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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.12] ■■■
[378] 末世の在家信奉者
🕚巻十三は全面的に、法華経「験記」。[→]
と言っても、もちろん出典不詳が無い訳ではない。
そんななかから、左衛門大夫信濃守平正家の雑色の霊験譚を取り上げてみたい。

この話、掲載書物はわからないが、情報ソースが不明な訳ではない。譚末に、信濃守が帰京して語った話と記載されているからだ。
  [巻十三#38]盗人誦法花四要品免難語

おそらく、その話に時代性を感じ、なんとしても収録したくなったのであろう。つまり、この譚は、「今昔物語集」編纂者の思想の一端が見えるという点で、なかなかに味わいのあるものに仕上がっているのである。

どこがポイントかと言えば、末尾のご教訓行。
  世の末に及ぶと云へども、
  吉く持ち奉れる者の為めには霊験を施し給ふ事、
  既に此如き也。


"いよいよ末法の世だが、・・・。"と言うことで、感慨深いものがあると書いている訳だ。

高校の授業の日本史では末法思想が平安後期に横行したと暗記させられた覚えがあるものの、その思想の根拠となった書については聞かされた記憶がないが、最澄[撰]:「末法燈明記」801年らしい。
そこでは、延暦二十年は釈尊入滅後、1750年あるいは、1410年であるから、像法の末期に当たるとされている。
この譚に登場する平正家[n.a.-1073年]の時代はまさに、末法の時代@1052年に突入した訳である。

ところで、この書だが、百科事典的には偽書説が有力らしい。引用文献をよくよく検証するといい加減なもので最澄らしからずという点も大きな理由らしいが、逆な感じがしないでもない。ともあれ、この書を根拠とする大宗派もあるし、宗祖が認めた書だったりするからなんとも言い難しだろう。(もっとも、禅宗は末法思想に否定的だ。)
小生が読んだ現代訳の印象は若き情熱の書。従って、著者からして、後から使いたくはなさそうな代物では。つまり、本物臭い。・・・
"『仁王経』などの所説から推察すると、サンガを監視・管理する機関の存在を容認して、その管理下に甘んじることは、サンガを分裂させる卑しい行為である。あの『大集経』などには、無戒の僧侶を名付けて、世を救う宝としているのだ。どうして国を食い尽くすイナゴを保護して、むしろ家を守る宝を捨てるというのか。" [引用元:最澄 『末法燈明記』(現代語訳)http://www.horakuji.com/lecture/nippon/mappoutoumyouki/yakubun.htm (C)真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺]

「今昔物語集」編纂者も イナゴは大嫌いだろう。そして、末法だから戒律などどうでもよいとは思っていない筈で、在家の真摯な姿勢に仏法の将来を期待しているのだと思う。
というか、末世ではあろうが、基本的には楽観主義であろう。社会の腐敗は進み戒律など鼻にもかけぬ人だらけでだろうが、そのなかで堅実な生活に徹する人々はいると見ているからこそ、この譚を収録したのだと思う。

思うに、平正家の家郎達は半ば公認状態の馬泥棒と馬取引で稼いでいそう。そんな環境なので、真面目に雑役をしている男は、どうしても皆から浮いて嫌われてしまう。挙句の果てに、馬泥棒の仲間にしたてあげられる訳だが、平正家の息子はそのことに気付き助けたというのが実態なのだろう。


 左衛門の大夫 平正家は信濃に所領があり、
 京と信濃の両方に家があった。
 ある時、信濃の家で馬が盗まれ、
 正家の郎党が、家の雑色の男を
 泥棒の一味として主人に報告。
 そこで、すぐさま捕縄が命じられ
 絶対に逃がさぬようにとの指示が郎党に。
 郎党は、その雑色を憎んでいたから
 手足を木に括り、足枷をはめ、髪を木に巻くなどし
 木の上には監視人まで置くほど厳重に。
 雑色は、無実なのに、こんな目に遭うので、
 嘆き悲しんだが、どうにもならない。
 ただ、以前から
 法華経四要品
(方便品・安楽行品・寿量品・普門品)
 信奉していたので、それを誦していた。
 ところが、夜になると、監視人がいるのに
 男は拘束を解き端座しているのである。
 正家の子の、後に大学の允となった資盛はまだ若く、
 この頃、同じ屋敷に住んでいた。
 夜になると法華経を誦する声が聞こえるので
 誰だろうと探し、この雑色であることを知った。
 哀れなことと感じたのである。
 そして、郎党は、正家に状況を報告。
 夜は自由になっているのに、逃亡しない、と。
 そこで、正家は男を連れてこさせて尋ねた。
 すると、男は、自分は無実であり
 幼い頃から信奉している法華経の四要品に、
 死んだら、後世のお助けを祈願していただけ、と。
 その霊験か、
 幻のように、白い楚をお持ちになった童子が出現し、
 楚が振られると自由になった、と。
 童子は、速やかに逃げるようにと仰せになったが、
 罪を犯した訳ではないので、
 そのうち許されるだろうと思っていたのだと。
 正家は感じ入り、尊いということで即座に許した。


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