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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.26] ■■■
[392] 自業自得
自業自得という四字熟語はよく使われるが、「江戸いろはがるた」の":身から出た錆"と同じような用法が多そう。一方は、仏教用語の業、もう一つは刀身メンテを取り上げた句だ。後者は、いかにも武士が暇な戦乱無き時代の言葉であり、悪因悪果/苦果ということで、善因善果/楽果には使えないから、そういう点では同義ではないが。

そんなどうでもよい話をするのは、この手の些細な点を気にかけさせるよう仕組んだ譚が収録されているから。
  【震旦部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  [巻三#17]羅漢比丘為感報在獄語

学者的に眺めている訳でもないのに、それに気付いたのは、譚末のヒネリがかかっていることが多い一行ご教訓が、ここでは異様に長いから。
  然れば、花開れば、必ず果を結ぶ。
  罪を作れば、定て果を感ずる也。
  此の故に、『阿含経』には、「自業自得果」と説き給へり。
  心有らむ人は、此れを知て、罪を造るべからず。
  又、無実の言を人に負はすべからず

    となむ、語り伝へたるとや。

この「自業自得果」だが、源信:「往生要集」984年 巻上に引用されている。
  獄卒呵嘖罪人、説偈曰:<引用文>
ここが曲者。
源信は「阿含経」ではなく「正法念處經」と書いて引用しているからだ。
「今昔物語集」編纂者が思い込みで間違って書くとはとうてい思えない。従って、恣意的に経典名称を変更したことになる。
  閻魔羅人説偈責言:
  …非異人作惡,異人受苦報,自業自得果、衆生皆如是。
      [瞿曇般若流支[譯]:「正法念處經」543+年 卷七 地獄品之三]

考えてみれば、因果応報という語彙も避けているようだ。大いに引いている「霊異記日本国現報善悪霊異記」など、その著者の言葉を取れば因果応報事例集だと言うのに。

なにか思うところがあったのだろうか。

ちなみに、震旦では、その後、自業自得より自作自受[=自食其果]を使うように。
 大川普済:「五灯会元」1252年 巻十六  師曰:自作自受。

ただ、肝心要の"業"というコンセプトを抜いた表現になっており、思想的にはかなりの違いを感じさせる。それなら、もっと昔からの出爾反爾という用語となんの違いもない印象を与えかねまい。
 曾子曰:戒之戒之!出乎爾者,反乎爾者也。 [「孟子」梁恵王下 十二]

そんなことを、つらつら考えていると、因果の法とは、こういう話ではないと気付かされる訳だ。
それは、最初期の阿含で語られるべきものでは。

"釈迦は、菩提樹の下で、縁起法というものについて悟る処があったと言われている。・・・
平ったく言えば、縁起法とは因果の理法のこと・・・。
・・・人間的な立場をことごとく疑って達したところには、空と呼ぼうと火と呼ぼうとかまわぬが、人間には取り付く島もない、因果律という「無我の法」が現れたに相違ない。そして、無我の法の発見は、おそらく釈迦を少しも安心などさせなかったのである。人間どもを容赦なく焼き尽くす火が見えていたのである。進んで火に焼かれるほか、これに対するどんな態度も迷いであると彼は決意したのではあるまいか。心無い火が、そのまま慈悲の火となって、人の胸に燃えないと誰に言えようか。それが彼の空観である、私にはそう思われます。"
   [小林秀雄「私の人生観」@全集 新潮社第九巻]

話の内容自体には、特筆するような点は見当たらない。
 賓国の比丘、深山に入って仏道修行し、羅漢果を得た。
 その時、郷の優婆塞が牛が失踪したので、捜索していて
 この山に住んでいる羅漢の所に行き着いた。
 すると、羅漢が着ていた黒衣が牛の皮に。
 さらに、バラバラと置き奉っていた法文・正教は、
 切り置いた牛肉に。
 置いてあった菜は、牛に成ってしまった。
 優婆塞はこれを見て、
 「失踪した牛は、この比丘が盗んだ。」と考え、
 帰還後、国王にその旨上申。
 すぐに宣旨が下され、羅漢は捕われ獄に監禁された。
 その間、羅漢の弟子達は、師を探し求めたが、消息不明。
 そして12年という歳月が流れた。
 しかし、弟子達は、ついに獄を尋ねた。
 師と相見和得ることができ、際限無きほど哭き悲しいだのである。
 弟子等は、国王に上申。
 「我等が師は、入獄して、既に12年が経ちました。
  しかも、どのような咎か全くわかりません。
  このお方は、既に羅漢果を得ており、
  舎利弗・目連・迦葉・阿難等となんらかわりがありません。
  弟子達はこの師を失なってしまい、
  12年もの間、探し尋ねておりましたが、分らなかったのです。
  今、獄に於いて、師と相見和得ることができました。
  どうか、大王、ご赦免下さるようお願い申し上げます。」と。
 大王、これを聞いて驚き、使者を派遣して尋ねさせた。
 使者は到着して見てみると、優婆塞のみ。
 比丘の姿形の囚人が居ない。
 その比丘は12年間剃髪しなかったので、長髪姿で、
 自然に還俗なさっていたのである。
 そこで、使者は、
 「この獄に入獄し12年経ってしまった比丘はおらんか?」
 と、4〜5回呼ぶと、一人の優婆塞が答えて出て来た。
 そして、羅漢は獄門を出ると、
 たちまち十八変を現わし、光を放って、虚空に昇ってしまった。

   【注】十八変:菩薩入定の際の神足通の妙用
     (震動・熾然・流布・示現・転変・往来・巻・舒・衆像入身・同類往趣・
     顕・隠・所作自在・制他神通・能施弁才・能施憶念・能施安楽・放大光明)
     [慈恩大師窺基[撰]:「妙法蓮華經玄贊」卷十如來神力品]

 そこで、国王の使者は質問。
 「汝、羅漢の聖者なのに、どうして獄に監禁されたのか?」と。
 羅漢、答えた。
 「我、前世、人に生まれた時、
  只一人、人に無実の言を云ひ負せてしまった。
  にもかかわらず、現世で羅漢果を得た。
  ところが、これまで、その果報を感じることがなかった。
  ようやく、この度、その罪を滅することができたのである。」と。
 そして、光を放って、虚空に昇って見えなくなった。
 使者は帰還し国王に報告。
 国王はこれを聞いて、大いに罪を恐れなさったのである。


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