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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.16] ■■■
[444] 和氏璧
"完璧"の語源譚が収載されている。但し、それがわかるような完璧な引用ではないが。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])📖「注好選」依存
  《28-35 国王》
  [巻十#29] 震旦国王愚斬玉造手語
  ⇒「俊頼髄脳」卞和
 玉造の卞和が、造った玉を天皇に奉納。
 そこで、他の玉造を召し評価させた。
 「この玉には光が無く、不用の物である。」と上申したので
 天皇、大変に嗔怒なされ、
 「どうして、この様な不用の物を奉納して公を騙そうとするのか。」
 と言うことで、卞和を召喚し左手を斬ってしまった。
  その後、代が替わり、他の天皇が即位。
 又、先の玉造を召し、玉を造らせたが
 前回同様の事態になり、
 今度は右手を斬ることに。
 卞和は、限りなく、泣き悲しんだ。
 さらに代が替わり、他の天皇が即位。
 卞和は、それでも懲りずに、玉を造って、天皇に奉納。
 又、他の玉造を召して評価させたが、
 「よくみれば、その様子には感じさせるものがある。」と思し召し、
 磨かせてみた。
 すると、比類なきほどに、艶光を放って、照らさない場所がないほど。
 天皇は喜ばれて、卞和に恩賞授与。
 卞和は、前二代の際は、涙を流して泣き悲しんだが、
 三代目で、賞を頂戴でき、喜ぶことができたのである。
 そんなことがあったので、
 世の中では、前二代の天皇を謗るように。
 そして、現在の天皇を、「賢くおわします。」と讃嘆。

【ご教訓】万の事は、尚此く強く思ふべき也。

震旦でよく知られる話であることは間違いないが、それはこの玉璧が中華帝国の最高の宝という観念あってのこと。この後に、楚国国宝がどのようになるかという後半の話に続かないと中途半端。
ここだけでは、四字熟語表現なら"和氏之璧"でしかない。
この前半の話も若干違うところがある。・・・
   <前半>
  楚人和氏得玉璞楚山中,奉而獻之脂、。脂、使玉人相之。
   玉人曰:“石也。”王以和為誑,而其左足。
  及脂、薨,武王即位。和又奉其璞而獻之武王。武王使玉人相之。
   又曰:“石也。”王又以和為誑,而其右足。
  武王薨,文王即位。和乃抱其璞而哭於楚山之下,三日三夜,涙盡而繼之以血。
  王聞之,使人問其故,
   曰:“天下之者多矣,子奚哭之悲也?”
   和曰:“吾非悲也,悲夫寶玉而題之以石,貞士而名之以誑,此吾所以悲也。”
  王乃使玉人理其璞而得寶焉,
  遂命曰:“和氏之璧。”
     [「韓非子」十三和氏]

続くのが"国史"だが、「今昔物語集」編纂者はここに触れることは避けたのである。
   <後半>
  趙惠文王時,得楚和氏璧。
  秦昭王聞之,使人遺趙王書,原以十五城請易璧。
  ・・・趙王於是遂遣相如奉璧西入秦。・・・
     [司馬遷:「史記」卷八十一列傳21廉頗藺相如[1]藺相如]

この部分は、はやい話、命を賭した藺相如の功で、秦に取られずに、"完璧帰趙"。

尤も、前228年の侵攻で、秦は璧を所有することになる。以後、中華帝国統治受命の玉璽的意味付けがなされるように。
  星之精,墜於荊山,化而為玉。側而視之,色碧,正而視之,色白。
  卞和得之,獻楚王。
  後入趙,獻秦始皇,一統天下,琢為壽(受)命璽。
  李斯小篆其文,歴世傳之,為傳國寶。
  又古今異説,又云是大角星精,大角亦木星是也。
     [杜光庭:「異記」卷七異石]


つまり、和氏璧は、秦朝から始まり、以後、数百年に渡り国璽の役割を果たした可能性も。本朝とは違い、革命の国だから、同一物が引き継がれたとはとうてい思えないものの。

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