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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.29] ■■■
[426] 無面識死者の葬儀請負
「儒」という漢字は、常識的に考えれば、雨を降らす神と交信する、髭を生やした巫者を意味している。雨乞いだけでは生業化は困難だから、実際には葬儀祭祀者を指す文字と見て間違いなかろう。
これが、儒者の出自と見るべき。
宗教としての儒教の根幹は血族第一主義だが、葬儀とはその信仰確認の一大行事に他ならないということでもあろう。
つまり、葬が最重要儀式ということ。

従って、出来る限り厳密で、身分毎に細かく規定された葬儀の仕来たりが設けられることになる。そして、それに従うことが、社会的"義務"として要求される。コレ、風習を大事にしていると錯覚しがちだが、その本質は、儒者の規定する秩序に従わせるだけの話。
震旦の社会は、昔から、表面上で非儒教の方針をとっていても、現代まで一貫してこの思想で貫徹されている。それが、帝国的秩序維持に不可欠だからだろう。一方、本朝では、「古事記」での葬儀記載が極めて限定的なことでわかるように、葬儀次第は社会の秩序維持に重要ではなかったから、宗教部分を取り去った儒教が移入されたとも言えよう。
ここらは、何回も繰り返して記載しているが、極めて重要なものの見方である。

「酉陽雑俎」の著者や「今昔物語集」編纂者は、おそらく、早くから震旦に於ける葬儀が果たす役割に気付いていたと思われる。

だからこそ収録したと思われる、一面識もない、行きずりの人の葬儀を行った譚を見てみよう。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  《16-27 武将・文官》
  [巻十#22]宿駅人随遺言金副死人置得徳語

 他州へ行く途中、日が暮れてしまい、駅で宿泊したところ、
 前から泊まっていた、病んだ人がいた。
 互いに全く知らぬ同士だったが、その人に呼ばれたので
 近づいて話を聞いた。
 「我、旅の途中罹病し、こうして居る。
  ついに、今夜、死ぬことになる。
  ついては、吾輩の腰に、金20両が有るので、
  我が死んだら、遺骸を納棺し、
  その金を一緒に納め置いて頂きたいのだ。」と。
 それを聞いて、
 「汝の姓は?名は?
  どの州から来られたのか?
  親は存命か?」等々、
 質問したのだが、答えてもらう前に絶命してしまった。
 奇異なことと思いながらも
 腰の物を点検すると、確かに金20両が有った。
 哀れみの心がつのり、死人の言う通り、
 その金のうち、少額で、納棺に必要な物を供具共々買い揃え
 残りを、約束通りに、一銭も残さずに副葬し納めた。
 結局、何処の誰かわからなかったが、
 葬儀を行ってから、家に還ったのである。
 その後のこと。
 思いがけなくも、飼い主不明の馬が、一頭迷い込んできた。
 馬を見ると、なにか訳ありのようなので、繋いで飼うことに。
 ところが、さっぱり持ち主が現れないのである。
 さらに、その後のこと。
 (つじかぜ=)が吹き、縫物の衾の巻物が飛んで来た。
 これも又、訳あり臭いと思い、取り置いた。
 同じように、持ち主を尋ねても見つからない。
 その後、来訪して来た人がおり、
 「この馬は、我が子の馬であるし、
  衾も、彼の物で、に巻き揚げられ飛んだもの。
  すでに、君の家には、両方共に有るが、
  これは、どういうことなのだ。」と言う。
 そこで、家の主人は事情を説明。
 来訪者は、離れた場所から来たところを見ると、
 君には徳があるに違いないという。
 家の主人は、
 「我に徳などございません。
  但し、駅に宿泊した折、
  病んで患って前からお泊りの方が亡くなり、
  彼の遺言通りに、腰に付けていた金20両で
  葬儀を行い、残りを言われた通り副葬したことはございました。
  姓名や住所を尋ねたのですが、答えを聞く間も無く
  すぐに息を引き取ってしまったのです。」と。
 すると、その来訪者は、
 地に臥せ、身体を丸め、限りなく泣く。
 「その死んだ人とは、我が子です。
  この馬も、衾も、皆、彼の持ち物なのです。
  君が、彼の遺言通りに行ってくれたので、
  その隠徳で、験が顕れたのでございましょう。
  馬も衾も、天に居る彼が遣わしたのです。」と言い、
 馬も衾も取らずに、泣々く還って行った。
 家の主は、馬も衾も返却しようと、渡したのだが、
 遂に取らずに去って行ったのである。
 その後、この話が世の中に広く伝わると、
 「この人、よこしまな(/ゆがめる)心が無く素直。」
 との評判がたち、重用された。


前段話をしたのは、その感覚を欠くと、この話の意義がわからなくなるから。

譚としては、葬儀を頼まれた人が真面目に遺言通りに行ったことになるが、これぞ儒教や道教とは違うところ。葬儀専門の宗教家が執り行っている訳ではないのだ。

儒教の葬儀コンセプトは3段階と見ることもできよう。この譚は、そんなことを想起させるために設定された気もする。・・・

❶最初は葬儀者設定。
誰が執り行うかが極めて重要となる。ただ、行為内容は単純で、死去確認と遺体処理を重々しくしているだけ。(埋葬の儀前の、殯期間とも言える。)しかし、哭き女登場が示すように、喪主が葬儀を開始することを、社会へ"告知"する象徴的行為が含まれており、ここらが肝だろう。(親族の自然発生的な悲しみ発露を抑制し、標準化された無感情な形式的儀式にさせることに意味がある。)専門家がしつらえた次第に則り、宗族のしかるべき人が喪主となって執り行われることを社会に認知させることに意味がある訳だ。
この譚では、死にゆく人はそれを全く気にかけていないようだが、遺言を聞く側は、社会通念として最低限のことを知ろうとしているのが印象的である。
本来的には、見知らぬ人に葬儀を頼むなどおよそ儀礼から外れた行為と言えよう。しかし、仏教だとそこらはいたって寛容な筈。

❷次が入棺と埋葬段階。
ここで死人は2つに分かれるのである。「酉陽雑俎」を読んで得た、小生的感覚に基づく用語では、精霊と鬼。どちらも善悪には全く関係ない。
祭祀的には、前者のために、天に届く煙を発生させる必要がある。その場合、原則は生贄の筈。一方、後者に対しては、酒を供することになろう。
その式を終えると、関係者は「喪」に服すことになる。矢鱈に厳格な制度だが、それこそが信仰の肝だから。
そうそう、この譚では、冥銭を棺に納めて欲しいとの遺言がなされているが、これは道教に基づく実践的な発想。震旦は、天子の下での官僚統制社会であり、なにを頼むにしても謝礼は不可欠。そこには賄賂との境はほとんど無い。当然ながら、そうした行為は、官僚が差配している冥界や官僚ヒエラルキー的位置付がなされている神の世界にも通用する。震旦における、冥銭やお賽銭とは、そういう概念である。
社会通念化しているため、本来的には仏教の供養とは異なる行為だが、仏教も導入するしかない。輪迴六道の旅費 昏寓錢とされたり、咒符の一種としての往生銭が生まれることになる。(漢代民間での墓穴埋錢が発祥と見られているそうだ。その後、禁止されたので焼銭になったようだ。)
この段階では、道教と仏教は親和的である。「喪」は、亡くなった人を偲び哀しみ、供養しようという気分が高まっているからだ。しかし、儒教はそれとは似て非なる思想。亡者を偲ぶ気はないと言うと語弊があるが、亡者に宗族の一員として神的存在になって頂くための供養なので、服喪期間中の故人そのものとの心の交流にはどうしても冷淡にならざるを得ないのである。
故人の極楽往生を願うとか、亡き人が天国で安楽に暮らせますように、という、冥利を祈願するのとは発想が異なる点に注意を払うべきだろう。

❸最終段階は、宗廟への移動である。これにより初めて喪があけることになる。
つまり、祖神に率いられた血族守護神集団の一員として認められるということ。精霊とか鬼は、ここにおいて消滅することになる。これより以後は、宗族祭祀の一部として続いていくことになる。
逆に言えば、この祭祀が行われないと、精霊も鬼も宙ぶらりんで存在し続けることになってしまう。

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