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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.24] ■■■
[421] 文君駆落
卓文君と司馬相如[前179-前117年]の恋は有名である。おそらく、中国語の翻案物は現代まで続いていることだろう。

言うまでもないが、大元は史書である。
  司馬遷:「史記」卷百十七列傳57司馬相如列傳
  班固:「漢書」巻五十七上/下列傳27[上/下]司馬相如傳


単なる恋愛物でしかないように映るにもかかわらず、司馬遷は長文にしており、えらく力が入っている。
ただ、「今昔物語集」の収録譚とはかなり違う。・・・
そもそも、富豪の娘で寡婦。二人の出会いは父の開いた宴会。駆け落ちされて、親は立腹し勘当同然。
しかし、貧しいので、二人で下賎な酒場事業を始めてしまい、有名になってしまったので、止めさせるために資産を与えたという筋。

当然ながら、卓文君が絶世の美女である必要はない。
それに、その後の話を重要視。司馬相如は賦の文章家として宮廷へ。ここを小説的に仕上げたいなら、妾をとり文君怒るが、宮廷生活が終わり元の鞘に、となる。

思うに、司馬相如は出世そのものには興味が薄く、辞賦家として名を残したかった人だろう。そのためには富は不可欠であり、卓文君がそれを支えたとの構図では。一方、卓文君の父親は、宗族の誇り(一族の恥は子々孫々)"信仰"が根底にある富貴・権威主義者。落ちぶれた家の息子と娘の婚姻に利などあろうはずがない。

「今昔物語集」編纂者が、そんな展開に気付いていないとは思えない。これは余り面白み無しということで、翻案小説を持って来たと考えるのが自然。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])📖「注好選」依存
  <16-27 武将・文官>
  [巻十#26] 文君興箏値相如成夫妻語
 漢代。
 国王に仕える文君は容姿が世に並び無い程に端正。
 際限なく国王から寵愛を受けていた。
 見た人は、皆、賛辞。
 と言うことで、文君を妻にしたいと、大勢の人が懸想。
 しかし、若いし、男に触れた事も無い、禁中の身。
 その頃、年若く美麗で、
 箏を世に並び無くほど弾奏する相如と云ふ男がいた。
 その演奏を聴く人は皆感動。
 ある時、相如が、簾外で箏を弾奏し、
 文君は、簾内でこれを聞いていて、
 哀れ、目出たく、際限なきほど感じ入り
 終夜寝ずに聞いていた。
 相如もこれを知り、手を繰り出し、一心に弾いた。
  暁になり、聞いていた文君、心に染み哀れに感じ入り
 簾の外に出て来て、相如に会った。
 相如は、年来、文君に心していたので、
 こんな風に会うことができ、限りなく喜び、
 文君を抱きかかえ、密かに出奔。
 家に行って、契を交わし同棲生活を始めた。
 世間にはこのことは漏れなかったので
 文君の父は、既に亡き者として
 東西南北を騒ぎ探索することを止めてしまったが
 その2年後、遂に、このことを聞きつけた。
 喜び、衾と銭3万を送り届けたのである。

【人々の言い様】
文君、感に堪へずして、身を棄てて、出でて会けむ、何許なりけむ。

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