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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.30] ■■■
[427] 漢高祖感応出生
何気なく読んで、そのまま通り過ごしがちなのが、高祖神話。

すでに触れたように、「今昔物語集」では、皇帝ではなく天皇という用語を用いることで、最高権力を与えられたという点で、両者は変わりないとの見解を披歴している。
しかし、震旦皇帝と本朝天皇の違いは小さなものではなかろう。震旦では天子だから、天命によっては革命勃発は必然。しかし、本朝では「古事記」あるいは「日本書記」の記載が正統性を与えており、天皇家内部での角逐はあるものの、革命はありえないからだ。権力奪取できるのは、運気あるお方としか描きようがないが、それだけでは天子となる必然性を語るのでは余りに寂しい。
特に、漢高祖の場合、出自は貴種にはほど遠い下層出身で、どう見ても無教養の無頼漢的存在なので、天命の説明は容易ではなかろう。

それはともかく、西洋的にこの違いを記述するなら、本朝は王権神話の国ということになるし、震旦は王権神話を抹消させた国ということになろう。正確に言えば、王権神話を昇華させ、例えば五行のような、なんらかの理屈に無理矢理当て嵌めて、ご都合主義的な"論理"で王権強奪を正当化したということにほかならない。
このため、その裏返しとして、天子には、天からの感応出生の始祖神話が不可欠となる。

そんなことを考えさせられるのが、漢高祖の出生神話である。史書と突き合わせてみておこう。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  《1-8 王朝》
  [巻十#_2]漢高祖未在帝王時語

〇漢の高祖[太祖高皇帝劉邦 前202-前195年]
 母
[劉媼]はもともと、下姓の人。(…名も無き農民)
 
(生)[養父:劉太公]は竜王。
  🈜沛豐邑中陽里人[@江蘇],姓劉氏,字季[末子]。
  🈝沛豐邑中陽里人也,姓劉氏。

〇母が、昔、道を歩行中、池堤を通過しようとしていた時のこと。
 突然、雷震が発生し、真っ暗闇に。
 恐れて、堤に俯せになると
 雷がその上に落ちてきて犯された。
 その後懐妊し、男子出産。
 さらに、その後、女子出産。

  🈜其先劉媼嘗息大澤之陂,夢與神遇。
    是時雷電晦冥,太公往視,則見蛟龍於其上。已而有身,遂産高祖。
  🈝母媼嘗息大澤之陂,夢與神遇。
    是時雷電晦冥,父太公往視,則見交龍於上。已而有娠,遂産高祖。

〇男子は、年月とともに成長し、
 母が、自から田に下りて、田植え中のこと。
 老人が独りでその辺を通り過ぎようとしていたが、
 田植えしているのを見て、言った。
 「汝には、殊更に優れた相が見てとれる。
  必ずや、国母と成るであろう。」と。
 女は、
 「我にそのような相が有る筈がございません。
  我は、貧賤下姓の人間なのですから。
  どうして、国母の相が見えるとおっしゃるのやら。」と。
 その時、男女の二人の子供が出て来た。
 そこで、老人は、この二人を見て言った。
 「汝、この二人の子がある故に、
  国母の相を備へているのだ。
  兄の男子は、必ずや国王と成るだろうし、
  妹の女子は、后と成るのだ」と言って去って行った。
 兄の男子は、漢の高祖である。
 妹の女子は、__后である。

  史書は全く違うとも、ほぼ同じとも。
  🈜高祖為亭長時,常告歸之田。呂后與兩子居田中耨,有一老父過請飲,呂后因餔之。老父相呂后曰:「夫人天下貴人。」令相兩子,見孝惠,曰:「夫人所以貴者,乃此男也。」
  🈝高祖嘗告歸之田。呂后與兩子居田中,有一老父過請飲,呂后因餔之。老父相后曰:「夫人天下貴人 也。」令相兩子,見孝惠帝,曰:「夫人所以貴者,乃此男也。」

〇そんなことで、高祖はこの事を聞き、
 その老人の相見を頼みとして、
 心中では、国王と成るだろうとの思いを持っていた。
 そこで、世の中の人に知られないように、
 芒
@河南永城に隠居。
  高祖"斬白蛇"は削られている。当然だろう。
  🈜高祖以亭長為縣送徒山,徒多道亡。・・・
  🈝高祖以亭長為縣送徒驪山,徒多道亡。・・・

〇秦の始皇代。
 五色の雲が、常に、その芒山に立ち懸かっていた。
 始皇はこれを見て、怪しいと思って、
 「我は、天下の第一人者として、世を随わせておる。
  にもかかわらず、
  如何なる者が、あの山に棲んで、
  常に五色の雲を立ち懸けておるのだ。」と疑問を覚え、
 人を覇権し、宣旨。
 「かの芒山に、常に五色の雲が出ておる。
  早々に行き、見分し、そこに人が居たら殺せ。」と。
 勅により、人が派遣され、尋ね探索すること数度に渡った。
 しかれども、高祖は逃げ去ってしまったので、罰たれなかった。
 芒山の高祖が隠れて居た木の上には、
 常に五綵
[青, 黄, 赤, 白, 黒]の竜王が出現していたと言われている。
    芒山出土…「四神雲氣圖」
     @漢墓柿園[劉邦の四男文帝劉恒の子 劉武の長子 梁共王劉買]

  🈜秦始皇帝常曰「東南有天子氣」,於是因東游以厭之。高祖即自疑,亡匿,隱於芒山澤巖石之閨B呂后與人倶求,常得之。高祖怪問之。呂后曰:「季所居上常有雲氣,故從往常得季。」高祖心喜。沛中子弟或聞之,多欲附者矣。
  🈝秦始皇帝嘗曰「東南有天子氣」,於是東游以當之。高祖隱於芒山澤間,呂后與人倶求,常得之。高祖怪問之。呂后曰:「季所居上常有雲氣,故從往常得季。」高祖又喜。沛中子弟或聞之,多欲附者矣。

[KEY]
  🈜…司馬遷:「史記」卷八 高祖本紀
  🈝…班固:「漢書」本紀卷一上高帝紀上


有名な"鴻門の会"の話も続いて収録されているが、その後がバッサリと削除されている。しかし、それで十分役割は果たしていると言えよう。書きたい事は"劉邦v.s.項羽の攻防"ではないのだから。
  [巻十#_3]高祖罸項羽始漢代為帝王語 (後半欠文)
 高祖、・・・項羽を罸むと思ふ心有て、
 張良・樊・陳平等と議して、既に出立つ。
 其の道に白き蛇に値たり。
 高祖、此れを見て、速に切殺しめつ。
 其の時に、一人の老嫗出来て、
  白蛇を殺すを見て、泣て云く、
  「白竜の子、赤竜の子の為に殺されぬ」と。
 此れを聞く人、皆、
  「高祖は赤竜の子也けり」と云ふ事を知にけり。


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