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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.14] ■■■
[411] 温室と阿弥陀経
本朝で有名な湯屋は、光明皇后の千人施浴の地か。現在も、光明会節会の空風呂が存在するものの、1766年頃の再建らしい。このため、伝説に合わせて建造した印象を与えるが、大仏建造のパトスがあった時代だから実話ではなかろうか。
古い建物としては 東大寺の大湯屋(8x5間 釜形巨大鉄湯舟の"温室院"[蒸風呂])があるが、1239年再建。ただ創建は平城京の頃らしい。興福寺大湯屋(4x4間)は1426年再建で2つの鉄湯釜がある。法隆寺大湯屋の再建はさらに遅く1605年。
尚、飛鳥の川原寺遺構から鉄釜鋳造施設が出土しており、仏教伝来時から風呂は重要施設と見なされていたようだ。

それにしても極楽往生のためには施浴が不可欠とは。浅学な小生にとっては初耳。
風呂に入ると、"生き返った"感を味わうことができるとは言え。
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
  <31-48 経>
  《40阿弥陀経》
  [巻六#40] 震旦道珍始読阿弥陀経語
  ⇒「三寶感應要略」中24道珍禪師誦阿彌陀經生淨土感應(出瑞應傳等文)
  ⇒道宣[撰]:「續高僧傳」645年 卷十六 習禪初3梁江州廬山釋道珍傳

もちろんのこと、経典類も存在している。
  安世高[譯]:「仏説温室洗浴衆僧經」
     (大醫王の耆域長者に対して、衆僧を温室で沐浴する功徳の説法)
  安世高[譯]:「大比丘三千威儀」
     (入浴室有二十五事、入温室有二十五事の記載)
  釋慧皎[撰]:「梁高僧傳」卷五義解二1晉長安五級寺釋道安
    「甚可度耳,然須更浴聖僧,情願必果。」具示浴法。

お話自体は単純で、お風呂の話がある訳ではない。
 梁代の僧 道珍[6世紀の浄土教者@廬山]は、
 専心念仏で、水観
[「観経」の水想観]を修めていた。
 ある時、夢で水を見た。
  100人が乗る西方行きの船がいたので
  乗ろうとすると拒絶された。
  そこで、
  「我は、一生、西方の業を修して来た。
   どうして、乗船が許可されないのか?」と質問。
  船の人の答は、
  「法師の西方の業は要件を満たしていない。
   なんとなれば、未だに阿弥陀経を読んでいないから。
   さらに、温室も行っていないし。」というもの。
  言い終えて、船の人はすぐに去ってしまった。
 その後、道珍は、
 初めて阿弥陀経を読習。
 又、大勢の衆僧を 集めて沐浴させた。
 その後、又、夢を見た。
  白銀の楼台に乗って来た人がおり、道珍に語った。
  「汝の浄土の業、要件を満たしたによって、
   必ず西方に生まれることになろう。」と。
 告げられたところで、夢から覚めた。
 その後、こうした事を人には語らずに、
 紙に記載し、経筥の中に入れ、納め置いたのである。
 そのため、このことを知っている人はいなかった。
 道珍がご臨終を迎えると、
 山の頂に、数千の火を燃したような光明が生まれた。
 そして、嗅いだことなき香りが寺内を満たした。
 と言うことで、「必ずや、極楽転生。」と、皆、納得。
 後になって、弟子等が、師の経筥を開け、
 かの記を見つけた。
 そのため、この事が世の中に広まって、
 ますます信仰が深まったという。

【ご教訓】
阿弥陀経は必ず読奉るべき経也。
亦、温室の功徳も量り無し。

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