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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.15] ■■■
[521] 宝冠阿弥陀四菩薩尊像
「今昔物語集」では、観音・地蔵像にまつわる話と菩薩霊験譚は数多く収録されているし、様々な往生譚もあり、弥陀を唱える話は至るところに入っている印象を与えるし、阿弥陀仏浄土観想の話もある。
その割に、阿弥陀如来像そのものについてはどこか冷淡な印象を与える。なにか理由があるのだろうか。
巻十三朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
《11〜24諸仏像》
  [11] 【大和・上総】 (橋木像)
  [12] 《鵜田寺》 (薬師)
  [13] 《和泉日根 尽恵寺》 (銅像)
  [14] 【淡路・紀伊】《淡路国分寺》 (釈迦牟尼)
  [15] 《大安寺》 (釈迦)
  [16] 《大安寺》 (釈迦)
  [17] 《平群の山寺》 (六道)
  [18] 《八多寺》 (
阿弥陀)
  [19] 《蓼原堂》 (薬師)
  [20] 《薬師寺》 (薬師)
  [21] 《山階寺》《三井寺》明尊大僧正
  [22] 《法成寺》 (大日如来)
  [23] 《法成寺 薬師堂》
  [24] 《関寺》
巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
巻十六本朝 付仏法(観世音菩薩霊験譚)
巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)


そう思って調べると、阿弥陀如来像には全く異なる2種類が存在していることに気付いた。
一般的な像は螺髪・右肩偏祖着衣の如来形であり、単独か三尊像である。(阿弥陀堂本朝初建立は東大寺@741年。その後、数多くのお堂が建立された。本尊阿弥陀三尊像の寺としては仁和寺@888年が有名である。)
もちろん、平等院鳳凰堂のように浄土的雰囲気を醸す場合は脇侍無しの、単独尊になったりする訳だが。

ところが、五尊像があり、その場合、阿弥陀如来の姿形は結い上げ髪に宝冠を被り、納衣着衣。どう見たところで解脱した如来の姿では無く菩薩型である。というか、密教型と呼んだ方がよいか。
ところが、その脇侍四尊は、観音・勢至・地蔵・龍樹。
  蓮華持物の観音・勢至菩薩坐像
  錫杖宝珠の地蔵菩薩坐像
  合掌比丘形龍樹菩薩坐像


そう言えば、東京の古刹 深大寺のご本尊、王冠阿弥陀如来像は伝恵心僧都で単独尊だが、この姿形である。

密教が伝来すると、浄土信仰対象の阿弥陀如来はこちらのお姿となり、脇侍四尊ということのようだ。真言にも存在はするが、発祥は比叡山と見てよさそう。方五間宝形造りの常行堂に阿弥陀五尊像が安置されたのである。

但し、常行堂を最初に建立したのは最澄ではなく渡唐し当時最新バージョンの密教を請来した円仁。当然、摩訶止観のコンセプトは異なってくる。・・・
●__ 最澄(摩訶止観四種三昧)
  …常行堂は企画段階。建立は法華堂のみ。
●851年 円仁(五会念仏)@虚空蔵尾
  883年 相応移転@講堂北[東塔]
●893年 増命@西塔
  …現行の再建堂は法華堂ペア(担い堂)
●954年 藤原師輔@横川
  968年 良源…常行・法華三昧開始

ところが、これが厄介な点。
と言うのは、伝からすると、円仁請来像は密教的な金剛界四親近菩薩(金剛法・利・因・語)で、上記の四尊像ではないからだ。
日光 輪王寺常行堂も円仁建立とされており、宝冠阿弥陀如来と法・利・因・語の四菩薩なのである。

ところが、藤原彰子が法成寺東北院に安置した頃になると、金剛系ではなくなっているようだ。どこかで入れ替えが発生したのである。

それは、良源代ではないかという気がしてくるが、なんとも言い難しだ。

こうなると、阿弥陀像については気軽に語る訳にはいくまい。

ただ、「今昔物語集」編纂者のスタンスとしては、像がどうあろうと、阿弥陀如来、観音菩薩、地蔵菩薩という三尊は浄土信仰と一体であり、一括りで考えるべしということか。
正確に言うなら、如来像参拝は信仰に不可欠ではなく、念仏で十分ということ。それに対して、観音像や地蔵像は土着的意義があるので特定像参拝大いに意味ありとなる。

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