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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.30] ■■■
[396] 辺疆の覡
「今昔物語集」編纂者は「大唐西域記」を読み込んでいそうだが、辺境への仏教布教がどのようなものだったか、関心があったようだ。

それは、達摩悉鐵帝國。
天竺部の譚ではあるものの、天竺文化圏とは縁遠い。帝が存在するといっても対外的面子からで、武力的優位集団の長にすぎず、実態は小部族併存の合議体に近いと見た方がよかろう。(現在は、おそらくイスラム教圏だろう。部族社会との親和性が高いから安定しているのではなかろうか。)
場所的にはアフガニスタン北東部バダフシャーン州から、パミール高原内を東西に突っ切る、細長く伸びた回廊地帯を支配する部族国家。
ワハーン渓谷と呼ばれ、現代的視線では、タジク・中国・パキスタン・アフガンに囲まれた交通上の要衝であるが、厳しい気候と険しい地形のため外部支配が浸透し難い"辺疆"である。おそらく、20世紀のアフガン内軍事衝突にも一切無縁の生活を続けていただろう。

  【震旦部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#12]羅漢比丘教国王太子死語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」十二 達摩悉鐵帝國ダルマスティティ[護蜜]
 天竺に、
 昔からの神のみを信仰し、仏法を信仰しない小国があった。
 その国の王は、一人息子の皇子を玉のように可愛がっていた。
 ところが、太子が10才になった時、重病に罹ってしまった。
 医療では治癒せず、陰陽道での祈祷も験無し。
 このため、父王は、昼夜嘆き悲しみ年月を送ったが、
 いよいよ太子の病は重くなる一方で、治癒する気配も無い。
 国王は、思い煩っていたが、
 その国には、古代から崇め祭られている神があるので、
 国王はそこに参詣し祈請。
 諸々の財宝を山のように運び入れ、
 馬・牛・羊等を谷に満たし、
 「太子の病を癒し給え。」と申し上げた。
 宮司・巫は、やりたい放題で、
 思う存分、なんでもかんでも、飽きるほど手に入れた。
 と言っても、為す術もないので、
 神が憑依した神主が出てきて言う。
 「御子の御病は、国王がご帰還されると
  平癒なさることでしょう。
  国をご統治され、
  民は安らか、世は平安で、
  天下・国内、皆に喜ぶことに成りましょう。」と。
 国王はこれを聞いて、喜ぶこと限りなかった。
 感に堪えず、帯刀の太刀を外し、神主にお与えになり、
 さらにさらにと財宝を与え給われた。
 このようにすべてが完了し、宮殿に帰還される途中のこと。
 一人の比丘と出会ったのである。
 国王は比丘を見ると、
 「彼は何者なのだか。
  姿形が通常の人とさっぱり似ていない。
  衣も人々とは違っておる、」と問われた。
 そこで、随員が「彼は沙門と申す者。
   仏の御弟子であり、剃髪しております。」と。
 国王は仰せに。
 「それならば、あの方は間違いなく物知りだろう。」と。
 そして、輿を止め、
 「あの沙門を、ここへ召すように。」と。
 仰せに従い沙門参上。
 国王は沙門に、
 「我が一人の太子が、ここ何ヶ月も病に罹っており、
  医の力も及ばず、祈りの験も無い。
  生死のほども全く定まらぬ状況。
  これをどう考えるべきか?」と御下問。
 沙門は、
 「御子は、必ず、お亡くなりになられます。
  お助けするには、私の力ではとうてい及びません。
  それは、国王の御霊の所業だからでございます。
  宮殿にご帰還されるのを待たずに
  お亡くなりになるでしょう。」と言った。
 国王は、
 「二人の言うことは全く異なる。
  誰が言うことが真実なのだ。」と。
 「神主は、"病は平癒。寿命は百歳以上"と言うのに、
  この沙門はこんなことを言う。
  どちらを信用すべきであろうか。」と仰せに。
 そこで、沙門は申し上げ、
 「これは、一時、御心の安息を奉るため、適当に言っただけ。
  世俗の、物を知らぬ人が言うことに、
  どうして 捕われたりなさるのですか。」
 と断
 国王は宮殿に帰還し、直ちにお問い合わせに。
 すると、「昨日、すでに、太子は逝去なされました。」と。
 国王は、
 「ゆめゆめ、人にこの事を知らせてはならない。」と仰せに。
 そして、神が憑依した神主を召すよう、使いを派遣。
 2日ほどして、神主参上。
 国王は、
 「我が御子の病は未だに癒えていない。
  何があったのか。
  不審なので召したのである。」と仰せに。
 神主は再び神を憑依させて言った。
 「どうして、神を疑うのだ。
  "一切衆生を育み哀れみ、その憂いに疏むなどあるまじき。"と
  父母のように誓っておるのだぞ。
  いわんや、国王の苦しんで宣った事をいい加減に対応するなど
  考えてもありえぬこと。
  神が虚言を致すことは無い。
  もし、虚言を申していたなら、我を尊崇するな。
  そして、我の巫も貴ぶべきではないぞ。」と。
 このように、口に任せて言ってしまった。
 国王は、よくよく聞いた後、神主を捕らえ、仰せに。
 「汝等は、長年に渡り、
  人を謀り欺き、世をも謀って、
  人の財宝をなんでもかんでも取り、
  霊神を憑依させ、国王から民まで心を惑わせ、
  人の物を謀り取ってきた。
  これこそ大盗人。
  速やかに斬首し、命を断たねばならぬ。」と。
 そして、目の前で神主の首を切らせた。
 そして、軍を遣わし、神の社を壊し、大河に流した。
 その宮司の上から下まで。大勢の人の首を切り捨てた。
 長年に渡り、人々から謀り取ってきた千万の貯えは皆没収。
 その後、あの沙門を招くようにとの仰せで沙門参上。
 国王は自ら出向き、宮殿内に招き入れ、高座をとらせ拝礼。
 「我は、長年あの神主達に謀られていて
  仏法を知らず、比丘を敬うこともしなかった。
  今日からはずっと、藉口を信じない。」と。
 比丘は、国王のために説法。
 国王をはじめとして、これを聞いて、限りなき程に尊び礼拝。
 すぐに、その地に寺を建造し起塔。
 この比丘を住まわせ、数多くの比丘をも住まわせて、常に供養。
 ただ、その寺に不思議なことが起きた。
 仏像の上に天蓋が有りあり、素敵な宝で荘厳に飾られていた。
 それは極めて大きなもので、天井に懸かっていたが、
 寺に入った人が仏の周りを回り巡ると、それに従い天蓋も回った。
 人が止めると、天蓋も止まる。
 その事は、今の世の人々も、わからなかった。
 「仏の御不思議の力だろうか。
  そうでなければ、工人の立派に仕上げた作り物か。」
 と言われていた。
 その国王の時代で、その国の巫は途絶えた。


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