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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.13] ■■■
[379] 法華経授習
摩訶止観についてはとりあげたが、
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_5]摂津国菟原僧慶日語📖摩訶止観

「今昔物語集」ではここらに余り触れられていないとはいえ、法華経霊験譚だらけだから、軽く流しているようなお話は収録されている。
  [巻十三#32]比叡山西塔僧法寿誦法花経語
 法寿は比叡山西塔の僧。
 京の人で、天台座主暹賀僧正
[914-998年]の弟子。
 心正しくしてその行いは尊いものであった。
 若くして比叡山に登って出家して、師について法華経を習い、
 日毎に必ず一部を読誦した。
 そして、それを一生の勤めとした。
 また、経文を学んでも理解力に優れその神髄を会得した。
 ある夜、心をこめて法華経を誦しているうち夜明け近くになり、
 少し寝入ってしまい夢を見た。
  長年信奉してきた法華経が空に飛び上がり、
  西を目指して去って行った。
  失ったことを嘆いていると、
  傍に、紫色の衣を着た老僧が出現。
  「経を失って悲しむ必要は無い。
   汝が信奉してきた経典を
   少し先に極楽にお送りして安置しただけ。
   2〜3ヶ月すれば、汝も極楽に転生できるだろう。
   速やかに沐浴精進してお迎えを待つように。」と言う。
 そこで、夢から覚めた。
 それならと、法寿は、先ず衣鉢を投げ棄てた上、
 早速、阿弥陀仏像を描き、法華経を書写。
 さらに、智者僧を招請し供養。
 僧房にあった物は弟子に分与。
 そして、京の住処を去り、比叡山に籠り続け、
 ひたすら法華経読誦し、念仏口唱。
 合間には、
涅槃経、観無量寿経、等を礼拝。
 摩訶止観、
(法華)文句や章疏の論も学んだ。
 こうした善根に依り、
 必ず極楽に生まれ阿弥陀仏にお会いできるよう祈願。
 そうこうするうち、罹病したが、
 仏法を深く信じ続け、法華経読誦、念仏口唱のまま逝去。


天台大師[538-597年]の【法華三大部】は「妙法蓮華経」註釈書だが、全60巻と膨大で、そうそう手のおえるものではないが、僧にとっては定番ということであろうか。
 「法華玄義」…総論
 法華文句」…経文解釈
 「摩訶止観」…修証禅観

さらに、これを通じて、智は【法華三部経】も定めた。
 曇摩伽陀耶舎[譯]:「無量義経」481年…開経(序論)となる3品(徳行,説法,十功徳)
 鳩摩羅什[譯]:「妙法蓮華経」400年…本経8巻28品
 曇無蜜多[譯]:「佛説観普賢菩薩行法経」424年…結経となる観法修行方法論(法華三昧懺悔儀)
尚、「無量義経」と「普賢経」のサンスクリット語原本は未発見である。
"法花の序分"たるべし譚は震旦部に収録されており、中天竺渡来僧 曇摩伽陀耶舎、481年@南斉高帝蕭道成「無量義経」を広州 朝亭寺で翻訳とされている。
  【震旦部】巻七震旦 付仏法(大般若経・法華経の功徳/霊験譚)
  [巻七#13] 震旦無量義経霊験

「今昔物語集」は、ここらについても、一応、触れている。
なんと僧ではなく、在家の女性である。
  [巻十三#36]女人誦法花経見浄土語
 加賀前司 源兼澄[c.a.955年-n.a.]に一人娘がいた。
   
(禎子内親王の乳母 命婦乳母が娘と伝わるが違うようだ。)
 生まれつき聡明で、若い時から仏道を心にかけており、
 法華経を習い、日夜読誦し、長年過ぎた。
 しかし、
無量義経と普賢経は習っていなかった。
 急に病気になり、数日で死亡したが、一晩経つと蘇生。
 傍らの人にその状況を語った。
  死ぬと、突然。力の強そうな男4〜5人がやって来た。
  追い立てられ、遥か遠くの野山を通り過ぎ
  大きな寺に連行された。
  門内には、金堂、講堂、経蔵、鐘楼、僧房、門楼、等々が
  軒を並べていおり、立派な装飾。
  建物の中には、戴冠の人、瓔珞を着けた菩薩が無数状態。
  尊い老聖僧も大勢。
  それを見ると、ここは極楽か兜率天のように思えた。
  すると、一人の僧に言われた。
  「汝はどのような理由でこの寺に来られたのだ。
   法華経を数多く誦したからとされているが、
   それは、ずっと先になる筈だ。
   速やかに、お返り。」と。
  その時、一つのお堂を見ると、
  沢山の法華経が積み置かれていた。
  その僧が、その経を知っているか尋ねるので、
  知らないと答えると、
  あれは汝が長年読誦した経典。
  その善根でここに来ることになると言う。
  大変嬉しくなった。
  高く聳えるお堂もあり、
  そこには金色の光を放つ仏様がいらっしゃった。
  そのご尊顔は袈裟に覆われて拝謁できなかったが
  微妙にも、お声をかけて頂いた。
  「汝は、法華経を読誦してきたので、姿を見せ、声を聞かせた。
   速やかにもとの国に返って、
   一層、法華経読誦に努めるように。
   さらに、
無量義経と普賢経も合わせて読誦すること
   これらのお経を心を込め学ぶべきである。
   そうなれば、顔を隠さず汝と会うことができよう。
   このように語る我は釈迦如来なり。」と。
  そして、2人の天をお共につけて頂き、返ってきた。
  家に入った途端に生き返った。
 その後、治癒し、ますます心をこめ、法華経読誦。
 無量義経と普賢経も加えて読誦し奉ったのである。


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