表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.2.25 ■■■ シンデレラの原典シンデレラは知らぬ人無しの西洋童話。一般的にはグリム[独,兄:1785-1863]の作品だが、欧州全域の民話と言ってよさそう。しかし、ペロー[仏,1628-1703]やバジーレ[伊,1575-1632]も同様な話を収載しているそうだし、南方熊楠によればポルトガル民話集にも3パターンで登場とか。つまり、決して定番がある訳ではなく、各地に似た話が広く存在しているということ。 そのなかで、熊楠は鋭い指摘をしている。・・・ 成式は東アジアの古民話を集録しているが、そのなかにシンデレラの「原型」が登場しているというのだ。(熊楠は「十二支考(蛇)」でも、「酉陽雑俎」から引用しており、民俗学的な見地から貴重な書とみなしているのは間違いない。) それは"葉限"伝説。 秦・漢時代より前の、洞主呉氏の娘の話。南中怪事に詳しい、邕州洞中出身の家人から聴取したとされている。 ガイストはこんなところ。(本文下記)・・・ 亡くなった妻の子"葉限"は、愛されていた父が死去してしまい、もう一方の妻に樵や水汲役としてこき使われていた。金魚のような魚を見つけて飼っていたが、成長したので池で大切にして育てていた。魚が懐いていたのを知った継母は、"葉限"のふりをして魚を捕まえて食べ、その骨を埋めてしまう。"葉限"は魚がいなくなったので慟哭。すると、"被發粗衣"の人が天から降臨し、継母が殺し、その骨が糞溜にあると教える。さらに、その骨を所蔵し祈れば望みがかなえられるとのたまう。 実際その通りだったので、地域の節祭に、継母とその娘がでかけた後に、着飾って金の履物で行ってみた。すると、見つかりそうになったので逃げ戻る。その際、靴を片方落してしまう。 その特別な靴を拾った者から購入した陀汗國王は持主を探す。履ける人がいなかったが、"葉限"を見つけて履かせるとピッタリ。さらに上等な着物をつけると、色若天人そのもの。王は魚の骨と"葉限"を連れて還る。 結局、継母とその娘は石撃で死亡。"葉限"は王妃に。 両者の話の違いを考えると、これは、西洋から伝わったものではなく、この話が西洋に伝わったと考えるべきではないか。 "葉限"伝説のポイントは、「魚」が登場する点にある。おそらく、成式が、この話に着目したのはソコ。 道教・仏教・儒教を知り尽くし、それらがどのような役割を担っているかを十二分に理解している成式なら、これは古代の南方住民の信仰の残滓とすぐに気付く筈と踏んでいるから。 西洋のシンデレラには、おそらく魚登場バージョンはなかろう。そして、語られる場合のハイライトはたいていは王子様がシンデレラを見初める点。王子様は、魔法で得られた特別な靴や素晴らしい衣装に惹かれるような筋にはならない。 東洋バージョンでは、恋や心の機微を感じさせるものがゼロなのと比べると、極めて対照的と言えよう。 成式が西洋のシンデレラをご存知だったとの証拠は無いが、わざわざこの話をとりあげたのは、薄々でもその辺りを知っていたのではないか。 そうでなければ、わざわざ邕州洞中(現 広西省壮族自治区南寧市南)出身の家人からの伝聞を記載するとは思えないからだ。(唐の時代にすでに少数民族だったに違いないが、そのような出身者が成式家にいたのである。) 説明の要はないと思うが、これは明らかに、魚を支配する「王(神)」への信仰話。 キリスト教的世界観とは相いれないストーリーである。シンデレラとは、そうした部分が消し去られ、現存する為政者の「王子」の"愛"が状況を一変させたという具合に変質していったと考えるのが自然。 もちろん、この話自体、道教・仏教・儒教のフレーバーがゼロという訳ではない。