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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.2 ■■■

李白評

段成式[803-863]は、李商隠[813-852]、と温庭[814-870]を合わせ、駢儷文流派(四字句六字句を多用し、対の均整美を重視)と見なされていたという。一族の排行16番目の3人ということで、「三十六体」と呼ばれていた位だから重用されたものと思われる。
すでに失われた古文であり、実用性なき言葉が多かったのだろうが、権威者として通用したということか。平易に読める詩を心掛けた白楽天とは違い、芸術表現としては保守的姿勢を貫いた訳だ。

そんな成式が、道教一本槍の李白を取り上げている。[卷十二 語資]
4つのパートから成り立っているので見ておこう。

【1】
李白名播海内,玄宗於便殿召見,神氣高朗,軒軒然若霞舉。
上不覺亡萬乘之尊,因命納,白遂展足與高力士曰:
 “去靴。”
力士失勢,遽為脱之。
及出,上指白謂力士曰:
 “此人固窮相。”


李白の高名さは国中に轟いていた。
そこで、玄宗は殿中に招き入れ謁見。
オーラが感じられるほどだったという。
帝は身分を忘れ、履物を脱ぐことを許した。
すると、突如、宦官に脱がさせた。とまどう宦官。
(権力に媚び諂うことを軽蔑しているとの姿勢を
見せつけたかったのだろう。
処世術を軽蔑する、頑なな人物に映ったろう。)
帝は、謁見後、宦官に、
「困窮の相あり」と指摘。

(失礼千万な態度。
社会の上層に受け入れられるとは思えまい。
そのうち放逐の憂き目だから見ておけよと言う訳。)

成式は宰相の息子で七光りを上手に利用しながら、思うところを公言もせずに、ギリギリ許されそうな範囲で主張している訳で、マ、よくやるネというところ。
一方、李白の祖は流罪人。当然、李白は西域生まれになる。ただ、詩才ありということで都に出て成功したのである。
そんな経歴を考えると、反骨精神も致し方ないところもある、と見ていたに違いない。
「危ない、危ない」と感じている訳だ。

【2】
白前後三擬詞選,不如意,悉焚之,唯留《恨》、《別賦》。

古代から連綿と続く「別」や「恨」の文芸の流れがある。そこで李白も古き歌を模し、その精神をを昇華した作品を産み出すために奮闘した訳だ。従って、徹底遂行はわからないでもないが、少々やりすぎと違うかというのが成式の印象では。
成式が指摘する李白の2賦のうち「擬別賦」は喪失してしまったが、もう一方は残っている。・・・
  悲憤やるかたなき気分が荒涼感と重なる。
  始皇帝や王昭君まで、「恨」は幾重にも連なる。
  命短し、飲恨而歿。

  「擬恨賦」  [李白]
晨登太山,一望蒿里;松楸骨寒,宿草墳毀。浮生可嗟,大運同此。
於是僕本壯夫,慷慨不歇;仰思前賢,飲恨而歿。
  昔如漢祖龍躍,羣雄競奔;提劍叱咤,指揮中原;東馳渤,西漂崑崘。
斷蛇奮旅,掃清國歩;握瑤圖而條昇,登紫壇而雄顧。一朝長辭,天下縞素。
  若乃項王虎,白日爭輝;拔山力盡,蓋世心違。
聞楚歌之四合,知漢卒之重圍。帳中劔舞,泣挫雄威;騅兮不逝,何歸。
  至如荊卿入秦,直度易水;長虹貫日,寒風颯起。
遠讎始皇,擬報太子;奇謀不成,憤而死。
  若夫陳后失寵,長門掩扉;日冷金殿,霜凄錦衣。
春草罷香C秋螢亂飛;恨桃李之委絶,思君王之有違。
  昔者屈原既放,遷於湘流;心死舊楚,魂飛長楸。
聽江風之嫋嫋,聞嶺之啾啾;永埋骨於水,怨懷王之不收。
  及夫李斯受戮,神氣黯然;左右垂泣,精魂動天。
執愛子以長別,歎黄犬之無縁。
  或有從軍永訣,去國長違;天涯遷客,海外思歸。
此人忽見愁雲蔽日,目斷心飛;莫不眉痛骨,血霑衣。
若乃錯繍轂,填金門;煙塵曉沓,歌鐘晝喧。亦復星沈電滅,閉影潛魂。
  已矣哉!桂華滿兮明月輝,扶桑曉兮白日飛。
玉顏減兮螻蟻聚,碧臺空兮歌舞稀;與天道兮共盡,莫不委骨而同歸。


