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2003.9.11
 
 


日本のゴミ処理技術(1:バランスの悪さ)…

 日本の環境技術は優れていると語る人が多いが、何を指しているのかわからないことが多い。
 ゴミ焼却処理で見てみよう。

 処理の基本プロセスは、収集(運搬)→分別→前処理→焼却→最終処理と進む。
 日本の先進的技術は、最終処理段階の技術に集中している。
 要するに、焼却から発生する、排ガスや残さの処理技術で圧倒的な力を持っているのだ。
 特に、排ガスから有害物質を除去する技術は極めて優れている。残さについては、優れた技術と見なせるほどの成果があがっているとは言い難いが、注力度合いから見れば、間違いなく世界のリーダーといえるだろう。

 処理プロセスの最終部分であり、誰が見ても高度な要素技術だから、ゴミ処理技術では先進国と思ってしまいがちだ。
 これは大きな間違いだ。

 といっても、こうした個別技術の先進性を否定している訳ではない。
 技術の全体像を考えると、下流に位置する技術は、上流技術に大きく影響を受けるから、上流側の技術が進歩しない限り、成果は限定的であることを忘れるべきでない、と主張したいだけである。

 例えば、火力発電や化学コンビナートから発生するゴミは、その内容物はが一様で変化もほとんど無い。このようなゴミなら、最終処理段階技術が素晴らしければ、大きな成果をあげることができる。
 しかし、社会全体から見れば、そのような状況に当てはまるゴミは例外的である。

 ゴミには様々なものが混じっており、常に内容物が変化する。この状態を前提にして技術開発を進めているのが、日本である。
 エンジニアは、とてつもない困難な課題に挑戦させられている、と言ってよい。常識で考えれば、対象がはっきりしないのだから、まともな対処などできまい。当然ながら、対処可能なポイントに絞った技術開発になる。
 このため、様々な提案が登場してくる。一つ一つの提案は質が高いことが多いが、それは、ゴミがある条件に当てはまる時だけ発揮できる技術である。いわば、理想論を現実に直接当てはめるようなものだ。実践性を欠いた仕組みになり易いのである。

 この状況であると、どの仕組みが最善かも判然としない。結局、市場には、全くコンセプトが異なる処理システムが並存することになる。技術はバラバラだから、いつまでも成熟しないし、処理コストは高止まりのままになる。

 例えば、横浜のみなとみらい地区では「先進的」な運搬システムが投入された。ゴミを投入口に入れると、自動的に処理施設にパイプ運搬される。ここだけ見ていれば、優れた先進的な方法といえる。ゴミが地上から見えないから、上手く運営されているように思われる。
 ところが、空気輸送できるゴミ以外は、従来型の収集を行っているのだ。ある程度必要なのは分かるが、例外対応とは言い難い仕組みである。既定サイズの袋、不燃ゴミ、容器類は、この輸送システムには全く乗らないのである。
 このような高額投資に意味があるだろうか。どう考えても、コストが嵩むだけの無駄な試行としか思えないのだが。

 実践性を無視して、このようは高度な技術の適応を挙行するのが日本の技術開発の特徴である。空気輸送技術にこだわるだけで、ごみ処理システム全体構成の立案に関しては、何の知恵もない。
 環境技術だから、挑戦に意味がある、と考えるのだろうか。

 このような状況を知っているにもかかわらず、日本が先進的技術を活用していると語る人が多いのだ。驚きである。

 一方、欧州の環境派政権は、日本と正反対の方向に進んでいると言えそうだ。コミ処理プロセスの出発点で「標準化」に力を入れている。ごみ分別を徹底化し、それに対応する技術開発を促進させている。
 ゴミの内容が一様で安定すれば、従来技術のレベルの処理でも相当な成果があがる。投資も少なくて済むし、低コスト運営も可能であるのは間違いない。無駄な、高度な技術開発を避けることができる。的を絞れるから、革新技術も生きてくる。

 例えば、プラスチックが混入したゴミの焼却施設は高額で寿命も短い。しかも塩化ビニルが入っていれば、危険物質発生防止には極めて高度な対処技術が必要になる。しかし、ゴミが分別されていれば、話しは別だ。
 日本は、分別はいい加減のままで、高度な対処に挑戦しようと考えているといえる。
 どう見ても、この方向は無理筋である。どのようなゴミかわからなくても対処できる技術などある訳がない。条件が変われば、それに応じた、技術対応が必要となる。

 このような方針を何時まで続けるつもりなのだろうか。

 すでに、家庭用ゴミ収集方法は地域で全く異なる。「可燃ゴミ」という名称でも、地域によって指定内容が違う。どのように分別すべきか理解できる人などいないだろう。
 ゴミ処理プロセスの上流で標準化せず、下流に合わせて標準化するから、こうなる。
 処理施設の能力に合わせた、ゴミの分別を要求するのである。

 下流技術は、レベルが高いが、前述したように、様々な仕様が乱立している。これに合わせているのだから、大混乱である。
 標準化できなければ、技術開発の焦点もばらけるし、コストも嵩む一方になる。

 要するに、日本は、優れた要素技術開発と、劣悪な技術マネジメントが同居しているのだ。

 これを見て、日本は先を走っていると語ることもできるが、実務家は技術競争力は無いと判定せざるを得ない。


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