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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.7] ■■■
[404] 摩訶迦葉
摩訶迦葉は釈尊の法嗣。拈華微笑はそれを示すための逸話であろう。釈尊入滅後は、教団をまとめる象徴的存在としての役割も担ったのだろうが、その活動は一貫して"頭陀第一"と呼ばれるほどの清廉なものだったようである。
それを示す譚が収録されているので、見ておきたい。
  【天竺部】巻二天竺(釈迦の説法)
  《6-7弟子による教化》
  [巻二#_6]老母依迦葉教化生天報恩語

求那跋陀羅[譯]:「佛説摩訶迦葉度貧母經」としてまとまっている位なので、おそらく、仏教徒は必ず聞かされる説話だと思われる。それだけに、どう収録するか悩んだのではなかろうか。

この話の核は、貧女が、異臭がする米の研ぎ汁を摩訶迦葉に供養した点にある。
実は、ここらが難しいところ。

清少納言が田植え作業の辛さなど全く知らないで単なる風景として愛でたりするのと同じで、発酵米汁は貧困層には立派な日常食であることを知らないと、そこらを誤解する。米汁しか恵んでもらえないが、それなりの栄養分を摂取できる食いモノであり、それに依存して日々の生活を送っているのである。

摩訶迦葉は、その貴重な一杯を頂戴したのである。
釈尊は、そのような実態を知っているとはとても思えない阿難に、「此の老母の施する所、微少也と云へども、心を至せるに依て、得る所の福、甚だ多し。」と説教するが、おそらく実感は湧かないで聞いたことだろう。老母 の生活実態からすれば、決して微少なモノを供養している訳ではないからだ。
おそらく、「今昔物語集」編纂者はそれに気付いている筈。本朝の底辺層の人々の実態をすでに知ってしまったからだ。
つまり、もともとの話を推定してから、この譚を味わうように、という姿勢で収録したと見る訳である。

例えば、こんな風に想定せよということ。

摩訶迦葉にとっては、巷の貧民街に住む糞聚の中に入り乞食を行うことが、頭陀としての最重要な修行。
もちろん、食を貧民に乞うのだが、なかには病気で動けず逆に食を乞われることもあり、僧が俗に布施を行うことになる。
老女が発酵米汁を摩訶迦葉に供養したのは、その恩を忘れていなかったということ。これぞ仏教の孝養であろう。

言うまでもないが、供養という善行で、現報を得て糞聚の貧しさから逃れることなど望み薄。次の世に望みをかけるしかない訳で、摩訶迦葉は僧としてそれに応えた訳である。
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