→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.28] ■■■
[333] 道命阿闍梨読経聴聞の霊験
芥川龍之介:「道祖問答」1916年の元ネタとされている道命阿闍梨譚がある。
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#36]天王寺別当道命阿闍梨語

芥川だから、「今昔物語集」からの翻案としがちだが、上記には、和泉式部との好色関係話も地位が低い道祖神も登場しない。美しい声での読誦が生んだ霊験をオムニバス的に記述しているだけ。
明らかに、他書から。・・・
 「古今著聞集」好色第十一"道命阿闍梨、歌を以て和泉式部に答ふる事"
 「宇治拾遺物語」巻一#1" 道命阿闍梨於和泉式部之許読経五条道祖神聴聞事"

小生はユーモアを感じる好色話の方が面白いと思うが、「今昔物語集」編纂者の目的はそんなところにはないのであろう。

芥川龍之介流好色譚の肝は、高僧だというのに、色欲是認で、当人は全く意に介せずの態度という点。それはそれ、ユーモアのセンスは持ち込まれているものの、それは僧の人柄からにじみ出る手のユーモアではない。
この僧の読誦の声に魅了された人々は多かったようだが、それが愛された理由という訳ではなく、洒脱な人柄にあると思われ、そこを描いて欲しかった。他書の出来映えがナカナカのものだから。・・・
道命阿闍梨は和泉式部と車で同乗。ところが後向きに坐したので、その理由を問われると、向き合って笑いかけられてしまうと、栗の実が落ちるように車から落ちてしまうからですと答えたのである。女心をつかもうと、初めから決めていた周到な作戦でもあろうが、ものの見事に自分から墜ちてしまったのである。それでよしと最初から決めていた訳だ。

一見、「今昔物語集」編纂者は、オムニバスにすることで、この有名人の人間味あふれる人柄を消し去ってしまったように見えないでもないが、読むとそうでないことがわかる。中宮のサロンに入ると、親爺ギャグで女房を笑わせて喜んだりと、座を愉しませる冗談を連発する御仁であることがわかる。
○道命阿闍梨[974-1020年]は傅殿大納言藤原道綱の子。
 幼くし山に昇り仏道修行。
 天台座主慈恵大僧正の弟子で、法花経受持者。
 心を込めて日々読誦し、1年で1巻、8年で一部暗記してしまうほど。
 ことさら、その声は素晴らしく、聞く人は誰でもが頭を下げて貴んだ。
○ある時、阿闍梨は法輪寺にお籠に。
 礼堂で法花経読誦。
 そこに居合わせた老僧が夢を見た。
  お堂の庭に止事無く気高く器量しき人々が隙無く集合。
  堂に向って合掌して居る。
  怪んで、恐れながら、眷属に近寄り、誰が居られるのかと尋ねた。
  「これは、
   金峰山蔵王、熊野権現。住吉大明神、松尾大明神、等が、
   法花経読誦を聞こうと。毎夜お集りになっているのです。」と。
 そこで、目が覚めた。
 道命阿闍梨は礼堂に居り、声を挙げて法花経巻六を読誦していた。
 老僧は、
 かの読経を聴聞しようと、
 あの止事無き神等がいらっしゃたんだ、
 と考えたのである。
 貴き事限り無しと感動し、立ち上がり、泣きながら礼拝し、
 庭の状況を思い遣り、恐しくなって立て去ってしまった。
○この堂に邪気を煩って籠っていた女の人がいた。
 何ヶ月も悩み続けさっぱり治る気配なし。
 ところが、この阿闍梨の読誦を聞いたところ、
 たちまちにして悪霊が出現。
 「我は汝が夫である。
  しいて汝を悩まそうと考えている訳ではないのだが、
  身の苦しみが堪え難いものだからて、
  自然に憑いてしまい悩ますことになってしまった。
  我は、生前、諸悪のみを好んでおり、
  生類殺生、仏物盗犯をしてきて。
  微塵も、善根を造らなかった。
  このことで、地獄に堕ち、邪気に煩て苦を受ける事となった。
  この道命阿闍梨の法花経読誦を聞き、
  地獄の苦を免れ、忽にして、軽き苦を受けることに。
  所謂、蛇身の形に転生できた。
  もしも、再び読誦を聞くことになれば、
  必ずや蛇身を棄て、善所に転生できるだろう。
  汝、速に。我をかの阿闍梨の所に連れて行き、
  経を聞かせてくれまいか。」と。
 と言うことで、阿闍梨の住所を尋ね、経を聞かせたに参詣。
 阿闍梨はこれを聞いて、心を発し、
 かの霊蛇の為、法花経読誦。
 霊が現はれ、
 「我、又、この経を聞くにことができたので、
  既に、蛇身を免れ、天上に転生できた。」と。
 その後、この女人は微塵も煩うことがなくなり、長生。
○性空聖人と結縁しようと、山に行き、聖人に会い、
 後世の契を結び、夜は近傍の僧房で休んだ。
 亥の時になり、阿闍梨は法花経読誦。
 房の檐の方に、読誦開始から終了まで、忍び泣く人の気色。
 時々、手で押し摺る念珠の音も聞こえた。
 「誰が泣いるのだろうか?」と思って、
 読誦完了後に、静に遣戸を細目に開いて覗くと、
 性空聖人が、阿闍梨の読誦を聞いて
 貴んで房の檐に屈んで泣きながら聞いていたのだった。
 そこで、阿闍梨は、房の板敷からすぐ下り、
 性空聖人の御前で畏まったのである。
 阿闍梨の読経は並び無いものだった。
○それは、読経のみということではなく
 物を話す際にも、
 極めて興があり、思わず笑ってしまうような調子だった。
 中宮のもとに参った折のこと。
 女房:「引経を読む時は、どういう所が貴いのでしょうか?」
 阿闍梨:「琵琶・鐃・銅と云ふ所を引く
(弾く)点が、貴いのです。」
 
(このいかにも下らぬ駄洒落で)
 女房、大笑い。
○陸奥守 源頼清朝臣が、左近大夫と極めて不遇だった頃のこと。
 阿闍梨の父の傅殿大納言の縁で親しかったので、
 常にその房を訪ねていた。
 その房で、頼清が粥を食べていたことがあった。
 その粥が汁ばかり。
 頼清:「この御房では、粥とは汁なのですな。」
 阿闍梨:「道命の房では粥は汁でございます。
  主の御家では飯は固いのでございましょう。」
 坐にいた人々、顎が外れるほど大笑い。
 全く、罪もない軽口ばかりなのである。
○死後のこと。
 親しき友
(得意)は、
 阿闍梨は、はたしてどんな所にか転生したのか考えていた。
 すると、夢を見た。
  蓮満開の大きな池の辺に到着。
  すると、池の中から経を読誦誦する声が聞こえてきた。
  よく聞くと、亡くなった道命阿闍梨の声。
  怪んで、車から下り、池の中を見ると、
  当人が、手に経をかかえ、口誦しながら、船に乗って到来。
  その声は生前の千倍。
  そして語った。
  「我、生前は、三業を調へもず、五戒も保持せずで、
   心に任せて、罪を造ってきた。
   就中、天王寺の別当だった間、
   自然と、寺物を犯用しておった。
   その罪で、浄土転生は出来なかったのだが、
   法華経読誦奉った力で
   三悪道に堕ちることなく、
   この池に住んて、法花経を読誦奉るのである。
   さらなる苦しみは無い。
   今から2〜3年後には、覩
(兜)率天に転生することになる。
   昔の契があるので、
   こうして忘れずに、今来て告げたのだ。」と。
 夢から覚め、極て哀れに思ったので、
 他の人にもこの話をした。


 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME