→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.19] ■■■ [385] 寿命相見 【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布) <31-48 経> 《48寿命経》 ●[巻六#48] 震旦童児聞寿命経延命語 ⇒「三寶感應要略錄」中37童兒聞壽命經延壽感應 玄宗代の開元[713-741年]の末、 人の寿命を見る相師が 資聖寺の寺内で、門外の人の声を耳にした。 (円仁が住した寺で長安中央にあった。) 只今、今日限りの命だという。 驚いて出て見ると、形貌端正な童児が居た。 年齢を尋ねると、13才との答。 相師は深く哀れんだものの、なんとも云うことなし。 入寺してもらい、翌朝、その辺りでその童児に会ったところ、 すでに年齢は70に。 奇異なので、どうして命が延びたのか尋ねた。 僧房に寄宿したところ、 僧の寿命経の転読を聞くことができた。 これ以外に思い当たることが無い。 との答。 経典は、不空[譯]:「仏説一切如来金剛寿命陀羅尼経」。(金剛智&智藏[譯]もある。) 本朝には儀軌の「金剛寿命陀羅尼念誦法」が招来しており、(伝)良源[撰]:「金剛寿命陀羅尼経疏」もあるから[「大正新脩大蔵経」密教部 1134,1135]、本朝では、この呪術による盛大な加持祈祷が行われていただろう。 この内容は、病苦からの救いとか、後世のための善行ではなく、現世における不老長生祈願という内容であり、とりかたによっては現世での様々な欲を満たし安楽に過ごそうと願うことになり、仏教精神には合わない。極めて道教的である。天竺なら、ベーダ経典信仰的となろうか。 しかし、陀羅尼なので文章的には短いし、在家には人気が出たのは間違いあるまい。 マ、禁忌の祈願にするより、仏教に取り込んで、そうした欲を転化させない限り、衆生を救うことはできまいというのが大乗的発想か。 そこらの融通無碍なところが、本朝の風土にあったとも言えなくもなかろう。 例えば、「枕草子」277段では中宮が語っている位、ポピュラーだった訳で。・・・ 「これは、聞こしめしおきたることのありしかばなむ。 わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ。」 尚、比叡山では、938年天台座主尊意[866-940年]が、朱雀天皇一代の御願寺として延命院(福円坊)@東塔東谷を建立し長寿を祈祷したようだ。普賢延命菩薩・梵天帝釈四天王安置だから普賢延命法だろうが、金剛寿命法の呪も行われていたと見てよいだろう。(他には、菩提流志[譯]:「護命法門神咒経」もあり得よう。) そのような経典であることをメモ的に収録したか。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |