→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.28] ■■■ [456] 大方等大集経 もちろんのことだが、小生もその部類に入る。 【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)📖「三寶感應要略錄」引用集 <31-48 経> 《37 方等/方広》 ●[巻六#37] 震旦并州道如書写方等生浄土語 ⇒「三寶感應要略錄」中16并州比丘道如唯聞方等名字生淨土感應 并州有一比丘。名曰道如。 此州之人。七歲已上。多解念佛。 然此比丘。不修念佛不持戒。 畜不淨物。身犯不悔。 生年六十一。頓中風疾。月餘方死。 三日始蘇。起居輕利。 病盡除愈云吾初死之時。見觀音勢至來。示教利喜曰。 「汝不修淨土業。唯聞大乘方等十二部經名字。 以是因縁。罪垢微薄。遠來影向。 餘命未盡。十二年後。將生淨土。」 即合掌流涙方醒活。 更捨所有。造方等大集。兼修念佛。 至第十二年正月十五日方卒。 音樂在室。天花雨降。現所見聞矣。 「今昔物語集」はほぼ逐語訳のようである。中身は単純だから当然だろう。・・・ 并州僧の道如は、その州の慣習である7才からの念仏修習をせず、戒も守らず、修行もせずといった生活。 そして61才で死去。 ところが、 〇大乗方等十二部経の名字を聞いた功徳で 寿命12年と言われ、蘇生。 さらに、浄土転生とのお告げも。 そこで、一切の私物を投げ棄て、態度一変。 結局、 〇方等大集経を書写供養した功徳で 往生の瑞兆を示してご臨終。 2つの功徳が記載されているが、原典の題名は最初だけ示しているにもかかわらず、「今昔物語集」はそれを後の功徳に変更している。 前半の供養ですでに浄土行が決まっているのだから、そんなことに天邪鬼的にこだわる必要もなかろうに、と思うが、どうも大乗仏教の広がりを考える上では重要なことのようだ。 最初の方だが、大乗方等十二部経[仏所説/如来所説の教法の内容/形式分類]の名字とは、大乗経典の名称すべてという意味だろうか。 ともあれ、大乗経典の種類は半端なものではないということだろう。 すべてに当たるなど、とうていできるものではないほど膨大だから、整理して代表的な仏典を学ぶというのが、常識的な僧の学習といえよう。 そうした分類は、大乗以前からなされていたが、十二部経で大乗的な見方が確立したということ。 そういう意味では、名字の認知は思っている以上に重要なことと言えそう。 何故かと言えば、天竺とは違い、震旦には、原始経典から、最新の大乗に至る迄、すべてが一時に流入したからである。 従って、ココは、原典の題名を忠実に写すべきところ。 にもかかわらず、何故に、一経典の写経を持ち上げたくなったのか。 それはおそらくとんでもない大作業だからだろう。そして、そのような供養の結晶が本朝に渡来したのである。断片が多いものの、残存しているから、「今昔物語集」編纂者も、その山のような大部の経典をみて灌漑一入だっただろう。 考えてみれば、「大方等大集経」という題名は、膨大な経典集成であると掲げているのだから当然ともいえる。 解説を見ると、確かに空間的にも望洋遠大。ある意味、大乗経典の雄的風情が伝わってくる。 僧就@隋[集成] 曇無讖,他[譯]:「大集経/大方等大集経」60巻 (1瓔珞品, 2陀羅尼自在王菩薩品, 3寶女品, 4不眴菩薩品, 5海慧菩薩品, 6無言菩薩品, 7不可説菩薩品, 8虚空藏菩薩品, 9寶幢分, 10虚空目分, 11寶髻菩薩品, 12無盡意菩薩品, 13日密分, 14日藏分, 15月藏分, 16須彌藏分, 17十方菩薩品) と言っても、収録品題名から判断すると、ただ網羅的に集めようとした訳ではなさそうで、形式にとらわれずに、菩薩行経典の体裁だけ整えようとしたようだ。 しかし、そうなると、この経典だけで大乗をカバーする訳にはいかないから、震旦では大乗仏教五部経が定番となっていたようだ。 「大般若経」 「華厳経」 「大般涅槃経」 菩提流志,等[譯]:「大宝積経」・・・含:「無量寿経」「阿閦仏国経」「勝鬘経」 「大集経/大方等大集経」 維摩経は該当しないのか、気になるところ。ただ、「大集経」に維摩詰長者/菩薩は登場してくるが。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |