通り むらきもの 心砕けて 死なむ命 にはかになりぬ 今さらに 君か我を呼ぶ たらちねの 母のみ言か 百足らず 八十の衢に 夕占にも 占にもぞ問ふ 死ぬべき我がゆゑ
 反歌
占部をも 八十の衢も 占問へど 君を相見む たどき知らずも
 或本反歌曰
我が命は 惜しくもあらず さ丹つらふ 君によりてぞ 長く欲りせし
 右傳云 伝に言う。
 時有娘子 姓車持氏也 ある時娘子がいた。姓は車持氏。
 其夫久逕年序 不作徃来 その夫は長い年月、娘子と往来もせずにいた。
 于時娘子係戀傷心 沈臥痾エ 娘子は恋い焦がれて傷心。病で臥せてしまった。
 痩羸日異忽臨泉路 日に日に痩せていき、臨終を迎えようとしていた。
 於是遣使喚其夫君来 そこで、死者を派遣し、夫を呼寄せた。
 而乃歔欷流H そんなことで、歓喜のむせび泣き。
 口号斯歌 登時逝歿也 この歌を詠んで、その場で身まかった。

おそらく、芥川龍之介はこの翻案が相当に気になったに違いない。「今昔物語集」編纂者が、わざわざというか、必要とも思えないのに、元ネタがあるゾと書いているからだ。しかも、それが「万葉集」とくる。
その上、元ネタを知ると、翻案バージョンの薄っぺらさが一目でわかる訳で、わざわざ知らせて何の意味があるのかとの疑問も湧いてくる。

マ、どう感じるかは人それぞれだから、なんともいえないが。

「万葉集」が取り上げているのはあくまでも娘子の話。ところが、「今昔物語集」は、それにとってつけたように男の動きが加わる。しかも、娘子は、夫と再会できて嬉しがるシーンにはならず、会うと、即、死んでしまうのだ。そこで、男はそのまま出家というストーリー。
これでは、元ネタを、無理矢理に巻十九"出家語"シリーズに合うように翻案したように見えてしまうではないか。
一体、どういうつもりなのか。

「今昔物語集」には、具体的イメージが眼前に浮かぶよう、相当に細かなところまで記載されている。・・・
○六の宮に住む兵部大輔は旧い宮系の子。
 旧態を守る心情なので、世に出ることも無く、
 父宮の大きな家の荒れた東側に住んでおり
 50才ほどで、10才位の一人娘がいた。
 その娘は、全身くまなく美しいものの、
 交流も無いので人にも知られず
 夫を探そうともしないし、
 貧乏で入内も出来きないので
 ひっそりと家で過ごしていた。
 そのうち、父母が他界。
 やり手の乳母がいるものの、
 打ち解ける間柄ではなく
 父母の墓も無く、調度類も減っていくので
 ますます心細く、かつ、悲しくなっていった。

この娘子、現代で言えば、"引き籠もり"症候群。
一方、芥川竜之介の見方は、"腑甲斐ない女"。環境変化にただただ流されるだけで自らの意志を欠き、悲しみや喜びを味わう通常の精神生活も無い姫君スタイルとして描こうとしたようだ。
マ〜、「今昔物語集」の人物像としては、高貴な家柄の世間知らずの姫君と言う以上ではなかろう。ただ、生憎と金銭的に恵まれない生活というに過ぎまい。
主体性を欠くと言えるのかは、はなはだ疑問。父母間の情愛を見ているにもかかわらず、両親に格段の思いがあるようには見えないし、近しい従者もいない訳で、特段の信仰があるようにも見えず、他者とのかかわり方は一種独特なものがあるからだ。
このことは、この譚は文芸的に相当に洗練されていることを示すと言ってもよいだろう。
「酉陽雑俎」は貝奇譚集成書とみなす人が多いが、著者は「小説」のジャンルとしているが、「今昔物語集」も仏教説話集とされていようが、「小説」の類に属すことは明らか。
それを知らしめるための譚でもあろう。

このお姫様嗜好の娘子物語の核心部分は、以下の結婚の場面。・・・
○ある日乳母が、20才ほどの前司の子を婿としたらとの話を持ち込む。
 「家柄や風体からみて、恥ずかしくないお方だし、
  心映えも良く素直。
  その父は、現在、受領。
  止ん事無きレベルの上達部の子でございますが
  姫君がこうしておられるとお伝えすると
  それなら通っていらっしゃるとおっしゃいます。
  ご身分相応のお方でございます。
  心細くお過ごしになるよりは、
  ご一緒になれば善き事と思いますが。」
 しかし、姫君は髪を振り乱し泣いて嫌がったのである。
○その後、乳母は、度々、お話をお伝えしたにもかかわらず
 姫君はお手紙を見ようともしないので
 若い女房がいたるので、
 姫君の文のように見えるように返事を書かせて送った。
 そんな如き状況が、度々続いたので
 ついに、おいでになる日にちを決定してしまい
 それからというもの、男はやって来るようになり、
 姫君も云っても無意味と考え既成事実に。
 魅力的な女性だったので、当然、男は一心に思うように。
 男もそれなりの様子なので、姫君の気も傾くようになり
 頼る人もいないので、すっかり頼ってしまうことに。
○ところが、この夫の父が陸奥守に任じられ急遽国に出ることに。
 男子なので、京に留まれず、父の供として行くしかなく
 妻を置いて行くことに。
 ことわりをしていないので心苦しかったものの
 引き連れて行くと言い出すのも恥ずかしいので致し方なし。
 心が砕けるほどだったが、
 陸奥へ下る日には、深い契を約束し、泣く泣く別離。
○陸奥へ着いた夫は消息を伝えたいと思ったものの
 たしかな使いも無いので
 嘆いているうちに年月が経ってしまった。
 任期が終わり急いで上京しようと思っていると、
 任国で栄える常陸守が、婿に迎えたいと使いを送って来た。
 陸奥守は極めて賢いということで息子を常陸に遣る。
 と言うことで、陸奥に5年、常陸に3〜4年居ることになり、
 都合、7〜8年、あっけなく過ぎてしまった。
 常陸の妻は若いし愛嬌もあったものの
 京の妻とは比較にならず、
 心は常に京にあり、恋い忍ぶのだがどうにもならない。
 使いを出して状況を尋ねるものの、
 不明との便りが返ってくるだけか、使いの返事無し。
○そうこうするうち、
 常陸守が仕事で上京となり、婿も上京することに。
 道中、まだかと思いながらも粟津に着くと
 「日が悪い。」とかで、2〜3日逗留するなど
 なかなか何時ものようには事が運ばなかったのである。
京に入る日になったが、
 昼は見苦しいとのことで、暮れてから。
 遅すぎると思いながらも、
 妻を常陸守の家に送ってから、
 旅旅装束のままで六の宮に急いだのである。
○行ってみると、築地塀は壊れており、皆小屋に住んでいた。
 四足門は跡形も無くなり、対の寝殿も一切見えない。
 政所屋の板屋だけが、歪んではいるものの残っているだけ。
 池は形はあるが、水はなく、葱が作られている。
 素敵だった樹木も、ところどころ伐採されている。
 それを見て、心は迷い、肝が潰れる思い。
 「この辺りに状況を知る者はおらぬのか?」
 と尋ねたが、消息を知る人はいなかった。
○壊れた政所屋に、わずかに、人が住んでいる様子が見えた。
 側に寄って呼ぶと、尼が一人でてきた。
 月明りの下で見ると、彼の人に仕えていた者の母親である。
 倒れている寝殿の柱に尻を落ち着けてその尼を呼んで
 「此処に御住みになっていたお方は?」と問うたが
 はかばかしい答えは無い。
 と言うことは、「隠しているのだ。」と考えて、
 10月10日頃なので尼も寒そうにしているから
 着ている衣を一枚脱いで与えると
 尼はあわてて
 「これは、いかなるお方でございましょうか。」と言うので
 「我は、これこれしかじか。
  汝は忘れているようだが、我はさらさら忘れることなどない。」と。
 尼はそれを聞いた途端に、際限なきほどに咽び泣いたのである。
 それから、言い始めた。
 「見ず知らずの人が仰せになっていると思い隠しておりました。
  ありのままに申しあげましょう。
  お尋ねになられている殿が下国されてから
  1年ほどは、お仕えしていた人達は
   お手紙が来るだろうとお持ちしておりましたが
   消息が掻き消えてしまいましたので
   お忘れになってしまったのだろうと考えてしまい
   あとは成り行きまかせで過ごしておりました。
  2年はどすると、乳母の方の夫も消え去ってしまい
   よく知る人もいなくなり
   皆、散り散りに離れ去って行きました。
   寝殿は殿内の人が燃料にすると壊したので倒れてしまいました。
   お住まいの対屋も道行く人が壊すだけに成り果て、
   これも、ある年の大風で倒れてしまいました。
  御前は、侍の廊下の2〜3間ばかりの場所に
  御座する様にはいきませんでしたが、いらっしゃっいました。
  娘の夫に付き従い但馬に下国しましたが、
  姫君を養う方がおられるのか心配で
  但馬を去って去年戻って参りました。
  上京して見てみますと、もう御殿の跡形も無い状態でした。
  御前にお仕えする方もわかりませんし、
  知人に尋ねてみましたが、居所も分からないのでございます。」
 と言って、際限なく泣く。
 男はそれを聞いて、際限なく悲しみ、泣く泣く返ったのである。
○男は、自分の家に行き、思うに、
 姫君に会わずにいるのなら、この世に居る意味無し、と。
 そこで、ただ、足の向くまま行き、尋ねようと考え、
 まるで物語のように、藁履き笠を着けて、所々を尋ね行くのだが
 さらに行くべき所がなくなってきたので
 「もしかすると、西京の辺りかも。」と思って
 二条から西へと進み、大きな垣沿いに行くと
 申酉の頃になり、空が掻き曇って来て、時雨が降って来た。
 そこで、朱雀門前の西曲殿で雨宿りしようと立ち寄ったところ
 連子窓の内に人の気配があり、近寄り覗くと
 極めて汚い破れた筵を曳き回している二人が居た。
 一人は年老いた尼で、
 もう一人は極く痩せこけ青い顔をした影のような若い女。
 賤しき態で、筵の破を敷き、それに臥していて、
 牛衣の様な布衣を着て、破た筵を腰に曳き懸け手枕。
 「いかにも賤しい者。」と見たが
 怪しくも思ったので
 近くに寄って良く覗いて見ると、彼の失踪した方。
 目は真っ暗になり、心は騒ぎ、見守っていたが
 その人、いかにも苦労しているといった声で、
  たまくらの 隙間の風も 寒かりき
  みはならはしの ものにざりける
 と言うを聞いて、
 思わず現実に立ち返り、奇異なことと思いながら
 懸けている筵を掻き開いて
 「これは何ということ。
  この様なところにいらっしゃるとは。
  尋ね奉っておりまして
  ここに迷い歩いて来てしまったのです。」
 と言って、抱き寄せた。
 女は、顔を見合わせて、
 「あの遠くに行ってしまった人だ。」とわかり
 耐えがたくなってしまい、即座に命が絶えてしまった。
○男は、しばらくの間、生き返ると見て抱いていたものの
 やがて冷え冷えしてきて身体がすくんでしまった。
 亡くなったことを見定めると、
 家に行くことなく、愛宕護の山に行き
 髻を切って法師に成った。


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