→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.24] ■■■ [421] 文君駆落 言うまでもないが、大元は史書である。 司馬遷:「史記」卷百十七列傳57司馬相如列傳 班固:「漢書」巻五十七上/下列傳27[上/下]司馬相如傳 単なる恋愛物でしかないように映るにもかかわらず、司馬遷は長文にしており、えらく力が入っている。 ただ、「今昔物語集」の収録譚とはかなり違う。・・・ そもそも、富豪の娘で寡婦。二人の出会いは父の開いた宴会。駆け落ちされて、親は立腹し勘当同然。 しかし、貧しいので、二人で下賎な酒場事業を始めてしまい、有名になってしまったので、止めさせるために資産を与えたという筋。 当然ながら、卓文君が絶世の美女である必要はない。 それに、その後の話を重要視。司馬相如は賦の文章家として宮廷へ。ここを小説的に仕上げたいなら、妾をとり文君怒るが、宮廷生活が終わり元の鞘に、となる。 思うに、司馬相如は出世そのものには興味が薄く、辞賦家として名を残したかった人だろう。そのためには富は不可欠であり、卓文君がそれを支えたとの構図では。一方、卓文君の父親は、宗族の誇り(一族の恥は子々孫々)"信仰"が根底にある富貴・権威主義者。落ちぶれた家の息子と娘の婚姻に利などあろうはずがない。 「今昔物語集」編纂者が、そんな展開に気付いていないとは思えない。これは余り面白み無しということで、翻案小説を持って来たと考えるのが自然。 【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])📖「注好選」依存 <16-27 武将・文官> ●[巻十#26] 文君興箏値相如成夫妻語 漢代。 国王に仕える文君は容姿が世に並び無い程に端正。 際限なく国王から寵愛を受けていた。 見た人は、皆、賛辞。 と言うことで、文君を妻にしたいと、大勢の人が懸想。 しかし、若いし、男に触れた事も無い、禁中の身。 その頃、年若く美麗で、 箏を世に並び無くほど弾奏する相如と云ふ男がいた。 その演奏を聴く人は皆感動。 ある時、相如が、簾外で箏を弾奏し、 文君は、簾内でこれを聞いていて、 哀れ、目出たく、際限なきほど感じ入り 終夜寝ずに聞いていた。 相如もこれを知り、手を繰り出し、一心に弾いた。 暁になり、聞いていた文君、心に染み哀れに感じ入り 簾の外に出て来て、相如に会った。 相如は、年来、文君に心していたので、 こんな風に会うことができ、限りなく喜び、 文君を抱きかかえ、密かに出奔。 家に行って、契を交わし同棲生活を始めた。 世間にはこのことは漏れなかったので 文君の父は、既に亡き者として 東西南北を騒ぎ探索することを止めてしまったが その2年後、遂に、このことを聞きつけた。 喜び、衾と銭3万を送り届けたのである。 【人々の言い様】 文君、感に堪へずして、身を棄てて、出でて会けむ、何許なりけむ。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |