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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.2] ■■■
[307] 三帰依
"三帰依"は、比較的知られている仏教用語ではないかと思うが、意外と言ってよいのかわからぬが、「今昔物語集」では目立たない形でしか使われていない。
  【天竺部】巻一天竺(釈迦降誕〜出家)
  [巻一#23]仙道王詣仏所出家語 [→仙道王]
 仏、宣はく、「・・・一鋪の仏像を画して、
 ・・・其の画像の法は、画像を画て、
 其の像の下に
三皈を書くべし。・・・」
   [其畫像法。先畫像已。於其像下書三歸依。]

もちろん、三宝を敬うというのは全体を貫く基調だから、それほど気にするようなことではないが。
  三宝を供養し奉り、帰依する事は、限無きの功徳也
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#21]為国王負過人供養三宝免害語
  ⇒宝唱[撰]:「経律異相」卷三十七 優婆塞為王厨吏被逼殺害而指現師子(第三)

それに、仏・法・僧の三宝に帰依する語句を口誦するシーンも出て来るし。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#20]天竺人為国王被召妻人依唱三帰免蛇害語
  ⇒宝唱[撰]:「経律異相」卷三十七 優婆塞部第二十七 優婆塞持戒鬼代取花(第二)
  南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧

原典に比した文章では、"我是佛弟子受持五戒。"で、三帰依の方ではない。筋からいえば、それが自然であり、替えたのかも。
この三帰依言葉だが、現代人にはお馴染みだが、「今昔物語集」成立頃、大乗経典にママのこの句がはたしてあったのか気になる。出典がわからないからだ。

一般には、文殊菩薩が智首菩薩に対して事細かく説く偈の一部が三帰依文とされており、上記とは違うからでもある。・・・
"三帰依文を唱えて、お釈迦さまの弟子として入門の儀式を行ったと伝えられています。以来、三帰依文は広く世界の仏教徒によって大切に唱え継がれています。"(@全日本仏教会)
  自歸於佛 當願衆生 體解大道 發無上意
  自歸於法 當願衆生 深入經藏 智慧如海
  自歸於僧 當願衆生 統理大衆 一切無礙

  [佛跋陀羅[譯]:「大方廣佛華嚴經」巻六 淨行品第七]

簡略文が無い訳ではないが。・・・
  一歸佛 二歸法 三歸僧 (一歸依佛 二歸依法 三歸依僧)
   [釋智[538-598年]:「法界次第初門」(巻一)卷上之下 三歸戒初門(第十三)]

パーリ語仏典圏では、"自皈依佛 自皈依法 自皈依僧"を3回口誦するのか慣習で、"南無"という単語は無いものの、より近い感じがする。これはベーダ経典教の句表現にならったスタイルだと思われる。

この辺りの文的特徴に、「今昔物語集」編纂者は結構敏感だったのではなかろうか。
"南無帰依仏"はいかにも信仰告白用の心からすぐ出てきそうな口誦句であり、自歸於佛 當願衆生 體解大道 發無上意は暗記し美しく詠ずる詩文だからだ。
つまり、天竺文化は口誦言葉を大切に護持していることを気にかけた記述にしたのと違うか。中華帝国だと、標準文字で同一表現になっていても、読みはヒトそれぞれになってしまう。従って、"南無帰依仏"とは、天竺語音訳漢字の"南無"と意訳漢字の"帰依仏"せずからなる句であると言うことになる。


 鄙の地で、長年仲睦まじく暮らしていた夫婦がいたが、
 妻は端正美麗。
 国王が、貴賤を問わず、端正美麗な女性を
 お后にすべく探し求めていたので、
 この人の美しさは比べるべきもないと
 上申した者がいた。
 国王は喜び、使者を派遣し召喚しようとしたが、
 長年連れ添った夫がいて離別させるのは無理と。
 妻を召喚すれば、夫婦は逃げ出すことになろうと言う。
 ただ、手はあり、
 先ず夫を捕縛して、処罰した後に妻を召せばよいのです、と。
 国王は、もっともなことと考え、と言って、まず夫を
 召し出すために使者を遣わした。
 使者は問われても理由も言えず、
 ともあれ、その夫を王宮に連行してきた。
 国王も、処罰理由も思いつかないので
 艮の方向40里の大池に咲いている
 4種の蓮華を取ってくるように命じた。
 7日の間に持参すれば褒美を取らす、と。
 宣旨なので承ったが、元気を失い、悲しみに暮れた。
 準備した食事も手を触れずなので、
 妻から尋ねられ、経緯を話した。
 すると「とにかく、食事をなさって」と言われ。
 それに従って食事をとった後、妻は、
 「聞くところによれば、
  道中には沢山の鬼神がいて、
  その池にも
  大毒蛇が蓮華の茎に巻き付いて住んでいるそうで、
  行った人は、一人として帰って来れません。
  悲しいことながら、
  二人は別れ別れになってしまいます。
  千年の契りで結ばれているというのに
  すぐに、鬼神に命を取られることに。
  一人で残されることになる位なら、
  一緒に共に死んだ方がよいと思います。」
 と、泣いて語る。
 夫はそれを宥め、妻には残るようにと。
 そこで妻はどうすべきか夫に教えたのである。
 「道中には沢山の鬼神がいますが、
  鬼人が出現し、
  "誰だ?"と尋ねられたら、
  "我れは娑婆世界の釈迦牟尼仏の御弟子。"
  と答えて下さい。
  すると、
  "どのような法文を習ったか?"と訊かれますから、