一種の葬儀ルールである、食材動物慰霊塔祭祀的挙行が組み込まれているし、為政者が登場して初めて処罰に繋がるような筋立て。王の使者も天から降臨する。 しかし、仏教の輪廻感に基づく動物殺傷やイジメ忌避の姿勢は感じられないし、天帝の存在感も皆無。為政者にしても、"葉限"を后にする動機は、ヒトとなりでなく、一に素晴らしき靴であり、寶を産み出す魔法の骨だし、その後での容姿の素晴らしさ。儒教的にはなんの魅力も感じさせない王である。 成式はだからこそ、この伝説に魅せられたとは言えまいか。 古代信仰は道教・仏教・儒教に取り込まれてしまい、それがわかるような話は中華帝国にはほとんど残っていなかったが、少数民族の伝承話にはその残滓ありと感じたに違いあるまい。これは是非にも収録しておかねば、と。「秦・漢時代より前のこと」で「広西省壮族自治区」の伝承話との記載こそ肝。 要するに、貝信仰がまだ残っていた時代とは、「王」から、お魚を頂戴してこそ生活ができると考えていたということ。その様なお魚は、出来る限り無駄なく利用し感謝の印を見せる必要があるとなる。それでも残ってしまったら、"捨てる"のではなく、どこかに大事に保管すべしが、生活信条だった筈。このルールを破れば、罰が当たるというのが、根底的なものの考え方。 成式、流石。 熊楠はそこらを読み取っていたと思われる。 (南方熊楠の著作) 「西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語(畏れる民族間に存する類似古話の比較研究)」1911 [→81頁]@NDL近代デジタルライブラリー^ ("葉限"伝説 @段成式:「酉陽雜俎」續集卷一 支諾皋上) 南人相傳,秦漢前有洞主呉氏,土人呼為呉洞。娶兩妻,一妻卒。有女名葉限,少惠,善陶(一作鉤)金,父愛之。末歲父卒,為後母所苦,常令樵險汲深。時嘗得一鱗,二寸余,゚エ金目,遂潛養於盆水。日日長,易數器,大不能受,乃投於後池中。女所得余食,輒沈以食之。女至池,魚必露首枕岸,他人至不復出。其母知之,毎伺之,魚未嘗見也。因詐女曰:“爾無勞乎,吾為爾新其襦。”乃易其弊衣。後令汲於他泉,計裏數百(一作裏)也。母徐衣其女衣,袖利刃行向池。呼魚,魚即出首,因斤殺之,魚已長丈余。膳其肉,味倍常魚,藏其骨於郁棲之下。逾日,女至向池,不復見魚矣,乃哭於野。忽有人被發粗衣,自天而降,慰女曰:“爾無哭,爾母殺爾魚矣,骨在糞下。爾歸,可取魚骨藏於室,所須第祈之,當隨爾也。”女用其言,金璣衣食隨欲而具。及洞節,母往,令女守庭果。女伺母行遠,亦往,衣翠紡上衣,躡金履。母所生女認之,謂母曰:“此甚似姉也。”母亦疑之。女覺,遽反,遂遺一只履,為洞人所得。母歸,但見女抱庭樹眠,亦不之慮。其洞鄰海島,島中有國名陀汗,兵強,王數十島,水界數千裏。洞人遂貨其履於陀汗國,國主得之,命其左右履之,足小者履減一寸。乃令一國婦人履之,竟無一稱者。其輕如毛,履石無聲。陀汗王意其洞人以非道得之,遂禁錮而栲掠之,竟不知所從來。乃以是履棄之於道旁,即遍歴人家捕之,若有女履者,捕之以告。陀汗王怪之,乃搜其室,得葉限,令履之而信。葉限因衣翠紡衣,躡履而進,色若天人也。始具事於王,載魚骨與葉限倶還國。其母及女即為飛石撃死,洞人哀之,埋於石坑,命曰懊女冢。洞人以為ワ祀,求女必應。陀汗王至國,以葉限為上婦。一年,王貪求,祈於魚骨,寶玉無限。逾年,不復應。王乃葬魚骨於海岸,用珠百斛藏之,以金為際。至征卒叛時,將發以贍軍。一夕,為海潮所淪。成式舊家人李士元聽説。士元本邕州洞中人,多記得南中怪事。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 5」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |