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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.23] ■■■
[298] 拝火と仙果
巻五は"天竺 付仏前"であり、基本は釈迦本生譚となる。動物譚が多いのは、ジャータカでも、"汝の前生は畜生だった。"とか、"汝は前世で畜生を虐めたため現世に転生しその報いをうけている。"となる。もちろん、前世が人間界や天界の話も並ぶことになる。ただ、そのような形式をとらないものもあり、それは釈尊が見抜いた前生の話ではなく、単に、釈尊登場以前の世の話ということになる。

ところが、そのような話に該当している風情を感じさせない話が掲載されている。
しかも、前譚からの関連も薄く、読む方は唐突感を味わうことになってしまう。どういうことなのか見ておきたい。
  [巻五#15]天竺王宮焼不歎比丘語
  [巻五#16]天竺国王好美菓又与美菓語

先ずは前者から。

釈尊登場以前ということで考えると、この譚は拝火信仰をとりあげたかったということかも。
よく知られるように火炎崇拝は極めて古い。
一つは、天に居る神への捧げものをする場合、燃やして煙として届けるという意味あいがあったのだろうが、もう一つには、不浄なものを焼き尽くし清浄にするということでの信仰も根強いものがあったようだ。
仏教では釈尊入滅後、何世紀か経ち登場してきた護摩として火炎崇拝継承されているが、その発祥はベーダ経典の供犠だろう。
一般的には護摩木を投じるご利益祈願の外護摩行として知られるが、教義的には、仏の智慧の火によって心の中にある煩悩や業を焼き払う、想念上の内護摩行の方が古そうな感じがする。それが、尊像の火焔後背に繋がっている訳だ。

マ、それ以上はなんともよくわからないが。

 王宮で火事発生。片っ端から焼け落ちて行く。
 大王から、后・皇子・大臣・百官等、皆、大慌てで、
 財宝を運び出したのである。
 その時、王が帰依している護持僧が火事を眺め
 頭を振り首を撫でて喜び、
 財宝の運び出しを止めた。
 大王はを怪しみ、この比丘に問う。
 「汝は何故王宮が燃えるのを見て喜ぶのだ。
  沢山の財が焼失するのだから、歎くのが当然なのに。
  汝が放火したのか。
  もしそうなら、これは大変な重罪だ。」
 比丘は答えた。
 「放火などしておりません。
  しかし、大王は 財を貪っておりましたから、
  三悪趣に堕ちるところでした。
  今日、全てが焼失しましたから、それはなくなりました。
  これは実に喜ばしい限り。
  人が悪道から離れられず、
  六趣に輪廻しているのは
  ただ一塵の貯を貪り、それを愛しているからに他なりません。」と。
 それを聞いて、大王は行った。
 「比丘が言う通り。
  今後、財を貪ることはない。」


もう一つも、本生譚的スタイルではないが、こちらは出処と思しき本生譚が記載されている経典があり、本来はそうすべきところを恣意的に上記の形式に揃えて見たということか。
同じ様に考えるなら、こちらは仏法に帰依させる力がある仙果のお話ということになる。
震旦なら、食べると不老不死実現だが、天竺だから仏法による王道実現となる。