  "南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧"
  と口誦し、
  "この言葉だ。"
  と答えて下さい。」
 そして、7日間分の糧食を持たせて出発させたが
 互いに、別れを惜しむこと限りなしだった。
 それから4日目。
 守門の鬼の所に到着。
 鬼は夫を見つて喜び、喰らう前に質問。
 「どこから来た者だ?」
 夫は、
 「我れは娑婆世界の釈迦牟尼仏の御弟子。
  国王の仰せで、4種の蓮華を取るため来た。」と。
 鬼は、
 「我はまだ仏という名を聞いたことがない。
  今、初めてその御名を聞いた。
  このお蔭で、
  すぐに、苦から離脱し、転生できる。
  ど言うことで、汝を赦免いたそう。
  南の方向には又鬼神がいるから、
  同じように言うとよい。」と。
 次の鬼も、喜び、喰らう前に質問してきた。
 夫は同じ様に答え、

   三帰の法文を誦す。
 鬼は歓喜。
 「我は無量劫を生きて来たが、
  未だに三帰の法文口誦を聞いたことがなかった。
  有難くも、ついに聞いたので、
  鬼から、天上に転生出来る。
  汝は、さらに南へ行けば、
  沢山の大毒蛇が出くわすことになる。
  物の善悪を知らず、
  汝を呑み込もうとすること必定。
  と言うことで、
  汝は、ここに居れ。
  我が、その花を取って来よう。」
 と言って出て行き、
 すぐに4種の蓮華の花を持って来て渡してくれた。
 「国王の仰せは、7日の内だが
  すでに5日目であり、
  7日の内に王宮には着けまい。
  と言うことで、
  我が、汝を背中に乗せて急いで連れて行こう。」と。
 しばらくして到着。
 夫を下ろすと、鬼はすぐに姿を消した。
 夫は4種の花を持参。
 国王は怪しく思い訊くので
 経緯をを詳しく申し述べたのである。
 国王は大変に歓喜。
 「我は、鬼神に劣っていた。
  汝を殺害し、妻を奪い取るつもりだった。
  鬼神は、我より優っており、
  汝の命を救い帰した。
  我は、汝の妻を赦免する。
  速やかに家に帰って、
  三帰の法文を大切にするように。」と。
 早速、夫は家に帰り、妻に経緯を話した。
 妻、喜び、夫婦で三帰の法文を大切にした。



筋からすれば、三帰依でなく、五持戒たるべしだ。男は実は厨吏だからだ。
戒を守るとは、ベジ食しか提供しないことになる訳で、王の命に服さず罰を喰らうのは致し方あるまい。当然ながら「今昔物語集」では、男の業務や、刑に処される理由について触れることはない。
 国王に対する罪の咎人が、
 捕縛されて斬首の刑を宣告された。
 「我に7日間の御猶予を。」と申し上げ、
 認められたので、家に帰還。
 心を尽くし三宝供養。
 8日目の朝、国王のもとに参上。
 国王は、約束を守ったことに感心。
 しかし、斬首を命じた。
 すると、男は、
 たちまちにして仏相を現したのである。
 それを見た国王は刑を中止。
 その替わり、
 大酔象に踏み殺させることにした。
 すると、今度は、男は金色の光を放った。
 そして、指先から五頭の獅子を呼び出したので
 酔象はすぐに逃げ去った。
 国王は不思議ということで、恐れ慄いた。
 「汝は、どのような徳で、
  このような不思議を出現させることができるのか?」
 と尋ねると、
 男は
 「我は、家での7日間ずっと三宝供養し
  戻って参った次第。」と。
 それを聞いた国王は赦免。
 国王自身も三宝に深く帰依したのである。


尚、震旦部にも三宝譚が収録されている。
  【天竺部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚)
  [巻九#38]後魏使徒不信三宝得現報遂死語

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