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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.7] ■■■
[435] 震旦の阿
仏とは、大目如来の説法を聞いて発願し成仏したとされ、東方の阿比羅提/善快浄土(歓喜国)で説法中と 。

鳩摩羅什[譯]:「妙法蓮華經」卷三#7化城にも"東方有二佛,一名阿,在歡喜國"との記載がある。
日光と喜辟という僧が登場するが、「阿佛國經」に出てくる訳ではないが、その歓喜国の菩薩だろうか。無理矢理如来の眷属を当てはめるなら、日光は金剛薩で、喜辟は金剛喜菩薩ということにでもなろうか。

本朝での平安期以前の造像はほとんどが金剛界曼荼羅に基づく五智如来としてのもので、独尊像は例外的存在だったように見える。
震旦とは随分と違うようだ。収載譚からすれば、東方浄土転生祈願の尊像のようであり、西方浄土信仰の古形ということかも知れない。

  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
    <11-30 像>
   《25 阿仏》
  [巻六#25] 震旦鐫恵造阿仏生歓喜国語
  ⇒「三寶感應要略」上21釋俊惠圖造阿佛像感應
     (出隨記)

 隋開皇中。[581-600年]
 有釋雙惠。不知何處人。
 一生期不退轉位。圖阿佛像一十體。
 又造同像一十二體。長三尺立像。
 專心祈請感應。夢感二人僧。
  一人自稱日光。一人自稱喜辟。
   「汝識阿佛本願不?」
  答粗知。
  二僧歡喜曰:
   「善哉如汝。
    在濁惡世中。歸依阿佛。
    於一生中。入不退位。得生歡喜。」
 覺已彌念。
 臨終衆曰:
  「吾今往生歡喜國矣。」

ほぼ逐語訳だが、僧名の漢字がはっきりしていないようだ。
 釋雙惠⇒鐫恵 or 𩀟

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