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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.15] ■■■
[412] 彌陀・観経読誦受持
୨❣୧本朝で言う、浄土三部経のうち、
 鳩摩羅什[譯]:「佛説阿彌陀經」402年
 良耶舎[譯]:「佛説觀無量壽佛經」430-442年
 康僧鎧[譯]:「佛説無量壽經」252年
二経読誦受持で極楽往生した話が収載されている。
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
  <31-48 経>
  《44 観無量寿経 阿弥陀経》
  [巻六#44]震旦僧感持観無量寿経阿弥陀経語
  ⇒「三寶感應要略」中26并州僧感受持觀經阿彌陀經生淨土感應

三部経を設定したのは、後世のこと。法然[1133-1212年]によるとされている。尚、現代中国では五経ということで、さらに2つの品が追加されるらしいが、17世紀の設定である。

小生の印象からすれば、震旦での浄土教は、"理"から"情"の流れで生まれたもの。読誦をベースとした観想に意義を認めていたようだ。従って、量的に読誦没頭生活を送っていれば、往生シーンが夢に出現するのはある意味必然では。
その流れの先には、"称名念仏"一途信仰がある。本朝では奔流化するが、震旦では少数派から脱することはなかった。採択譚で、三部ではなく、二部読誦なのは、そこらの違いと見てよかろう。
「今昔物語集」編纂者は、それを指摘したかったのかも。

それに、震旦では、三部にしようとのパトスは湧かないようだし。

一方、本朝では三部とすると収まりがよいらしく、"浄土"、"大日"、"法華"、"弥勒"、"鎮護国家"と揃い踏み状態。その大元は、天台大師が、法華経に、前段経と実践結経を指定したことだが、他の三部とは概念が異なっている。法華経には、最重要経典と記載されているからである。あくまでも主経と脇経二部という構造であり、三経が並んでいる訳ではないからだ。
  此法華經、亦復如是,於諸經中、最為其上。・・・
  聞是藥王菩薩本事品者,亦得無量無邊功コ。・・・
  聞是經典,如説修行,於此命終,即往安樂世界,
    阿彌陀佛、大菩薩衆,圍繞住處,・・・

   [鳩摩羅什[譯]:「妙法蓮華經」卷六23藥王菩薩本事品]

 僧感の并州の僧。
 発心し、観無量寿経と阿弥陀経を受持。
 長年にわたり、これを業としていた。
 すると、夢で
  自分の身体に翼が生えて来た。
  実に稀有な事と思い見てみると、
  左の翼に観無量寿経の文が有り
  右の翼に阿弥陀経の文が有った。
  そこで、この翼を使って飛ぼうとしたが
  体重が少し重すぎて飛べなかった。
 そこで夢から覚めた。
 その後、いよいよ信心を深くし、
 この二経の読誦受持を怠らずに専念。
 それから3年経ち、又、夢を見た。
  翼は前の如くで、飛ぼうとすると、体重が少し軽くなっていた。
 そこで夢から覚めた。
 その後、いよいよ信心を深くし、経を受持し、
 2年経ち、又、夢を見た。
  翼は前の如くで、飛ぼうとすると、身が軽い。
  そこで、虚空に、自在に飛び昇ることができた。
  そのまま西方を目指して飛んで行き、極楽の地に到着。
   そこには、極楽の一仏二菩薩がいらっしゃった。
  そして僧感に告げたのである。
  「汝は、懃勉に二経を受持した力で、この界に到来したのである。
   汝は、速やかに娑婆に帰還し、日毎に四十八巻を読誦するように。
   そうすれば、一千日後に、当地の上品の地に転生できる。」と。
 そう教えられて、夢から覚めた。
 その後、夢の教えに従い、誠の心を尽くし、日毎に四十八巻を読誦。
 3年経ち、命を終えた。
 すると、僧感が臥せていた所に、突然、九茎の蓮華が生えてきた。
 七日経っても、萎が落ちなかった。
 人々は、これを見て、歓喜。
 希有な事であり、皆、僧感の極楽往生は間違いないと讃嘆。


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