→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.20] ■■■ [386] 稚児好き僧 【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報 ●[巻二十六#18]観硯聖人在俗時値盗人語 何が気になるかというと、とんでもない文章から始まっているから。これさえ無ければ、どうということもない。 児(稚児)共摩行(撫で歩き)し、観硯聖人と云ふ者有き。 これは、後世大いに流行った、稚児との同性間恋物語の先鞭をつけたお方を意味しているのではなかろうか。 (e.g. 「秋夜長物語」「児教訓」「松帆浦物語」「幻夢物語」「嵯峨物語」「稚児観音縁起」「鳥部山物語」「弁の草紙」「上野君消息」「あしびき」「ちごいま」) 僧は、戒律上、女性との関係を断つことになるので、どうしても一定の割合で男色に溺れる僧侶がでてくるのは避けられない。そこらを、「今昔物語集」編纂者は見て取っていた可能性があろう。 と言っても、話の方は、"盗人の恩返し"であり、男色に陥る兆候を示しているという訳ではない。 若かった頃、強靭な体躯の持ち主だった盗人の大将が、助けてくれたハンサムだが女々しそうな若造に恋してしまったというならわからぬでもないが。 せっかくだから、筋を眺めてみよう。 ○観硯聖人は稚児たちを撫で歩く性分。 ○その観硯聖人は、在俗の若かりし頃、親の家に住んでいた。 ある夜、 「壺屋に盗人が入った。」との知らせ。 皆起き出し、燈火持ち入って調べたが、盗人は見つからない。 「盗人は居ないゾ。」と言いながら、皆、出て行こうとした時、 観硯は、 皮子等が置いてある隙間に、 裾濃色の袴を着て身を伏せている男を発見。 「見間違いか。」とも思い、手燭を掲げて近寄ったところ、 確かに盗人。ただ、ひどく震えていた。 恐怖で怯えているので、急に憐れみの心が生まれ、 盗人の背中に腰を下ろして皆の方に言った。 「よく捜すように。 こちらには居ないから。」と盗人に聞こえるように大声で。 盗人は震える一方。 そうこうするうち、捜している人達も、 「こちらにも居ない。」と言い出し、皆、退出。 そこで手燭を消した。 辺りは真っ暗闇。 観硯は他の人に聞こえないように盗人に言った。 「起き上がって、私の脇に隠れて出て行くように。 哀れなので、逃がすことにする。」と。 盗人は静かに起ちあがり、観硯の脇に寄り添って、 崩れた土塀の所まで行った。 「今後このようなことはするでない。 哀れなので、逃がすのだから。」 と言って、盗人を外に押し出した。 盗人は走って逃げ去った。 盗人が誰なのかは分かる訳もない。 ○その数年後のこと。 観硯は国司に任官され東国へ赴任。 所用で上京。 関山@逢坂山の辺りで盗人の襲撃に遭遇してしまった。 大勢で矢を射かけられ、従者達は皆逃亡。 観硯は矢を避け、茂った藪の方へと馬を寄せたが、 3〜4人の盗人が出現。 馬の口を取られ、鐙を抑えられ、轡も取られてしまい、 強引に、谷間に追い立てられたのである。 「盗人は、着物を剥いで、馬を取るのが普通だ。 このように自分を連れて行くところを見ると、 敵視していて、殺戮するつもりだ。」と見て、 肝が潰れんほどに恐ろしくなったが、 ともあれ、連れて行かれたのである。 50〜60町山奥に入ったように感じたが 殺しもせず、こんなに遠くまで行くとは どういうことか不可思議に思って、後ろを見ると そこには恐ろし気な弓矢を準備して付いて来る。 やがて、酉@18:00の頃になった。 山中の谷あいの庵に到着した。 賑わっており、立派な馬が2〜3頭繋がれている。 水を沸かしている大釜がいくつも並んでいる。 そこに連行されるたが、そこには、 50才位の恐ろしげ太刀を帯びたな水干装束の男が居た。 配下の者共は30人ほど。 この大将、大声で、「お連れせよ」と命じた。 観硯はどうなることかと恐ろしくて体が震えた。 庵の前まで連行されると、「抱いて降ろしてさしあげよ。」と。 若くて力持ちの男が、稚児を抱きあげるが如くに降ろしてくれた。 観硯は足が震えて歩けなかったが、大将が歩み寄って来て、 手を取ってくれ、庵の内に連れて行き、装束を脱がせてくれた。 頃は10月。 「さぞや、お寒かったでしょう。」と言い、 厚い綿入り夜着を着せてくれた。 「殺す気はないようだが、どうなるのだろう。」と思い廻らすが さっぱりわからない。 辺りには、庵の前に配下の者共が居並び、 5〜6枚の俎板を並べて忙しく魚や鳥の料理作りに精を出している。 「早くお食事をお出しせよ。」と大将。 すると、皆が、手に手に料理を目の上に捧げて持って来る。 それを、大将が取って、観硯の前に。 柿渋色の2台の机の上に素晴らしい料理が並べられたのである。 美味で、腹が大変減っていたこともあり、観硯は鱈腹食べた。 食事が終わると、他の庵に案内されると、そこには湯桶。 「長い道中で、湯浴みできなかったでしょうから、 どうぞ。」と。 湯浴みが終わると、真新しい浴衣に着替え。 庵に戻って就寝。 夜が明けると 「粥を差し上げるように。お膳を早く出せ。」と。 急いで、朝食が供された。 やがて、午未@1:00amの頃になると昼食。 その後、大将がやって来た。 「2〜3日ご滞在頂きたいところですが、 早くご帰京されたいでしょうから これで、お返り下さい。 そうでないと、落ち着かないでしょうし。」と。 観硯は、 「おっしゃる通りに致しましょう。」と答えるしかない。 ○一方、追い散らされ逃げ去った従者達だが、 互いに落ち合って、主人を捜したが、 馬付きの男が、 「弓に矢をつがえた盗人7〜8人にが、馬の鐙を押さえ、 谷あいの方に連れて行ってしまいましたので、 おそらく、敵で、殺そうとしたのだと思います。」と言って泣く。 しかたなく、探すのを諦め、帰京。 家に着くと、 「関山で盗人に連れ去られてしまいましたので、 お亡くなりになっていると思われます。」と告げた。 主人の帰りを待ちわびていた妻子達は泣き悲しんだ。 ○盗人の大将は、観硯をもとの馬に乗せ、 手下5〜6人を供に送り返した。 普段とは異なるルートだった。 南山科⇒ 慈徳寺[遍照[816-890年]旧房 華頂山元慶寺隣接]の南大門前⇒ 粟田山越え⇒ 賀茂川原⇒ 観硯の家@五条 夜、人通りが絶えた頃にようやく家に到着。 供の者共は、門を叩いてから、 馬に積んできた行李2つを門の脇に下ろし、 「"これを差し上げよ"とのことでした。」と言い、 人馬ともども、すべて、すぐに帰って行った。 観硯は、尚、何が何だか分からないまま。 そうこうするうち、家から人が出てきて、 「誰だ。門を叩くのは。」と尋ねるので、 「我なり。帰って来たぞ。ここを開けよ。」と言うと、 「殿がお帰りになった。」ということで、家中大騒ぎ。 門を開け中に入って来た観硯を見て、妻子は大喜び。 そこで、門脇に置かれていた行李二つを中に入れ、開けてみた。 一つには、 文絞りの綾十疋、 美濃産の八丈絹十疋 畳綿百両が入っていた。 もう一つには、 白い六丈巻の細布十反 紺の布十反 そして、底の辺りに、立文が入っていた。 文を開いて見ると、とても下手な字で、 それも仮名文字で、こう書いてあった。 「先年の壺屋の事件を思い出してください。 その時のことが今も忘れがたく思っていますが、 そのお礼を申し上げる機会がございませんでしたが、 このように上京されると聞きおよびまして、 お迎え申し上げたのです。 あの時の嬉しさは、 いずれの世に行こうとも忘れることはございません。 あの夜に捕まっていれば、 今、生きていられなかったと思いますと、 限りなきご恩を受けたと思っております。」 観硯はようやく事情が分かり、落ち着いてきたのであった。 東国から、大変に貧しい状態で帰京してしまったので 待っていた妻子に恥ずかしいと思っていたが、 立派な物が手に入ったので嬉しかった。 妻子には田舎の土産のように思わせたのである。 〇この話は、観硯自身が語った。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |