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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.2.26 ■■■

刺青

「酉陽雑俎」は記述対象が多岐に渡り、博物学本的様相を示しているが、「怪奇小説」として紹介されることも少なくない。その方が千夜一夜物語的に紹介でき、読者層が広くなるから、出版ビジネスからすれば当然かもしれない。もちろん、学術的に価値の高い東洋文庫の話をしているのではない。そんな本もご紹介しておこう。・・・
   岡本綺堂「中国怪奇小説集 酉陽雑爼(唐)」 @青空文庫
ここで怪奇譚として採択されている文章は19にすぎないが、これぞ「奇異」と思われるお話の厳選集だと思われる。 (古塚の怪異 王申の禍 画中の人 北斗七星の秘密 駅舎の一夜 小人 怪物の口 一つの杏 剣術 刺青 朱髪児 人面瘡 油売 九尾狐 妬婦津 悪少年 唐櫃の熊 徐敬業 死婦の舞)

しかし、小生からみると、この選択に若干の違和感を禁じ得ない。「刺青」が混じっているからだ。これは巻八に所収の話だが、この巻は3篇からなっており、【黥】がその1つ。入墨に特別な思いがあったことがわかろう。そうは言っても、怪奇譚の単なる分類に過ぎぬと見ることもできるが。
小生は、この篇は、成式の社会に対する問題意識がモロ剥き出し状態と見る。従って、貴重な箇所である。

岡本綺堂訳の「刺青」はその冒頭のお話。3つのストーリーのうち中抜きで2つを簡素化して描くとこんな具合。
 都の市中に住む悪少年どもは、
   膚には種々の刺青のほりものをしている。
 諸軍隊の兵卒らもそれに加わって乱暴狼藉。
 地方長官は、見あたり次第に片端から引っ捕えて、
 ことごとく市に於いて杖殺させた。
 しかして、
 みな争ってそれを焼き消してしまった。

 背中一面に毘沙門天像を彫った
 喧嘩商売の暴れ者がいた。
 尊像を憚って獄吏も杖をあてかね、
 増長してさらに暴れた。
 そこで、役人が意を決して杖打ち刑。
 十日ほどの後、肌ぬぎになって
 役所へ呶鳴り込んで来た。
 「毘沙門天御尊像が傷だらけ
   修繕の御寄進を」
 その結果は伝わっていない。

成式はパンクを描いているだけ。怪奇観で眺めているのではない。

何故に、このようなつまらぬ風俗に関心があったかといえば、漢の時代の3種類の「肉刑」を知っていたからである。
1に「黥」。2に「」。3に「左右趾」。極めて残酷であり、仏教の影響が強くなると公的に廃止になったようで、私刑も禁止。
しかし、中華帝国とは書面と実際が同じとは限らないというか、そんなものが遵守できるような風土である筈がなかろう。
実際、親戚が、「逃走奴」と額に刺青を入れられた跡がある髑髏を見つけたことがあると述懐。髑髏の主が従者の夢に登場して、・・・という部分は概ね想像がつく展開である。ありきたりで、怪奇というほどのものではない。
 成式三從兄遘,貞元中,嘗過黄色坑。
 有從者拾髑顱骨數片,將為藥,
 一片上有“逃走奴”三字,痕如淡墨,方知黥蹤入骨也。
 從者夜夢一人,掩面從其索骨曰:
  “我羞甚,幸君為我深藏之,當福君。”
 從者驚覺毛戴,遽為埋之。
 後有事,鬼倣佛夢中報之。以是獲財,欲至十萬而卒。


しかし、このような刑罰としての刺青には、バックグラウンドありと知らせているところが秀逸。もっとも、倭人なら、越人は断髪黥面習俗だというのは常識であるが。
 越人習水,必鏤身以避蛇龍之患。
 今南中繍面老子,蓋雕題之遺俗也。

間違ってはこまるが、冒頭のパンク風習はこの海人の鮫避けの系譜に連なるものではない。武装闘争命の部族の体質が発祥なのである。

成式は「漢書」から引用して、刺青とは勇猛さの象徴にほかならず、当然ながら部族表象でもあり、敵見方を区別するための道具と看破しているのだ。
  “除肉刑,當黥者鉗為城旦舂。”
  “使王烏等窺匈奴。
   法,漢使不去節,不以墨黥面,不得入穹盧。
   王烏等去節、黥面,得入穹盧,單於愛之。”
なんと顔に刺青をしていないと、匈奴は、外交官として認めず、交渉させてくれないのである。その代わり、それを受け入れると、同族のように受け入れてくれるのだ。これぞまさしく都市風俗の刺青の原点。
権力にへつらう気が全く無い、強い紐帯の暴力的組織を編成したいなら、刺青ほど便利な表象は無いのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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