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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.2.13 ■■■

羽 (鳳, 烏)

今回は鳥類を見てみよう。

その前に、鳥の出自から。
【廣動植 総叙の龍の系譜】
 羽嘉生飛龍,
 飛龍生鳳,
 鳳生鸞,
 鸞生庶鳥。

御目出度い「羽」が大元。だからこそ「飛べる」訳で、鳥の祖先は鳳なのだ。

従って、羽篇のトップに来るのはこの聖なる鳥。黄帝の話として記載されている。
重要な聖鳥だから当然のこと。

そうそう、"鳳"輦とは「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」。日本では、今でも神社の巡行用に使われているが、共産党の天下ではなかなか見ることはできないかも。鳳輦を詠み込んだ段成式の詩が伝わっている。定番の曲に合わせての、作詩といったところだろう。
   「折楊柳 七首 其一」  [唐 段成式]
 枝枝交影鎖長門,嫩色曾沾雨露恩。
 鳳輦不来春欲尽,空留鶯語到黄昏。

漢の武帝の后が居住する長門に柳の枝の影ができている。顔色よき頃の恩義をつい想いだしてしまう。でも、春になっても鳳輦は来ないまま。鶯の声を聴きながら黄昏を迎えてしまった。

【鳳】
 骨K,
 雄雌夕旦鳴各異。
 黄帝使伶倫制十二寫之,其雄聲,其雌音。
 樂有鳳凰臺,此鳳:脚,下物如白石者。
 鳳有時來儀,候其所止處,掘深三尺,有圓石如卵,正白,
 服之安心神。

骨黒の意義はわからぬが、鶏や雉のような骨白の羽類は縁起が良くないのであろう。雌雄ともども、夕暮れ時と夜明けに鳴くことがなににもまして重要であり、もちろん鳴き分けている訳だ。適宜鳴くことこそが、羽類の祖である証。
今村註を解釈すれば、事績内容は単純明快。
黄帝が楽師に命じ、れは、雌が鳴く6音と、雄が鳴く6声を写しとって、「十二」という笛吹奏用音階を制定させたことになる。後世に伝わる調の、律と呂の発祥はココと示唆していることになろう。8音階や5音は、羽類の音声とは出自が違うことを示唆している訳だ。
当然ながら、「楽」は雌雄が揃う必要があり、鳳凰台で。
この鳳凰だが、飛べない鶏の性状とよく似ている。脚下の卵殻カルシウムを土中からついばむために降りてくるのだ。
カルシウム服用で精神が安定するとの、現代生化学でようやくわかったことも教えて頂ける。この冴え、流石。


そうなると、さほど歌えないが、重要な地位を占めている鳥をどう評価することになるか、えらく気になるではないか。
【烏】
 烏鳴地上無好聲。
 人臨行,烏鳴而前引,多喜,此舊占所不載。
 貞元四年,鄭、二州,
 群鳥飛入田李納緒境内,銜木為城,高至二三尺,方十余裏。
 納緒惡而命焚之,信宿如舊,烏口皆流血。
 俗候烏飛翅重,天將雨。

    [卷十六 廣動植之一 羽篇]
地上で鳴く時は好ましい啼き声とは言い難い。
  ・・・ごもっとも。天上では全く違うとでもしなければ、とても聖なる鳥と呼べるものではなかろう。そんなことを言い出すインテリは段成式位では。
だが、不思議と皆さん好意的。なにせ、臨行に先だって、先導的に"そんな声"で鳴いてくれたりするだけで、どういうわけか吉祥の兆しと解釈するのだから。
ところが、そのような占いは旧例には見つからないとか。

  ・・・ハハハ。
   一方、嫌がる人もいるのである。

斉国に烏の群れが大挙して訪れ、あちらこちらに木を集めて城を作ったことがあるそうだ。血塗られた統治者はそれらの焼き払い処分を命じたが、一晩で元の木阿弥。すべての烏の口から血が流れ出ていたという。成程。

平和共存型の鳥なのかも。
 邑中終無鳥,有寇。
 郡中忽無鳥者,日烏亡。

     [卷十六 廣動植之一 序]
邑に烏が居ない状況が続けば、軍事的侵略有りということ。
郡域内でアットいう間に消えたとしたら、日烏の死を意味するのだそうナ。


ただ、聖なる烏は3本足で、一般の烏とは違うという見方もある。それは下らぬという意見を吐くインテリもいることにはいる。危うい、危うい。
 予數見還往説,天後時,有獻三足烏,左右或言一足偽耳。
 天後笑曰:“但史冊書之,安用察其真偽乎?”
 「唐書」雲:
 “天授元年,有進三足烏,天後以為周室嘉瑞。
  睿宗雲:‘烏前足偽。’
  天後不ス。須臾,一足墜地。”

    [續集卷四 貶誤]
三本足の烏が存在する道理などなく。左右の足だけであり、一本は偽物に決まっていると主張する人がいた。
則天武后は微笑んでこれを聞いていたとか。
ところが、実際に三本足がやってきたのである。
瑞兆として、則天武后は大喜び。
そんなものは偽物だと、先の者が指摘。
則天武后の不興を買った。
そして、足が一本墜落。

ワッハッハ。

よくわからないのが、烏と地日草の関係。"東北有地日草"との話もあることを知りながら、"南方"としているし。当時、注目されていたのは、"臣能使少者不老。"という点。
【地日草】
 南方有地日草。
 三足鳥欲下食此草,
 羲和之馭,以手掩烏目,食此則美悶不復動。
 東方朔言,為小兒時,井陷,墜至地下,數十年無所寄托。
 有人引之,令往此草中,隔紅泉不得渡,
 其人以一只屐,因乘泛紅泉,得至草處食之。

    [卷十九 廣動植類之四 草篇]
太陽は、羲和が御する6頭の龍で曳かれる車に乗せらており、三本足烏の出番はない。馭者は命じられるまま、烏に目隠しをして不老不死の草を鱈腹食わせ、邪魔できないように静かにさせたのである、ということなのだろうか。
馬鹿話がお得意の朔は、その草なら井戸から落っこちた時に、地中で食べたぞとのたまう。


ともあれ、古代の三本足烏信仰は終焉させられたということ。

尚、現代では、地日草は天日草と改名される模様。地底に靴舟で食べにいくのではなく、ロケットに乗って宇宙ステーションに着くと、そこには花が咲いているという。もっとも、その草は不老ではなく、寿命百日とか。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 3」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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