【3】
及祿山反,制《胡無人》,言:
 “太白入月敵可摧。”
及祿山死,太白蝕月。


安禄山の乱は、唐の衰退を決定づけたもの。しかし、その後に李白が作った「胡無人」には、そんな陰りは微塵も感じられない。
酒色の道教詩人ではあるが、政権の一角を担うべく、勇壮果敢な唐の将兵達を賛美鼓舞する役割を十二分に果たしているのである。太白(金星)が月に入れば、敵を殲滅できるという、道教的発想での戦士への激励でもある。
なにせ、安禄山が死ぬと月食が起きたというのだからその効果たるや抜群であったろう。
まさに中華帝国万々歳の詩人であり、そこに、儒教的な戦争回避発想など皆無。

  「胡無人」  [李白]
嚴風吹霜海草凋,筋干精堅胡馬驕。
漢家戦士三十万,将軍兼領霍嫖姚。
流星白羽腰間插,剣花秋蓮光出匣。
天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。
雲龍風虎尽交回,太白入月敵可摧。
敵可摧,旄頭滅,履胡之腸渉胡血。
懸胡青天上,埋胡紫塞傍。
胡無人,漢道昌。

  「相和歌辞胡無人行」
・・・,陛下之寿三千霜。
但歌大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。
胡無人,漢道昌

いかにも戦いの詩そのもの。生々しい表現だらけ。・・・
 胡人の腸を踏みつけ、流れる胡人の血潮を渉り、
 胡人の首を賭けて青天にかかげる。
 胡人の死体は紫塞の傍らに埋めてしまう。
 そして、ついに、胡に人無し。
 漢の道のみ隆盛。

【4】
衆言李白唯戲杜考功“飯顆山頭”之句,
成式偶見李白祠亭上宴別杜考功詩,今録首尾曰:
  「秋日魯郡堯祠亭上宴別杜補闕范侍御」
 “我覚秋興逸,誰云秋興悲。
  山将落日去,水与晴空宜。
  魯酒白玉壺,送行駐金
  歇鞍憩古木,解帶挂横枝。
  歌鼓川上亭,曲度神吹。
  煙歸碧海夕,雁没青天時。
  相失各万里,茫然空爾思。”


李白は時に杜甫(杜考功)をからかっていた訳だが、マ、確かに、杜甫ヨ、そこまでしなくてもよかろうに、とは誰でも思う訳で。おそらく、成式も、杜甫の真面目一本槍は窮屈すぎて肌が合わぬというところだろう。
  「戲贈杜甫」  [李白]
 飯顆山頭逢杜甫,頂戴笠子日卓午。
 借問別来太痩生,總為从前作詩苦。


成式のよいところは、無理をしないこと。生活できなくなれば、元も子も無かろうと考えたにすぎまい。
従って、反生真面目こそが生活信条となる。自明な倫理感の吐露など馬鹿馬鹿しくてできぬといった心境なのであろう。
ナンダカナ的信仰に嵌ることは無いし、宗教を観察の対象にできる心の余裕も持ち合わせている。
従って、そこには必ず笑がある。
言うまでもないが、それは、訳のわからぬギャグ的なものとは縁遠く、諧謔あり、皮肉ありの世界。すぐにわかるとも限らない。エスプリをきかせた上質の笑いなのだ。
杜甫には、その境地全くわかるまい。
しかし、杜甫の生真面目さをからかうことはできても、そんな笑いを共有できるとは限らない。

(参考邦訳)
段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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