→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.1] ■■■
[398] 甘露樹
"甘露"が気になったので、取り上げてみたい。

「今昔物語集」編纂者は、甘露を現代用語と同じような意味で使用しているので驚かされたのである。
というか、こんなところにも、天竺…震旦…本朝の文化的違いが顕在化しているからだ。

"甘露"は薬師如来の薬壺に入っていると言われることでおわかりのごとく、天竺では薬である。
  供養し奉る毒、返て甘露の薬と成ければ、皆食し給ひつ。[【天竺部】巻一#12]
"阿修羅の乳海攪拌"神話に登場してくる、長生不老藥のアムリタを指す。

一方、震旦では、甘美な雨露となる。君主あるいは天子が賢徳であると、天から降ってくるのである。要するに、天命思想に基づく瑞相を示す語彙。アムリタの翻訳語に当てた訳である。
  天人、比丘の所に来て、天の甘露を以て供養す。[【震旦部】巻七#_7]
  甘露、雨降る事、既に国内に満てり。[【震旦部】巻七#11]

乾燥気候地ではない本朝では、この辺りがどうもお気に召さなかったのか、甘くて美味しく寿命が延びる気にさせる水という概念にしたようである。
と言うことで、「今昔物語集」のこの譚では、樹神が指先から出す"甘水"が"甘露"に変えられたと見る。

尚、この甘露樹神だが、小生は燈台樹/車水木を意味しているのではないかと思う。

そうそう、登場人物は、有名人の親族である。
[兄] 須達多/給孤独長者…祇園精舎[@舎衛城]寄進
[弟] 鳩留/須摩那長者
   └[子] 須菩提

原典かどうかは定かではないが、つきあわせてみた。
  <出>「十卷譬喩經」卷二
    @「經律異相」卷三十六 雑行長者部下8
鳩留飢遇樹神因得信解
  【天竺部】巻二天竺(釈迦の説法)
  [巻二#27]天竺神為鳩留長者降甘露語

昔有長者名鳩留。不信今世後世善惡報應。
天竺に一人の長者有り。鳩留と云ふ。
與五百人共行治生。
五百人の商人を引き具して、商の為に遠き国に行く間、
未到他國絶食三日。
途中にして粮尽て、皆疲れ臥ぬ。
前行遥見叢林。
長者、思ひ煩ひて、見廻すに、遥に人の栖か離たる所也。
 山辺に盛なる林有り。
想是居家。
「若し、人郷か」と思ひて、近く寄て見れば、
到見樹神。
人郷には非で、神の社也。
 寄て社を見れば、神在ます。
即爲作禮。
 其人飢乏。
長者、神に申て云く、
 「我れ、五百人の人を引具して、遠き道を行く間、
 粮尽て、既に餓死なむとす。
 神、慈悲を以て我れを助け給へ」。
神即擧手。
 五指端自然出飮食甘水與之。
其の時に、神、手を指し述べて、
 指の崎より甘露を降す。

長者、其の甘露を受て服するに、忽に餓への苦び皆止て、
 楽しき心に成ぬ。
鳩留飽滿復大號哭。
 神問何故。

答曰。
其の時に、長者、又神に申さく、
吾伴五百人皆大飢渇。
「我れ、甘露を服して、餓の心皆止にたり。
 然れども、其の具したる五百人の商人、
 同じく餓臥して、皆死なむとす。
 彼等が苦びを助け給へ」と。
神令呼來。
神、又五百人の商人等を召て、
復與飮食。人馬皆足。
手より甘露を降らしめて、各皆服せしめ給ふ。
鳩留問神。
商人等、甘露を服して、皆餓の心止て、本の如く力付て、
 道心に神に白て言さく、
本有何福自致如是。
「神、何なる果報在まして、手より甘露を降らしめ給ふぞ」と。
神曰。
神、答て宣はく、
我本迦葉佛時作貧窮人。
 恒於城門磨鏡。
「我れ、昔、迦葉仏の世に人と生れて、
 鏡を磨て、世を過す人と有りき。
有沙門出入。
而に、乞食の沙門、道に遇て、
常喜指示分衞之處。及佛圖精舍。
『何れか富める家』と問ひしに、
 我れ、手を以て富人の家を、
 『彼の富める家』と指を差て教たりき。
如是非一。
 壽終生此。
 自然受福無所乏短。
其の果報に依て、
 今、手より甘露を降す報を得たる也」と。
長者心悟大修布施。
 日飯八千人。
 涛米之汁流出城門。
 足以乘舟。
鳩留、此の事を聞畢て、歓喜して、家に返ぬ。
 其の後、千人の僧を請じて供養しけり。
後生第二天上。作散花天人


此れ、仏在世の時の事也。
 仏、此の如くなむ説給ける
    となむ、語り伝へたるとや。

 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME