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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.8] ■■■
[496] 播磨国郡司家の女の歌
「今昔物語集」編纂者撰和歌集の26番は、播磨国の郡司の家の女1首。
  [巻二十四#56]播磨国郡司家女読和歌語

高階為家朝臣[1038-1106年]が播磨守の時のこと。
(1077年:播磨守高階為家、白河院が発願した法勝寺の金堂・講堂などを建立して重任される。)
たいした能力もないが、
真面目にお勤めだけはする侍が仕えていた。
本名は知られておらず、
もっぱら通称の"佐太"で呼ばれていた。
長年になるので、
辺地の郡の収税役を任じたところ、
喜んで出張し、郡司の家に4〜5泊して、
徴税手配等々をこなして国庁の館に帰ってきた。
その郡司の家には、
京からかどわかされた遊女が厄介になっていた。
郡司夫婦が哀れみ、引き取って面倒を見ていたのである。
ただ、裁縫上手だったので、可愛がっていた。
ところが、佐太は国庁に帰るまで、それを知らなかった。
従者から、美形で長い髪の女性がいたと聞かされ
今になってから教えるとは、と憤慨すると、
席の傍らの衝立で仕切られていただけなので
ご存じだったと思ったと言う。
そこで、休暇を取って、女のところに行くことにした。

到着すると、強引に押し入り、女を口説き始めた。
しかし、女は応じようとはしない、
怒ってしまった佐太は、
着ていた、ほころびがある安物の水干を脱いで
衝立越しに投げ入れ、つくろってよこせ、と大声で命令。
しばらくすると、投げ返してきたので、
流石、仕事が早いと褒めたが、
見てみれば、
賦香陸奥紙の切れ端がほころびの脇に結び付けてあるだけ。
開いて見ると、歌が書いてあった。
 我が身は 竹の林に あらねども
  薩(佐太)が衣を 脱ぎ掛かるかな


(釈迦の捨身飼虎前世譚も知らないので、)
佐太はすぐに大いに怒って、言い放った。
「目も見えないのか。
 ほころびのほつれ目さえも見つけられず、
 その上、佐太を馬鹿にした言いぐさ。
 "佐太"が卑しいと言うともりか。
 殿でさえ、未だに本名を呼んだことがないというのに
 お前のような女に
 "佐太が"と呼ばれるなどもってのほか。」と。
さらに、
「思い知らせてやるぞ。
 お前のあさましい所をどうしてやろうか。」と脅したので、
女は泣き出してしまった。
佐太は怒がつのり、郡司を呼び出し、
「殿に訴え、処罰する。」と怒鳴るので
郡司は恐れおののいてしまった。
皆、途方に暮れたのである。
怒りが収まらずに、帰庁した佐太は
殿に申し上げねばと言い、
皆に、"佐太"呼ばわりされたことを説明。
しかし、皆、女に同情したのである。
守の耳にも入り、召されることになり佐太は大喜び。
そして、守は詳しく事情を聞いたのである。
その結果、
「お前は人間ではない。
 大馬鹿者。
 こんな奴とも知らずに、長年使ってきてしまった。」
と言ってから、永久追放したのである。
そして、その女が哀れであるとして、着物などを与えることに。

佐太は、なんのあてもなく、上京するしかなくなってしまった。
一方、処罰を覚悟していた郡司は大喜び。

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