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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.8] ■■■
[436] 大仏
【震旦部】に入っているが、登場するのが震旦僧というにすぎず、渡航先で現地の話を聞いただけだから、実態的には【天竺部】に収録すべき譚がある。

この渡航で、船が沈没する話もあるのだが、そこらには一切触れていない。このことは、この話は、震旦の大仏について考えてみよということではあるまいか。
飛躍し過ぎかも。
逐語訳なので、原典で。
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
    <11-30 像>
   《27 盧舎那仏》
  [巻六#27] 震旦并州常渡天竺礼盧舎那語
  ⇒「三寶感應要略」上29造毘盧舍那佛像拂障難感應
     (出常記遊天竺記)

  釋常。發願尋聖迹遊天竺。日至中印度索迦國。王城南道左右有精舍。高二十餘丈
  中有
毘盧遮那像
  靈驗焉。凡有所求。皆得滿足。若有障難者。祈請必除。
  聞像縁起於耆舊。
  曰:「昔此國神鬼喬亂。人民荒癈。
    有一尼乾子善占察。
    國王占國荒蕪。
    尼乾以籌印地云。
     "荒神亂起障難。須歸大神。方得安穩。"
    王聰明達歸宗。
     "神中之大。不如佛陀。"
    即造此毘盧遮那像。安置左右精舍。
    左彫鏤黄金。右用白銀。高咸二十丈。
    日日禮拜供養。
    爾時表夜叉童子。
    驅荒神惡鬼出國界。方無障難矣。」

 【釋常
 并州
@山西太原の浄土宗僧。
 貞觀代
[627-649年]海路仏陀聖蹟参詣。
 
[巻七#_5]震旦并州道俊写大般若経語にも登場。
     …「大般若経」書写10,000巻。
 【索迦国
/ヴィサーカー
 "外道甚多。"
 "城南道左有大伽藍。"
[玄奘:「大唐西域記」卷五 六国 一 大城附近諸遺迹]
 【尼乾
(子)
 裸体生活
(寒気着白衣)の六師外道(ジャイナ教)

毘盧舍那佛と言えば、すぐに思い浮かべるのは東大寺大仏。但し、正確には、原典と翻訳は1文字違う。(遮⇒舎)
現存銅造は高さ約15m。「東大寺要録」によれば、当初の大仏殿の高さは12丈6尺だったというから、似たような大きさか。(「今昔物語集」では大きさは空欄。)
現代の"大仏"説明では、これに次ぐのが鎌倉大仏とされ、あとはその他とみなされるようだ。尚、小生は、最大像は方広寺大仏だったとみている。
唐招提寺にも毘盧舍那佛が安置されているが、脱活乾漆造で3.4m。

一方、震旦の代表的大仏と言えば、武即天が675年に造らせた、中原の龍門(奉先寺)石窟の17mの盧舎那仏。(+迦葉・阿難, 文殊菩薩・普賢菩薩, 天王・力士)もっとも大きさから言えば、北方の雲崗石窟の最大雕像@第五窟も17mある。
現代中国では、東西南北の大仏を設定したりするようで、例えば、西は楽山大仏となる。同列に扱っても何の意味もないが、そこらが現代中華帝国の為政者の発想なのであろう。さらに、2008年には、中原に像高153mの魯山大仏(大日如来)建造。王権鎮護仏像であろうか。尚、楽山は王権とは無縁である。

震旦から外に出れば、破壊されてしまった、6世紀初頭のバーミヤン@アフガンの東(38m:釈迦如来)西(55m:毘盧舍那佛)の磨崖仏立像大仏が目立つ。西域の巨大像は弥勒菩薩像もあり紛らわしいので、他はあげないでおこう。

一方、天竺では、シンボルは大仏ではなくあくまでも大塔。その外面に石像が並ぶ形態となる。有名なのは玄奘も記録しているブッダガヤ摩訶菩提寺の大塔(52m)
しかし、上記の譚を見ると、中インドに盧舎那仏が安置されていたことになる。大伽藍であり、建物の高さが尋常ではないから、大仏が安置されているとしか思えない。
つまり、この譚での問題意識とは、そうまでして何故に巨大仏像が必要か、ということ。
小さな仏像より、ヒトのサイズ、さらには数倍の大型という流れは、わかるが、大仏はそのレベルの功徳で実現できるものではないからだ。根本的に異なる考え方での造像の動きを理解しておく必要があると、呼びかけているようなもの。

と言っても、浅学の身にはかなり難しい。

ただ、素人の一知半解的見方をすうと、なんとなく想像できる。そこらを、まとめておこう。

毘盧舍那佛/毘盧遮那佛/大日如来は3種類あると見るのが、わかり易い。

先ずは、唐招提寺に安置されている像に代表される系統。
 ○鳩摩羅什[譯]:「梵網経盧舎那説菩薩心地戒品第十(大乗)412年
  "心地中盧舍那佛初發心時,常所誦持大乘性戒"
震旦では、かなり広がった可能性があるが、中原〜北方の中華帝国の帝の直接的影響に無い地域と考えるべきだと思う。(鑑真は、中華帝国では密航者である。)
大仏化させる必然性は無かろう。あくまでも釈尊像の成仏という点だけを取り上げた抽象化像だからだ。

成仏した釈尊の心をシンボライズしたという点では、同じでも、王朝の威光の象徴像となると、意味は全く異なってくる。宇宙の中心に居られる姿を顕しているとされるからだ。華厳世界とは、これを指すのだろう。
大仏発祥は、"青い"夜叉童子と、原典にはなさそうな言葉を補っているから、西域の王権というこよか。
しかしながら、経典は、宗教経典というより、宇宙の構造を解く哲学書に近いのではなかろうか。学と慣れがなければ、とても読めるような経典ではなさそうということ。
 ○跋陀羅[譯]:大方廣佛華嚴經」421年《舊:晉經》
  東大寺の講で使用した"六十華厳"経典
  <卷三/四#2盧舍那佛品1/2>
  "盧遮那佛"が"蓮華藏莊嚴世界海"に居られ"放淨光明"

最後は、両界曼荼羅の主尊 大日如来である。曼荼羅の中心という点がなによりも重要だろうから、一尊独立に映りかねない大仏化を進めるとは思えない。それに、上記とは違って、密教の仏である。
 ○善無畏&一行[譯]:「大日經/大盧遮那成佛神變加持經724年
  <巻一#1入眞言門住心品>
  "毘盧遮那佛。告持金剛祕密主言。"
  (摩訶毘盧遮那仏の意訳が大日如来ということのようだ。)

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