 美味な果実を大いに好む国王がいた。
 ある時、
 王宮の園庭を守る者が、池の辺で、果実を発見し、
 見たところ、いかにも国王の興に合いそう。
 と言うことで、国王に奉納した。
 お食べになると、世の中の果実の味とは全く異なり、
 極限までの甘美。
 そこで、宮守を召し、仰せになった。
 「汝が奉じた果実は、甘美であり、類無き物だった。
  この果実は、どこにあるのか、所在をはっきりと知りたいものだ。
  と言うことで、
  今後は、常に、この果実を進呈するように。
  もしもできないなら、汝を罪人とする。」と。
 宮守、たまたま発見した陳物と言ったのだが、
 国王は、さっぱり聞き入れてくれない。
 宮守、歎き悲しみ、陳果発見の池の辺に行って、泣いていた。
 すると、人が現れて問われた。
 「汝、何事があって泣いているのだ。」と。
 宮守は答えた。
 「昨日、この池の辺で、一つ果実を発見したので、取って国王に奉納。
  国王はお食べになると、
   "速やかに、この果実を又奉納せよ。
    もしできないなら罪を与える。"
  と仰せに。
  しかし、再び見つける算段も無く、
  歎き悲しんで泣いている訳でございます。」と。
 その人が言うには、
 「我は竜王である。
  昨日の果実は我が物。
  大王が御用になったというなら、
  この果実を一駄奉納しようではないか。
  そうするから、我に仏法を聞かせてくれ。」と。
 早速、一駄を奉納して来て、
 「もしも我に仏法を聞かすことができないなら、
  今日から数えて7日以内に、この国を海としてしまう。」と。
 宮守、国王にこの果実を奉納し、この由を申し上げた。
 そのため、国王を始め、大臣一同、驚き騒いだのである。
 「この国では、昔から今に至る迄、
  仏法は、見たこともないし、聞いたこともない。
  もし、我が国はもちろん、他国でも、
  仏法と言う者が居るなら、獲得したいものだ。」と
 、広く尋ぬ廻った。
 しかし、「仏法有り」と言う人は現れなかった。
 そこで、国内の120才を越す翁を召し、
 「汝は、すでにに年老いておる。
  もしかしたら、
  古に、仏法と言う者を聞いたことがあるのではないか。」と。
 翁は、
 「未だ嘗て、仏法と言う者を見たことも、聞いたこともございません。
  但し、翁の祖父は、伝ではございますが、
  "我が幼少の時、世に仏法と云ふ者有りと聞いた。"と。
  又、翁の家ならではのことでございますが、奇異な事があります。
  光を放つ柱が一本立っておりまして、
   "これは何ぞや?"と問うと、
   "これは、昔、仏法の有りし頃に立てた柱だ。"
  と答えたとの伝が残っているのです。」
 と申仕上げたのである。
 大王は大いに喜べ、すぐに其の柱を取り寄せ、
 破って見てみると、
 その中に二行の文が記てあり、
 「八斎戒」の文とされた。

   (不殺生戒 不偸盗戒 不淫戒 不妄語戒 不飲酒戒
   不得過日中食戒 不得歌舞作楽塗身香油戒 不得坐高広大床戒)

 これが仏法と言う者と信じて敬仰。
 そこから、ますます十方に光を放ち、
 衆生に御利益を与えたのである。
 竜王も喜んだ。
 その時、この国に仏法が始まったとされ、
 この後、国は繁昌、平安となり
 民も穏かに暮らし、世も豊かになった。

尚、震旦での仙果は桃源郷の不老不死イメージが被さるが、とてつもなく美味な現実に存在する"蟠桃"(座禅桃)を意味していたりもする。

そうそう、ここでの仏法は仏教ではなく、明らかに釈迦牟尼佛以前の仏を意味している。従って、釈尊の本生譚として記載する必然性は無いとも言えよう。

【原典】
   支謙[譯]:「撰集百縁經」巻六 諸天來下供養品 五九"二梵志共受齋縁"
佛在舍衛國祇樹給孤獨園。於其初夜,有五百天子・・・
:
於時化人,聞是語已,還入水中,取好美果,著金盤上,持與園子,
因復告言:
「汝持此果,奉上獻王,并説吾意云:
  "我及王,昔佛在世,本是親友,作梵志,共受八齋,各求所願。
   汝戒完具,得作國王;吾戒不全,生在龍中。
   我今還欲奉修齋法求捨此身。"
 願語汝王,為我求索八關齋文,送來與我,若其相違,吾覆汝國,用作大海。」
:
佛告阿難:「欲知彼時五百龍子奉修齋法者,今五百天子是。」・・・


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