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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.3] ■■■
[400] 李神通
李神通[577-630年]は唐高祖の從父弟であり、初年大臣。軍人である。
永康王・淮安王に封じられている。山東道安撫大使でもあった。 [「舊唐書」卷六十列傳第十宗室 淮安王神通]
出生時の名前は李寿。

この李寿が登場する譚がある。
   <粗筋>
 兌州都督遂安公は唐朝の王族なので王に封じられた。
 官職から離れてから、
 もともと田猟を愛好していたので、常に沢山の鷹を飼っていた。
 そのため、常に餌として犬肉を喰わせていた。
 重病を患い、夢をみたが、五匹の犬にその殺しを咎められた。
 それを従者のせいにしようとしたが
 犬は従者は命令に従ったに過ぎまいと責められる。
 食を盗んだこともないのに、
 門前を通過しただけで殺されてしまったと、さらに責められたので
 追善供養で赦免を頼み込んだが
 なかの1頭の白犬だけは納得しない。
 そこに、
 殺したところで意味なく、追善供養させた方がよいとの声もあり、
 安公は蘇生することができた。
 しかし、命だけは助かったものの、身体は不自由で
 追善供養しても元にはもどらなかった。


特別注目したい点がある訳ではなく、至極些細な点が気になったので取り上げてみたい。

出典は「冥報記」。
そこで、そこから同じように引いた「太平廣記」と比較してみたい。
ただ、これにどこまで意味があるかは定かではない。用いている「今昔物語集」のテキストは元本が焼失しており、本当にママか確かめる術がないからだ。(間違ってはこまるが、学者的な観点で底本問題を取り上げたい訳ではない。)

このテキストによれば、この話の冒頭、底本に頭注がついているそうだ。
「今昔物語集」では"兌"だが、これは"交"の誤入との記載。
この手の注だと、書写による間違いか、で通りすぎるのが普通だが、少々気になったのである。

と言うのは、"唐朝の宗室として王に封ぜられた"旨の余計な一行が加わっているからだ。ここは編纂者が加えた可能性もあろう。何故かと言えば、李寿は史書で使われる名前ではないからだ。
つまり、「冥報記」を単に引いて適当に翻訳している訳ではなく、その人物についてチェックを加えていることになる。

そこでである。
これは、はたして誤記か、考えさせられる訳である。
李寿が、確かに、交州[@嶺南安南]都督に任ぜられたのなら、そうなるが、兌州[@山東済寧]辺りに関係が深かった人物なので、編纂者が手を入れた可能性もあるのでは。

マ、以上、素人の当てにならない馬鹿話。

こんなことを書いてみたのは、実は、元ネタを変えている箇所があるから。
よく注意していないと気付かないが、論理性担保のためである。

「冥報記」では、犬は"不盜汝食"と主張。しかし、野良犬として、他家の食を盗んでいるなら、その罪を罰する必要ありとの反論が成り立つ。
「今昔物語集」は、その部分を"他の食を盗まず。"として、周到に反論できぬようにしてあるのだ。飼い犬が通りをウロチョロする訳もなく、野良なのは当たり前だが、盗み喰いはしていないと強引に主張していることになる。
ナンダロネ、この犬は。

さて、つきあわせるとこうなる。

  「冥報記」逸文唐交州都督遂安公李壽
  <出>「冥報記」@李ム:「太平廣記」卷百三十二報應三十一殺生 李壽
  【震旦部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚)
  [巻九#22]震旦兌州都督遂安公免死犬責語

唐交州都督遂安公李壽,
今昔、震旦に、兌州都督、遂の安公、
 李寿は、始め宗室と云を以て王に封ず。

貞觀初,罷職歸京第,
貞観の始に職を罷めて、京の第に還る。
性好畋獵,常籠鷹數聯,
此の人、本より、性田猟を好て、常に鷹を多く聯たり。
殺鄰狗鷹。
然れば、犬を殺して、鷹に飼ふを以て役とす。
既而公疾,
而る間、安公、忽に身に重き病を受て、死たるが如し。
見五犬來責命,
夢の如くに見れば、五の犬出来て、我が命を責む。
公謂之曰:
 「殺汝者奴通達之過,非我罪也。」

安公、犬に向て云く、
 「汝等を殺せる事は、我が従者通達が過也。更に我が罪に非ず」と。

犬曰:
 「通達豈得自任耶?
  且我等既不盜汝食,
  自於門首過,而枉殺我等,
  要當相報,終不休也。」

犬の云く、
 「通達、豈に自らが心に任せて殺む。
  亦、我等は他の食を盗まず。
  只、門より過るを、狂我等を殺す。
  必ず其の事を報ぜむと思ふ」と。

公謝罪,
 請為追福,
 四犬許之。

安公の云く、
 「我れ、罪を謝して、
  汝等が為に追て善を修せむ」と請ふに、
  四の犬は既に此の事を許す。

一白犬不許,曰:
 「既無罪殺我,
  我未死間,汝又生割我肉,臠臠苦痛,
  我思此毒,何有放汝耶?」

一の白き犬有て、此の事を許さずして云く、
 「我れ、既に罪無くして殺さる。
  亦、未だ死せざりし時に、汝ぢ、我が肉臠を割て、苦しび痛む事限り無き。
  其の恨み、忘れ難し。我れ、此の事を思ひ出づるに、何ぞ許す事有らむや」と。

俄見一人,為之請於犬曰:
 「殺彼於汝無益,
  放令為汝追福,不亦善乎!」

其の時に、俄に一人出来て、犬に請ふて云く、
 「汝等、讐を報じて、此の人を殺せりと云ふとも、豈に、汝等が為に益有らむや。
 遂に免るべし。此の人、汝等が為に善を修せむに、善き事に非ざらむや」と。

犬乃許之。有頃公蘇。
其の時に、其の許さざる一の犬も、此れを聞て、「許す」と思ふ間に、安公、活れり。
遂患偏風。肢體不遂。
然れども、支体、猶安からずして、心、思ひの如くに無し。
是為犬追福。而公疾竟不差。
其の後、安公、犬の為に専に善を修しけり。但し、病、遂に善く止まず。

【ご教訓】然れば、殺生の罪み、極て重し。
   人、此れを聞て、永く殺生を止むべし
     となむ、語り伝へたるとや。


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