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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.21] ■■■
[449] 神弓貫巌
🎯現代日本では、李広[前184-前119年]と言えばもっぱら“桃李不言,下自成蹊”だが、神弓貫巌の石虎将軍でもある。「今昔物語集」ではその概念で"母を思う一念、岩をも通す。"となっている。

わざわざ、いかにも儒教的なお話に仕上げているように思われ、反儒教色が濃い譚のなかでは遺失な感じがする。儒教の核心である宗族信仰には、報復行為を崇める思想が組み込まれており、子々孫々までその完遂が義務化されるので、本来的には仏教とはそりが合わない筈なのに。

ともあれ、掲載譚をみておこう。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])📖「注好選」依存
  《16-27 武将・文官》
  [巻十#17] 李広箭射立似虎巌語
 李広は、心猛く、弓芸の道に優れていた。
 母が虎に殺されたと聞き
 驚いて行ってみるとその通りだった。
 
(報復すべく、)
 弓箭を取り、虎を追跡。
 野に出たところで追いつき、臥している虎を発見。
 喜んで射たところ、虎に突き刺さった。
 矢の臍まで深く入ったのである。
 我が母を殺害した虎を射とめた、と喜んで近寄ると
 それは虎に似た岩だった。
 「奇異也」と思って、
 再度、その岩を射たが、矢は立たず、踊るが如く跳ね返った。
 ここにおいて、李広が思うに、
 「"我が母を殺害した虎を射殺してやる。"
  と思う一念が深かったので、
  岩であっても矢が立ったのである。
  ところが、
  これは"岩だ。"と思って射ると
  矢は立た無いのである。」
 ということが分かり、泣々く帰還。

【ご教訓】
実の心を至さむ時は、諸の事、此の如きも有ぬべき也けり。

もちろん、「注好選」が元ネタ。
  ⇒「注好選」上第70李広貫巌
 此武者也。即有一虎。害李広母失也。李広得人言来見実然也。
 取弓矢。付跡追行。
 即山口野中有斑岩。即見虎射之。
 矢従中上融。寄見岩也。
 返後射之不入矢也。


この巻は、あくまでも"国史"であるから、史書を見ると、母のことなど一言も無い。どこか感覚が違っているようだ。マ、儒教的には、母への想いからの報復という行為を取り上げるのは、余り面白くないということはありそうだが。
と言うか、冒頭で、野に狩猟に行ったと言い切っており、"母を思う一念、岩をも通す。"話と見なすのは無理筋である。
  ⇒司馬遷:「史記」卷百九列傳49李將軍[1]李廣
 廣出獵,見草中石,以爲虎而射之,中石沒鏃,視之石也。因復更射之,終不能復入石矣。廣所居郡聞有虎,嘗自射之。及居右北平射虎,虎騰傷廣,廣亦竟射殺之。
  ⇒班固:「漢書」卷五十四列傳24李廣蘇建傳[1]李廣
 廣出獵,見草中石,以爲虎而射之,中石沒矢,視之石也,他日射之,終不能入矣。廣所居郡聞有虎,常自射之。及居右北平射虎,虎騰傷廣,廣亦射殺之。

このことは、何を意味するか。

おそらく、「今昔物語集」編纂者は、本来的には、"母を思う一念、岩をも通す。"話だったのに、それを史書に取り込むと、こうなるという例を示したかったのではあるまいか。
"国史"とは、所詮はその程度のものですゼ、ということ。
民間伝承的には、"母を思う一念、岩をも通す。"話が主流だったということで。

もちろん、見方によっては、隋・唐代に入って、上記のような翻案が生まれたとも言える訳で、どっちもどっちもというのが実態。

「酉陽雑俎」の著者なら、その辺りはお見通しだったろう。場所は冥山なのだから。

よく見れば、「注好選」の文章には、一般地名"野"の前に、固有名称が読み取れない"山"が書いてある。「今昔物語集」もその部分を削除していない。
  ⇒劉(葛洪[輯]):「西京雜記」卷五[百二十三]金石感偏
 李廣與兄弟共獵於冥山之北,見臥虎焉。射之,一矢即斃。斷其髑髏以為枕,示服猛也。鑄銅象其形為溲器,示厭辱之也。他日,復獵於冥山之陽,又見臥虎,射之。沒矢飲羽。進而視之,乃石也,其形類虎。退而更射,鏃破折而石不傷。余嘗以問楊子雲,子雲曰:「至誠則金石為開。」・・・

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