→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.26] ■■■ [301] 涅槃譚 一切衆生には仏性がソコ存在しており、成仏可能という主旨。そのまま解釈すれば、涅槃は"彼岸への往生"あるいは"解脱"ということになる。 そこらを「今昔物語集」はどの様に描いているか見ておこう。 【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅) ---#28〜35 涅槃告知〜仏舎利分骨--- ●[巻三#28]仏入涅槃告衆会給語 ●[巻三#29]仏入涅槃給時受純陀供養給語 ●[巻三#30]仏入涅槃給時遇羅睺羅語 ●[巻三#31]仏入涅槃給後入棺語 ●[巻三#32]仏涅槃後迦葉来語 ⇒玄奘:「大唐西域記」@646年六拘尸那掲羅国クシナガラ ●[巻三#33]仏入涅槃給後摩耶夫人下給語 ⇒玄奘:「大唐西域記」@646年 〃 ●[巻三#34]荼毘仏御身語 ●[巻三#35]八国王分仏舎利語 尚、「涅槃変相図」の場面は例えばこんな風。 万寿寺@東山 13世紀[8シーン]…純陀供養⇒虚空上昇⇒金棺不動⇒金棺飛旋⇒金棺出現⇒迦葉接足⇒分舎利 敦煌148窟[12シーン]…臨終遺誡⇒純陀他諸衆供養⇒涅槃⇒入棺⇒金棺再生説法⇒金棺自挙⇒葬送(大出殯)⇒荼毘⇒阿闍世王求分舎利⇒求分舎利⇒北壁分舎利⇒起塔供養 ㉘《入滅予告》 釈迦如来は、40年間に渡り、 天上・人中で一切衆生の為に、種々の法を説き、教化された。 80才に到達し、毗舎離国で、 阿難に告げた。 「我、今、身体全てが痛い。 今三月に、涅槃に入ることになろう。」と。 阿難言う。 「仏は、既に、一切の病から逃れなさったのに どのような由縁で、今。痛むのでございましょうか?」と。 釈尊は、起き上がられ、大いに光を放たれ、世界を照し 結跏趺坐なさった。 この光に当たった諸々の衆生は、皆、苦から免れて安楽の境地に。 その後、 毗舎離国を出て、拘尸那城に至り、 沙羅林の双樹の間に行き、師子の床に臥された。 そして、阿難に告げた。 「汝、まさに知るべし。 我、今、涅槃に入ろうとす。 盛者必衰。 生ずる者は、死する定めになっているのだ。」 Ⓙ本生譚 さらに、文殊にも、 「我が背が痛む由縁を、今、大衆の為に説こう。 二の因縁が有るが、病とは無関係。 1つ目は、一切衆生を哀しんでいる事。 2つ目は、病んでいる人に薬を施した事。 ということで、昔、無量劫のことだが、菩薩の道を修しており、 常に衆生に利益し、苦悩させなかった。 病持ちには、種々の薬を施した。 これで、何に依って、我が罹病するのだろうか。 但し、我、昔、鹿の背を打ったことがある。 今、涅槃の時を臨むようになり、 この果報を感じてしまい、それが顕れたのだ。」と。 その時に、 迦葉菩薩、耆婆大臣を招いて、仏の御病の相を見てもらった。 大臣が申すには、 「仏は、まさに、涅槃なさる状態でございます。 種々の薬があっても、用いるべきではないでしょう。」と。 迦葉菩薩も諸々の大衆は、大臣のその言を聞いて、 際限なく歎き悲しんだ。 この態度、決して、愚という訳ではない。 ㉙《純陀による最後の供養》 釈尊が涅槃に入ろうとされている時、その座に優婆塞 純陀がいた。 拘尸那城の工巧の子だが、同じ優婆塞の15人と共に座を立ち、 仏の御許に進み、釈尊に向かい奉って合掌し、涙を流して悲しみ 礼拝し奉り、釈尊と大衆に申し述べた。 「願わくば、仏。 我等を哀れみて、我等の最後の供養をお受け頂きたく。 仏が涅槃にお入りになった後は、 我等を更に哀れんで、お助け下さる人はいなくなってしまいます。 我等は貧窮しており、飢えの困苦は耐え難いほどでございます。 そんなこともあり、 我等は、"仏に随い奉って、将来の食を求めよう。" と思っております。 願わくば、我等を哀れみ給いて、 少しではございますが、供養をお受けいただいてから、 涅槃にお入り下さいまし。」と。 そこで、釈尊は純陀にお告げになった。 「善哉。 我、汝のため、貧窮を除去し、 汝の身に無上の法を降らし、法力を生ませ、 汝に檀波羅蜜を備えさせよう。」と。 すると御弟子の比丘等は、これを聞いて皆歓喜し、声を揃えて賞讃。 「善哉、善哉、善哉。純陀。 仏は、既に、汝の最後の供養を受け給われし。 汝は、真実の仏子也。」と。 再び、釈尊は純陀に告げられ、はっきりと述べられたのである。 「汝が、 我及び比丘等に供養を施し奉ることができるのは、 只今、この時こその事なのだ。 我は、只今、涅槃に入ろうとしているのだから。」と。 この様に、三度、はっきりと述べられたのである。 その時、純陀は、仏の御言葉を聞き終って、 声を挙げて叫んであげて叫び、大衆に申し上げた。 「今、諸々の方々よ、 共に五体投地し、声を揃えて、 "仏! 涅槃に入らないで下さい。"と勧めて下さい。」と。 その時、釈尊は、純陀に告げ、 はっきりと述べられたのである。 「汝、叫び慟哭すること無かれ。 そうすれば、自然に心が乱れてしまうではないか。 我は、汝や一切衆生を哀れんでいるが故に、 今日涅槃に入ろうとしているのだ。 一切の法は永久にある訳ではなく 皆、滅してしまうのである。」と。 そうおっしゃられると、 仏の眉間から、青・黄・赤・白・紅・紫等の光が放たれ、 純陀の身をお照らしに。 純陀はその光に当たり奉った後、 諸々の餚饍を持ち仏の御許に近付き、 泣き悲しみ言った。 「仏、猶、我等を哀れんで下さるため 一劫の間、命を終えずにお住み続けてください。」と。 釈尊はそれに答え、はっきりと述べられたのである。 「汝、我に"世に久しく居るように。"と考えることなどせず、 最後なのだから、速やかに檀波羅蜜の修行をすべきだ。」と。 その時、一切の菩薩・天人・諸々の異類の衆会は、声を揃えて合唱。 「純陀は大いなる福を成した。 我々には福が無い。 せっかくもうけた供物類は皆無駄になってしまった。」と。 釈尊は、この異類の衆会の願いを満たすため、 一つ一つの毛穴から、無量の仏をお出しになった。 それぞれの仏には、各々、無量の比丘僧が居り、 異類の衆会からの供養を受けた。 但し、仏は自ら御手を差し伸べ、 純陀が奉った供養をお受け取りになった。 その供物は、数量八石に成り、摩伽陀国に満ちたのである。 仏の神通力の故であり、 諸々の衆会の大衆に充てたところ、皆、足りた。 ㉚《実子 羅睺羅との最後の対面》 釈尊が涅槃に入ろうとした時、 羅睺羅は父釈尊との別れの悲しみから逃れたい一心で、 神通力でこの世のはるか上方にある他の仏の国に行くが、 その地の仏に諭され、泣く泣く帰ってきた。 仏弟子たちに促され、 臨終の枕元に近づいた羅睺羅を見て、 釈尊は、やさしく声をかけた。 「私はもうすぐ涅槃に入る。 汝が、我を見るのも今が限り。 近くに来なさい。」 涙に溺れながらも参上。 釈尊は、その手を握って言った。 「羅睺羅は我が子だ。 十方の仏。 どうかこの子をあわれみ給え。」 これが最後の言葉だった。 ・・・清浄な悟りの身である仏さえ、父子の愛は格別。 まして凡夫である衆生が子への愛に迷うのは道理。 釈尊もそれを表に出されたのである。 ㉛《入棺》 涅槃に入ろうとなさった時、 釈尊は、阿難に仰せになった。 「涅槃に入った後、 転輪聖王のように、7日間は遺体をそのまま安置すること。 鉄棺に入れ、香油を注いで満たすように。 棺の四面には、七宝飾り付け、沢山の立派な旗鉾・香・花を供えて、 7日以後に、鉄棺より遺体を取り出し、諸々の香水を遺体に浴びせ、 上質の兜羅綿をまとわせ、その上を美しい白畳で覆ってから、 そのまま鉄棺に入れ、馨しい香油を満たして閉じる。 微妙な牛頭栴檀・沈水香を七宝の車に入れ、 諸々の宝で飾り立ててから、棺を乗せること。」と。 そして、すぐに入滅。 阿難のような長老や羅漢達は、限りなく、声をあげ泣き悲しんだ。 菩薩・天人・天竜八部・異類も、皆、嘆いた。 金剛力士は五体投地し悲しんだ。 十六国の諸王は、声をあげ泣き叫んだ。 大地・諸山・大海・江河、皆ことごとく震動。 沙羅双樹の林も変色し、心が無い草木さえ悲色を呈した。 天地あげて嘆いたのだが、どうすることも出来ないので それも終了した。 そして、仰せの通りに遺体を入棺したのである。 ㉜《摩訶迦葉ご遺体拝礼》 釈尊入滅を聞き、 摩訶迦葉は狼跡山を出立した。 向かう途中で、手に文陀羅花を持つ尼乾子に出会った。 そこで、師僧のことを尋ねると 涅槃に入られてから、すでに7日経っているとのこと。 それを聞いて、迦葉も同道する500人の比丘達も、皆泣き悲しんだ。 迦葉は、拘尸那城を目指して進み、尼連禅河で渡河。 天冠寺に到着し、阿難の所に。 迦葉:「火葬前なら、今一度仏にお会いしようと思っている。」 阿難:「火葬前ですが、 ご遺言で、ご遺体を五百張の畳でお包みし 金棺に納め奉って、さらに鉄棺中に安置奉っております。 拝顔なさるのは難しいです。」 それでも迦葉は三度懇願したが、 阿難は同じように答えたのだった。 迦葉が棺に向かうと、金棺中から仏の御足がさし出された。 迦葉がご覧になると、御足は金色ではなかった。 迦葉:「この御足は、どういう理由で違う色なのか?」 阿難:「泣き悲しんだ老母が、 涙を御身の上に落としてしまったからです。」 迦葉は、棺に向かい泣く泣く礼拝。 四部衆・天人も礼拝し奉った。 その後、仏の御足は、たちまちにして見えなくなってしまった。 ㉝《生母示現》 涅槃に入られたので、阿難はご遺体を殯し奉ってから、 すぐ、忉利天に昇って 摩耶夫人にお知らせした。 それを聞くと、泣き悲しみ、地に倒られてしまった。 そして、沢山の供を連れて、沙羅双樹のもとに下られた。 仏の棺を見奉ると、そこでも地に倒れ伏してしまった。 水をお顔に注ぐと気付かれて、棺の所に行き、泣きながら礼拝。 「無量劫から今迄、母子としてに離れたことがありませんでした。 こうして入滅されてしまうと、 永くお会いすることが出来なくなり、 実に悲しいことです。」と仰せに。 大勢の天人が棺の上に散華。 摩耶夫人は遺品の僧伽利依と錫杖を取って地に投げられた。 すると、大山崩壊の如き大音響。 「願わくば我が子、仏よ。 諸々の遺品を主のない無用の物とせず、 天人の罪障を滅し、悟りの境地へとお導き下さい。」と仰せに。 その時、 仏は神通力で棺の蓋を開け、起き上がり、 合掌して摩耶夫人に向かい合ったのだが、 御身の毛穴かは千の光明を放たれ その光の中に、千の化仏をお出しになった。 そして、おっしゃった。 「この世の諸々の存在は、すべてこのように遷ろうもの。 願わくば、母上。 入滅を嘆き悲しみ、泣かないで下さらぬか。」と。 阿難は仏が棺より起き出されたのを見て、申し上げた。 「もし、後世の衆生が、 "仏が涅槃に入られる時、何をお説きになられたか?"と尋ねたら どう答えればよろしいでしょう。」と。 「汝はこう答えるべきである。 "仏が涅槃に入られた時、 摩耶夫人が忉利天より下りてこられ 仏は金の棺より起き出さられて、合掌して母と向かい合い、 母の為、並びに、後世の衆生の為、 偈を説かれた。"」 そして、その偈を"仏臨母子相見経"と名付けられた。 ⇒【原典】敦煌出土「仏母経」、曇景[譯]:「摩訶摩耶経」巻下"臨浬鍵母子相見" そして、母と子はお別れになり 棺の蓋はもとのように覆われてしまった。 ㉞《荼毗葬儀》 遺言に従って、 転輪聖王のようにご遺体を荼毗に付し奉ることに。 拘尸那城内には四人の瓔珞で飾った力士がおり、 七宝の火を捧げ持っており、 それは車輪のように大きく、その光は辺り一面を照らした。 この火で仏の御身を焼き奉ろうと、火を香楼に投げ入れたものの 火は自然に消えてしまった。 迦葉は力士に言った。 「仏の宝棺は三界の火で焼くことは出来ない。 そんな力では焼くことは出来ないのだ。」と。 すると、城内から8人の力士。しかし、火は消えてしまった。 さらに、城内から16人の力士。又も駄目。 ついに、城内から36人の力士。やはり、火は皆消えてしまった。 そこで、迦葉は、力士と大衆にお告げに。 「皆、よく知るように。 たとえ、全ての天人が仏の宝棺を焼こうとしても不可能だ。 無理に焼こうとしてはならぬ。」と。 それを聞いて、城内の男女、天人、大衆は仏を恋い奉って、 泣きながら各自の所持品をお棺に手向け、礼拝。 右旋七匝し、大声をあげ叫んだ。 その声は、世界をとどろかせた。 すると、仏は大慈悲の力で心胸の中に火をお出だしになった。 そして、棺の外に火が広がり、燃え始めた。 7日間で香楼は焼け尽きたが、 その間、城内の男女・大衆はずっと泣き悲しんで、供養し奉った。 その時、四天王が 香水を持参し、それを注いで消火し、 舎利を取り出し供養しようと考え、 七宝の瓶に香水を満たし、須弥山から四本の樹を下らせた。 その樹は、それぞれ千人で囲む太さがあり、高さは百由旬で、 四天王に従って下って来て、荼毘の所に。 樹からは甘乳が出ており、四天王は香瓶に移し火に注いだところ、 火勢は強くなき、消えるどころでない。 その様子を見て、 今度は、大海の沙竭羅竜王、江の神、河の神が、 香水を持参して消火し、舎利を取り出して供養しようと考え、 七宝の瓶に無量の香水を満たし、荼毘の所に行き火に注いだが、 さっぱり効果なし。 そこで、楼逗/阿那律が四天王と竜神達に言った。 「香水を注いで火を消そうと思ったのだろう。 舎利を取り出し、 本所に持ち返り、供養しようと考えたに違いなかろう。」と。 その通りと答えたので、 「それは貪欲の心。 舎利を天上に持って行けば、 下界の人は天上で供養できないのだから。」と四天王に言い、 「舎利を、本所の大海・江河に持って行けば 地上の人は供養できないのだから。」と竜神達に言った。 これを聞いて、それぞれ懺悔し、返って行ったのである。 その後、帝釈天が、七宝の瓶と供養の道具を持ち、 荼毘の所に行くと、火はたちまちのうちに、自然に消えたのである。 そこで帝釈天は、宝棺を開き、牙舎利一つを請い、 もらい受けてから天上に返って、起塔し供養奉った。 ㉟《仏舎利分骨》 尊が入滅されたと聞き、 波々国末羅民衆が、皆で相談し、 「我らは、拘尸那城に行き、仏舎利を乞い、起塔し供養しよう。」 ということになり、 四種の兵(象兵・馬兵・車兵・歩兵)を率いて、 拘尸那城に行き、使者を遣わし、伝達。 「仏はこの地において入滅された。 仏は我らの師であり、ひたすらに敬う心は深い。 従って、舎利を頂戴し、 本国に持ち帰り、起塔し供養したい。」と。 拘尸那国王が答えた。 「おっしゃること、もっともである。 しかし、仏はこの地で入滅された。 そこで、国内の人は、皆、"自ら供養しよう。"と思っており、 隣国から来られた方々が、舎利を獲得すべきでない。」と。 その時、 遮羅婆国の跋利民衆、羅摩国の拘利民衆、毗留提国の婆羅門衆、 迦毗羅衛国の釈迦族の人々、毗舎利国の離多民衆、 摩竭提国の阿闍世王、等が、 釈尊が拘尸那城の沙羅双樹の間で入滅されたと聞き、 皆、それぞれ、行って仏舎利を頂戴しようと、 各々四種の兵を率いて恒河(伽)河を渡ってやって来た。 拘尸那城の近くに到着すると、 香姓婆羅門に会ったので、命令を下す。 「汝は、我らの名前をしっかり記憶するように。 そして、拘尸那城に入り、諸々の末羅民衆に伝えよ。 我等は隣国との和順を旨とし争う気はない。 仏がこの国で入滅されたと聞いた。 我等は仏を貴び仰ぎ奉って来たので 遠方よりやって来て舎利を頂いて、 各々本国に持ち還り 起塔し供養しようと考えている。 と言うことで、舎利を我等に与えてもらえば、 国を挙げ、大切な宝として共に供養できる。」と。 香姓婆羅門はこの申し出を受けて城内に。 諸々の末羅民衆にこうした由縁を話すと 「実に、おっしゃる通りです。 しかし、仏はこの地で入滅されました。 拘尸那国内の人々こそがもっぱら供養し奉るべきでしょう。 遠国の人達に舎利を分かつべきではないと思います。」との答。 諸国王はその答えを聞くと、各々の群臣を集めて相談。 「我らは遠くよりやって来て、舎利を頂きたいと乞い願った。 得ることができないというなら、 四兵で身命を惜しまず、力で舎利を頂くしかなかろう。」となった。 すると、拘尸那国の群臣はそれを聞いて、互いに相談し 「遠国の諸々の群臣がやって来て舎利を求めているが、 渡すわけにはいかない。 彼等はすでに四兵を率いていて、力づくで取ろうとしている。 これは極めて恐ろしいこと。」と。 その時、香姓婆羅門は大衆に語りかけた。 「諸々の聖人は、仏の教えを受け、 法を口唱し、一切衆生を安楽へ導こうと誓願しておる。 それにもかかわらず、 今、仏舎利を争って、 仏の遺体をあい損なうことなどうしてど出来よう。 速やかに、彼の諸国王に舎利を分かち与えるべきだ。」と。 人々は皆これを聞いて、 「善哉。」と。 これを諸国王に告げたので、舎利の場所に来集。 「誰が舎利を分ける役にふさわしいか?」で議論し、 「香姓婆羅門は正直だし智恵もあり適している。」となった。 早速、諸国王は香姓婆羅門に、 「汝は、我等のため、仏舎利を八等分するように。」と。 香姓婆羅門は舎利に参拝し、 先ず、上の歯を取り広げて置き、阿闍世王に分け与えた。 そして、次々と、皆に舎利を分け与えたのである。 分け終わったのは、明けの明星が出る頃だった。 香姓婆羅門は石を入れた瓶で舎利量を測って 八等分に分けたのである。 分け終わると、人々に、皆、この瓶をよく見るようにと言って、 「我もこの瓶を家に持ち還り、起塔し供養するつもりだ。」と。 その時、畢婆羅樹の人が、民衆に申し出た。 「火葬跡の焼け残りの灰を頂戴し、起塔し供養したい。」と。 人々は了承した。 また、拘尸那国の人は、舎利を分かち得て、 その地に塔を建てて供養した。 婆々国、遮羅国、羅摩伽国、毗留提国、 迦毗羅衛国、毗舎離国、摩竭提国の阿闍王、等、 皆舎利を分かち得て、各々本国に帰還。起塔し供養。 香姓婆羅門は、瓶を以て起塔し供養。 畢鉢羅樹の人は、地を焦がした灰を取って起塔し供養。 ということで、舎利で8塔、9番目が瓶の塔、10番目が灰の塔。 11番目は、仏の生前の遺髪の塔。 仏は、 星の出る時誕生。星の出る時に出家。星の出る時に成道。 八日に誕生。八日に出家。八日に成道。八日に滅度。 二月に誕生。二月に出家。二月に成道。二月に滅度。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |