表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.1 ■■■ 金鎖錢貓招き猫の漢字は「招福猫児」かと思っていたら、それは日本語のようだ。日本一種常見的貓型偶像で餐飲業用の「招財貓」とされていそう。さすれば、日本発祥かとなるが、成式がその原点らしき話を記載していた。丁度この頃、猫を飼うのが流行していたのであろう。 招き猫の由来にたいした意味があるとは思えないが、マ、座興ということで、取り上げてみたい。 その猫だが、文献的初出["迎貓"]は後漢期。王朝がインドから移入し飼育を始めた模様。膨大な経典が運ばれてきたので、鼠被害を防ぐために猫も一緒にやってきた筈というのだ。もっともらしいが、確たる証拠がある訳ではなさそう。 成式はこんな風に書いている。・・・ 貓,目睛暮圓,及午豎斂如糸延。 其鼻端常冷,唯夏至一日暖。 其毛不容蚤,虱K者暗中逆循其毛,即若火星。 俗言貓洗面過耳則客至。 楚州謝陽出貓,有褐花者。 靈武有紅叱撥及青驄色者。 貓一名蒙貴,一名烏員。 平陵城,古譚國也,城中有一貓,常帶金鎖, 有錢飛若蛺蝶,士人往往見之。 [續集卷八 支動] 整理するとこんな具合。・・・ 【目睛(瞳)】 形が明るさで変わる。 暮・・・圓形 午・・・斂型糸状 【鼻端】 常時冷たい。 例外的に夏至の日のみ暖かい。 鋭い観察眼。 日永で眠いと自然に鼻が乾いてくる。 【毛】 蚤を容認せず。 黒猫を暗闇で逆撫ですると火花のように散る。 静電気放電だネ。 <俗説> 猫、面を洗いて耳を過ぐれば、すなわち客至る。 この仕草だが、對男人撒嬌的。 どのような客か想像できるナ。 どのような商売かを書かないのがミソ。 【色柄】 ネコは様々。褐花は単褐色の斑だろう。 現代の中国猫とは虎縞で狸花と呼ぶらしい。 褐花辺りが、古いタイプで親近感ありなのだろう。 今でも、陶器の褐花猫枕が売れるのだから。 王朝ではレアものが尊ばれたに違いあるまい。 「蒙貴」「烏員」 ひょっととして、マヌルネコ[蒙古山猫]のことではないかと思ったが、飼い猫だろうからペルシア猫と見た方がよいか。もっとも、烏員=烏猫とすれば、黒猫になる。黒猫は目だけが目立つから、夜空の星そっくり。珍重されたに違いなかろう。 【銭】 猫に小判なのに、何故か招き猫が小判を持っているのが不可思議だったが氷解。金の鎖に、銭を抱える猫がいたのだから。 コレ、作り話ではなく実話だと思う。猫には個性があり、銭で遊んでもおかしくないからだ。となると、この猫は白単色の可能性が高かろう。大事に飼っていた訳だから、レア性が目立つ青目だったかも。いかにも小国での話になってはいるが、平陵城(山東省歴城県で、黒陶の竜山文化の地)だから、それなりの文化蓄積がある都市と見てよそそう。回族がペルシアからこの地に持ち込んだのではないか。 尚、山東ではないが、陝西東〜山西南の韓原の地には野生の貓がいたようである。熊などと同列の獣扱いだから、対馬山猫の類縁だろう。 この記述があるので、漢より前は飼い猫はいなかったと見なすようだ。 蹶父孔武,靡國不到。為韓姞相攸,莫如韓樂。 孔樂韓土,川澤訏訏。魴鱮甫甫,麀鹿噳噳。 有熊有羆,有貓有虎。慶既令居,韓姞燕譽。 [詩経 大雅 蕩之什 韓奕] 武勇人たる蹶父は、行かなかった国無し。 韓姞の為の地を思うに、韓ほど楽しい所無し。 韓土は楽しむべき地で、川も沢も立派だ。 魴鱮も素晴らしいし、麀鹿も揚々としている。 熊も羆もいるし、貓や虎もいる。 慶賀なりし、ここでの居住。韓姞も燕譽たり。 成式先生、貓肉の話題は避けたようだ。 (参照) 秦佳慧(浙江大学古籍研究所講師):「福を手招き−中国に縁のある招き猫」2010年12月24日 "文化の交差点【10-07】" SciencePortal China (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 5」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |