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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.15] ■■■
[290] 酒飲み婆羅門の出家
天竺の身分制度の頂点に位置する婆羅門が酒に酔ってしまい出家するという、笑い話としても通用しそうな話が収載されている。
  【天竺部】巻一天竺(釈迦降誕〜出家)
  [巻一#28]婆羅門依酔不意出家語
出典は、[鳩摩羅什 訳]龍樹:「大智度論」(「摩訶般若波羅蜜経」の注釈書)巻十三
   <大智度論釋初品中讚尸羅波羅蜜義第二十三>
  佛在祇,有一醉婆羅門來到佛所,求作比丘。
  佛勅阿難與剃頭,著法衣。
  醉酒既醒,驚怪己身忽為比丘,即便走去。
  諸比丘問佛:
   「以聽此醉婆羅門作比丘?」
  佛言:
   「此婆羅門無量劫中初無出家心,今因醉故暫發微心,以是因縁故,後當出家得道。」

  釈尊が祇園精舎に居られた。
  酔った婆羅門がやって来て比丘になりたいと。
  釈尊は阿難に髪を剃って僧の衣を着せるように命じた。
  酔いが醒めると、自分の姿が、突然比丘になっているので
  仰天し走り去った。
  弟子の比丘達が尋ねた。
   「何故に、酔った婆羅門を比丘にしたのでしょうか?」
  釈尊答える。
   「この婆羅門は
    永劫の昔から、出家の心を発したことなどない。
    酒に酔って、ほんの僅かだけ、その心持ちになっただけ。
    今、この因縁によって、
    後に、本当に出家することになり、
    仏道を得ることになろう。」


「今昔物語集」では若干違う。
先ず、余計と思える説明が加わっている。
  「酔に依て、本の心忘れぬ。」
当たり前ではないかと思うが、この一行は弟子の質問を変えるためには不可欠なのかも。弟子は、釈尊の行為ではなく、婆羅門が驚いたことについて尋ねており、原典とは違うからだ。
  「何の故有てか、此の婆羅門、驚て走り去ぞ?」

酔ってしまい、つい冗談半分というか、からかうつもりで、仏教に帰依したいと言ってみたとのシーンを彷彿させる描き方にしたということ。
些細な事であるが、「今昔物語集」編纂者はどうしても問題提起しておきたかったのだと思われる。

「大智度論」は、クドイほどに、どうして酒を誡しめなければいけないか論述しているからでもある。
そのような論述があるにもかかわらず、震旦の仏教系知識人は禁酒しないことが多い。「酉陽雑俎」の著者に至っては、都会生活を楽しむ当代一のグルメでもある。そんな姿勢を一律的に唾棄すべきものとし、酒や殺生を単純に全面禁忌にしようとする動きに対して、本朝の知識人として、当然の疑問を持っていると言い換えてもよいのでは。

だからこその、最後に一行である。特筆モノと言ってよいだろう。
  仏、酒を誡しめ給と云へども、
  此の婆羅門の為には、
  酔て此く出家せるに依て、酒を免し給けり

この婆羅門は例外的に禁酒遵守の必要が無いのだ。

現代の視点でこの話を読めば、酔っ払いの冗談半分の行為に対して、度が過ぎておりほとんど虐めだが、これまた冗談半分に剃髪して僧衣を着せてしまったというお話となろう。
一方、仏教説話的に解釈するなら、釈尊は、酔っ払いのすることをじっと見ていて、そこに僅かな真意ありと見抜いたことになろう。

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