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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.13] ■■■
[410] 女神取り込み
👸現代インドでは、女神信仰が盛んといってもよかろう。(ドゥルガー、カーリー、サラスヴァティ、ラクシュミー、等々)
大家族制を、寡婦殉死(あるいは新家長妻化)という慣習が支えてきた以上、それは当然のことでもあろう。

「今昔物語集」には、そのような女神を祀る大祭典を彷彿させるシーンを組み入れた譚が収録されている。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  《1-15 弟子》
  [巻四#14]天竺国王入山見裸女令着衣語

現代の祭典だが、一般的には古代から綿々と繋がるとされている。それはその通りだろうが、儀式の様式は同じではなかろう。従って、その根底に流れていそうな考え方を想定する必要がある。

まず、押さえておくべきは、ベーダ経典類に基づき、婆羅門が執り行うことになるものの、その本質は土着的な祭典である点。表面的には宗派性を感じさせるものの、実態的には開放的だった筈だ。
それは、多額の費用が必要だからで、豊かな複数の階層が互いにからみあってくるから、祭祀関与者を宗派性で絞ることはなかろう。
そのことは、派手で注目を浴びる式次第が喜ばれることを意味しよう。また、信仰対象の女神像にしても、もともとは着衣だったろうが、身分や階層を超越するために裸身化することも少なくなかった筈だ。性的表象を隠蔽するどころか、公然化させることを好む風土でもあるし。
(土着信仰由来は別だが、主要仏像は中性表現であり、性的表象は避けている。)

このような祭祀では、女神前で、甘露が振る舞われ、供物が分けあたえられるのが、基本パターンと考えてよいのでは。

そして、宗教的祭祀とはいえ、それを政治的権力を握る層が知らん顔をしている訳もない。しかし、その関与の仕方は一律的なものだったとも思えない。祭祀に対する最善スタンスが自明ではないからだ。

・・・と言うような考えが、どうしても浮かんで来るのである。

もっとも、話の筋をいくら追ったところで、それを示唆している部分が見つかる訳ではない。比丘はいないものの、在家仏教徒だけの社会であるし、女神的といっても、前世外道とか反仏教という訳ではない。単に、"衣供養を止めさせた報い"のお話以上ではない。

 国王が大勢の人を率いて狩猟のために入山。
 行き疲れてしまったので、周囲を眺めると、
 山中の大樹の元に金の床があり裸の女が居た。
 怪しいと思い、その素性を尋ねた。
 女:「己は、手より甘露を降らすことができる。」
 国王:「それなら、すぐに降らせてみよ。」
 すると、女は手を指し伸ばして甘露を降らし、国王に奉った。
 国王は疲労困憊だったが、
 この甘露を服用したお蔭で気分が楽になった。
 その後、
 この女が裸だったので、衣を一つ脱いで与へたのだが、
 衣の内側から出火し焼けてしまい
 「これは自然現象だろうか?」と考え、
 さらに衣を脱いで与へたが、同じこと。
 それが三度にわたったので、国王は驚き怪しんだ。
 国王:「汝は、何故にこの様に衣を焼いてしまい、服を着ないのか?」
 女:「我は、前世、国王の后でございました。
   国王が微妙の食を備え、沙門に供養なさったのです。
   さらに、衣をそえて供養なさったのですが
   我れは、后として、食だけは諸僧共に供養したのですが、
   衣については、申し上げて供養させないようにしました。
   この果報で、今、手から甘露を降らすことができるのですが
   一方で、衣が着られない報を受けたのでございます。」
 国王哀れむ。
 国王:「その衣を着れない報は、どうすると、変えることができるのか?」
 女:「沙門に衣を供養し奉り、ただただ我が為にと念じ下だされば。」
 そこで、還宮の後、すぐに微妙な衣を用意し、
 沙門を招請し供養するおつもりだったが、
 国には沙門が絶えてしまっており、供養ができなかった。
 思い悩んだ末、五戒を遵守している優婆塞を招請。
 事の次第を知らせ呪願し、
 「この供養を受納するように。」と、微妙の衣を供養されたのである。
 持戒の優婆塞は仰に従い、衣を捧げ持ち呪願。
  その上で、国王は女の所に足を運び、
 衣を授与して着せると、なんらの支障もなかった。

【ご教訓】
夫妻の間、一人有て沙門を供養せむに、心同くして止むべからず。

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