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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.10 ■■■

羽 (難物)

羽篇の続きだが、現生の鳥だろうが、確信が持てぬものも。もちろん、なんのことやら訳のわからぬ生物も少なくない。
成式は、ヘンテコ名称大好き人間だから致し方ないとはいえ、何を指しているかの検討は厄介千万。

その辺りの事情が、今村与志雄注に目立たぬようにチョコッと書いてあったりする。学者は徹底的に調べて考え抜かねばならぬが、その挙句、馬鹿野郎、コレ冗談じゃないかとわかったりして、苦笑させられどおしだったということかも。
そんな風に考えると、まさに、アハハの指摘。
○○は、「意味ありげな鳥名である。段成式一流の、僻典怪字を駆使した造語」・・・「辛辣な皮肉が含まれると人をして推測させる。」
危うい表現もあるので、危険分子として槍玉にあがりそうになっても、ホラ、指摘している前後を見ればおわかりのように単なる伝聞を記載しただけですゼ、と真面目な顔をして対応するのであろう。一部のインテリはそれが又可笑しい訳だ。

従って、掲載順序も考慮されているのだろうが、そこまでは真意がつかみかねるので、こちらが理解し易いように眺める方がよかろう。

と言うことで、羽篇の最後に掲載されているものから。

この鳥は、どうも鵙/百舌[もず]で間違いなさそう。
【百勞】
初耳の言い方だが、「百」ではなく「博」が普通のように書いてあるが、本来的には「伯」だろう。
博勞也。相傳伯奇所化。
浅学の身には、この鳥は「伯奇」のことと言われても、なんのコッチャだ。しかし、漢語の世界では常識らしい。
   「伯奇鳥的傳説 選自《太平御覧》」@[臺]神話志海神 精選動畫故事光30879書
そう言えば、日本でも、今昔物語[巻九第二十]に、震旦の周代の臣、伊尹が子 伯奇、死にて鳴鳥となりて継母に怨みを報ぜるとの話が収録されているという。小生は気付かなかった。
この出典は北齊 顏之推:「顔氏家訓」。・・・
吉甫,賢父也,伯奇,孝子也,以賢父御孝子,合得終於天性,而後妻阡V,伯奇遂放。曾參婦死,謂其子曰:「吾不及吉甫,汝不及伯奇。」王駿喪妻,亦謂人曰:「我不及曾參,子不如華、元。」並終身不娶,此等足以爲誡。其後,假繼慘虐孤遺,離闕恣,傷心斷腸者,何可勝數。慎之哉!慎之哉! [卷第一 後娶第四]
詩だと以下。
  「琴操十首其七 履霜操」   [唐 韓愈]
尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作。本詞云:朝履霜兮采晨寒,考不明其心兮信讒言。孤恩別離兮摧肺肝,何辜皇天兮遭斯愆。痛歿不同兮恩有偏,誰能流顧兮知我冤。
 父兮兒寒,母兮兒飢。兒罪當笞,逐兒何爲。兒在中野,以宿以處。
 四無人聲,誰與兒語。兒寒何衣,兒飢何食。兒行於野,履霜以足。
 母生衆兒,有母憐之。獨無母憐,兒寧不悲。


手っ取り早く言えば、官僚として生き抜くためのご教訓的逸話にピッタリなのである。従って、成式の周囲の人々は全員知っていた筈。当然、そんなことはおくびにも出さぬ。その替わりとして、そんな話とは全くつながりそうもない南方貴族の風習を引っ張ってきたのである。
南人繼母有娠,乳兒病如虐,唯具鵙毛治之。
いい加減なものではない。本草綱目@中醫大典中醫典籍大全集にその旨が掲載されているのだから。
 [主治]小兒繼病,取毛帶之。
なんともコメントのつけようがない。

お次も猛禽系で。
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//隼[はやぶさ]の類縁らしい。
相傳鶻生三子,一為
粛宗と、実権を握る張皇后の確執はよく知られているが、そこに酒が関係するとは。
肅宗張皇後專權,毎進酒,常置腦酒。腦酒令人久醉健忘。
モズなら、速贄の場所を忘れるタイプだからわかるが。ハヤブサの鋭さを酒から得られると吹聴して泥酔させたということだろうか。
気味悪さを感じさせる話である。

日本の五位鷺/Night heronの近縁。(夜鷺類)
𪁉
夜行性なので、夜警役に向いているといううことだろう。
舊言辟火災。
この鳥は、鷺同様に、樹冠頂部に枝を集めて巣をつくる。従って、土中の穴で幼鳥を育てる話は聞いたこと無い。ただ、余りよく飛べないので陸にいたりすることは多い。当然、どこかに隠れることになろう。
飛ぶ練習も必要だと思うが、情報は不足なので、なんとも。
一方、成鳥は、昼間は水面上の枝にとまって過ごすことが多いと言われている。もちろん、夜になると餌を獲るために水辺を徘徊する訳だ。
巣於高樹,生子穴中,銜其母翅飛下養之。

アジアに棲まない七面鳥と同じ名称の鳥も登場。もちろん、実在のアジアの遠縁の鳥である。
【吐綬鳥】
綬とは印鑑などについている飾り紐を指す。それを口から吐いているようだということでの命名。
中国東南部に棲む角雉。色変わりがあり、栗頭、紅胸/腹、灰腹、黄腹の5種類が知られているが、中華食帝国のこと。どうせどれもこれも絶滅か絶滅寸前だとろう。
成式がとりあげたのは、おそらく黄腹角雉。
雉とされるが、餌取り以外は、灌木上に棲んでいるようだ。
魚復縣南山有鳥,大如,羽色多K,雜以黄白,頭頬似雉,有時吐物,長數寸,丹彩彪炳,形色類綬,因名為吐綬鳥。又食必蓄,臆前大如鬥,慮觸其,行毎遠草木,故一名避株鳥。

頭に冠がつくのでよく知られる鳥がいる。ところが、都の近郊の山にも、それに類似する鳥がいると言われてもネ。
【柴蒿】
京之近山有柴蒿,鳥頭,有冠如戴勝,大若野
その鳥とは戴勝/八頭。分子生物学で今は異なる種類になってしまったが、昔から仏法僧の仲間とされてきた。要するに、矢鱈に着飾って、美しい王冠までつけている坊主がいると言っている訳である。もちろん、仏法僧というカテゴリーは、その鳴き声からくるのだが。
無理矢理にそんな話に仕立てているのではなく、現代中国でも、山和尚とか呼と呼ばれる位なのだ。日本は棲息地とは言い難いが、渡来してくる異端の個体もママいる。畑や草地をポトポトと歩いて虫を啄ばむので、時折発見される。もちろん、湿気の多い蓬が生えている所や、灌木や樹木が目立つ林の周辺にはいない。
そんな所に住むのはヒトの山和尚くらいのもの。

戴冠鳥は他にも。
【蝦蟆護】
南山下有鳥名蝦蟆護,多在田中,頭有冠,色蒼,足赤,形似鷺。
こちらも、戴勝の一種だろう。終南山の月を愛でる道教的詩人の好にに合った棲息種と言えよう。

何故かカラス型の鳥が、烏の記述とは関係なくポツネンと記載されている。棲息地の地名をわざわざあげた理由はよくわからぬ。
鳥】
武州縣合火山,山上有鳥。形類鳥,觜赤如丹。一名赤觜鳥,亦曰阿鳥。
これは紅嘴山鴉だろう。満州〜朝鮮半島〜日本にはいないが、華北〜西域〜パミール高原〜カスピ海の南までの広い範囲で珍しくもない手の鳥。
聖鳥になってもおかしくないのにということで取り上げたのだろうか。

もう一つカラス系と思しき鳥の話がある。
【鸛(鸛)
一名墮羿,形似鵲。人射之,則銜矢反射人。
「爾雅 釋鳥」から来ているようだ。射日英雄の羿でも、射落とせなない烏もいるということになろうか。しかし、烏と書く訳にもいかぬので、鴉と形態的にはそっくりの鵲[かささぎ]に似ているとしたのだろうか。両者ともに、弓の速度より敏捷に動くというのではなく、頭脳プレーが際立っていると見てよかろう。上手くよけて矢を取り上げる程度はなんなくこなす。ヒトを襲うこともある。

該当する鳥が見つからないものも。
雕】
喙大而勾,長一尺,赤黄色,受二升,南人以為酒杯也。
クチバシの大きな鳥といえば、嘴広鸛、大嘴、ペリカンだが、どれもアジアの鳥ではない。
しかし、そんな鳥など実在する訳がなかろうとは言いきれない。いかにも大喰らいであり、漁民の敵と見なされ、早々と絶滅させられていた可能性もあるからだ。
《劉欣期交州志》,水鳥。出九眞交趾,大如孔雀,喙長尺許,南人以爲飮器。
そうでないとすれば、趙大型の阿呆鳥か。

四足で飛ぶ鳥が出てくるが、蝙蝠か滑空タイプの/摸摸具和[ももんが]、あるいは白頬/鼠[むささび]しかありえまい。
【−】
大歴八年,大鳥見武功,群鳥隨噪之。行營將張日芬射獲之,肉翅,狐首,四足,足有爪,廣四尺三寸,状類蝙蝠。又州有白頭鳥,乳
これはどう考えても蝙蝠の一種。

次も四足。
【菘節鳥】
四脚,尾似鼠,形如雀,終南深谷中有之。
詩人が好んでモチーフにした、長安南の山である。雀や鼠の合いの子のような動物が好んで行きたがるところデッせということか。

肉翅というのも、哺乳類臭芬々。
【老𪅠
秦中山谷間有鳥如梟,色青黄,肉翅,好食煙。見人輒驚落,隱首草穴中,常露身。其聲如嬰兒啼,名老𪅠
こちらは、秦のド真ん中。煙を燻らせると、当たり前だが穴からでてくる。確かに、ビックリすると飛ばずに、真下に落下することがある。梟体質であるが、気が小さいというのは特徴をよくとらえている。寝姿も的確。

成式先生、これらの動物の様子をあたかも見たことがなかった風に書いている。しかし、どうも本当はよく知っていて、知らぬふりして書いている気配濃厚。こうした動物が特定の地域だけに棲んでいる訳がないし、滅多に見られない希少種どころか、この当時なら林にいけばいくらでもいた筈だから。
それに、そのように欠けば、ナンダカネ命名も可能だから。

秀逸な命名も。そう思う人は限定されるだろうが。
【訓胡】
惡鳥也。鳴則後竅應之。
ギリギリの冗談では。大丈夫かいな。

さらなるナンダカネ鳥も。
【王母使者】
齊郡函山有鳥,足青,觜赤,黄素翼,絳,名王母使者。昔漢武登此山,得玉函,長五寸。帝下山,玉函忽化為白鳥飛去。世傳山上有王母藥函,常令鳥守之。
ただ、足が青色で、嘴が赤の鳥は、そう珍しい訳ではない。ただ全体が白色系ではないのが普通。しかし、そんな変わった鳥が知られていたのであろう。
西王母は「西」だし、その鳥とも思えないが、派手な色彩なら使者としてもよいだろうといった調子か。

鬼神の如しとしながら、羽篇にもってきているものも。
【夜行遊女/天帝女/釣星】
一曰天帝女,一曰釣星。夜飛晝隱如鬼神,衣毛為飛鳥,脱毛為婦人。無子,喜取人子,胸前有乳。凡人飴小兒不可露處,小兒衣亦不可露,毛落衣中,當為鳥祟。或以血點其衣為誌。或言産死者所化。

圧巻は、頭10個の鳥。これは、怪奇モノであり、羽篇に突然登場させている訳で、相当にユニークな編纂方針と言えよう。
【鬼車鳥】
相傳此鳥昔有十首,能收人魂,一首為犬所噬。秦中天陰,有時有聲,聲如力車鳴,或言是水過也。

コレも、ここで扱うべき類ではないと思うが。
【嗽金鳥】・・・昆明國
出昆明國。形如雀,色黄,常翔於海上。魏明帝時,其國來獻此鳥。飴以真珠及龜腦,常吐金屑如粟,鑄之乃為器服。宮人爭以鳥所吐金為釵珥,謂之辟寒金,以鳥不畏寒也。宮人相嘲弄曰:“不服辟寒金,那得帝王心。不服辟寒鈿,那得帝王憐。”
なにせ、真珠を食べ、金を吐くという、異界いそうな鳥。ところが、これが朝廷に実在する鳥だというからビックリ。そんな話を耳にすれば寒気に襲われるのでは。
朝廷で大人気を博した、昆明の高地民族の貢物の鳥だが。海上を翔ぶというのもおかしな話だ。この、あまりの馬鹿馬鹿しさを取り上げたかったのかも。

ここから先は、「ほとんどわからず鳥」。

【兜兜鳥】
其聲自號,正月以後作聲,至五月節不知所在。其形似
「兜兜兜兜」と鳴くといっても。正月に登場となると鶯系が多いが、五月に消えるというのだから渡り鳥だろうか。烏灰鶇/黒鶫[クロツグミ]の可能性も。
事績的な話が無いが、自明なのだろうか。

もっとも、事績と言っても、中華帝国の周辺部の朝貢国が持参した鳥の話はおよそ現実感が薄いものだらけ。考えられぬような珍種を献上させたとの宣伝が、天子の威光を高めると考えているのであろう。現代の独裁者も似た様な発想であるから、嘘だろうが、皆で大喜びすることが無上の喜びなのであろう。
そんな考えがよぎるのは、成式の記述が、周辺国の鳥に関しては覚めたムードで記述しているからだろう。

そもそも、実在していた国なのかさえ疑問を漢字てしまう記述。
【細鳥】・・・畢勒國
漢武時,畢勒國獻細鳥,以方尺玉為籠,數百頭,状如蠅,聲如鴻鵠。此國以候日,因名候日蟲。集宮人衣,輒蒙愛幸。
南米のハチドリ並の鳥が存在していれば、あり得る話だが、少々無理があろう。凡人には、候日蟲の機能も想像がつかぬし、蠅に似た鳥とはどういうことか。外皮に羽毛状の菌体を抱えた蝉の一種かね。

続くは、実存はしていたが、わからなくなってしまった鳥。
【背明鳥】・・・呉
呉時,越雋之南獻背明鳥。形如鶴,止不向明,巣必對北,其聲百變。
成式先生が情報を切り捨てたのか、恣意的に情報が追加された書なのか、どちらかは定かではないが以下のような話が残っている。これを読む限り、吉祥鳥だったのは間違いなさそう。その後、逆扱いになって、見捨てられたようだ。
黄龍元年[229年],始都武昌。時越之南,献背明鳥,形如鶴,止不向明,巣常對北,多肉少毛,声音百変,聞鐘磬笙之声,則奮翅搖頭。時人以為吉祥。是遷都建業,殊方多貢珍奇。呉人語訛,呼背明為背亡鳥。国中以為大妖,不及百年,當有喪乱背叛滅亡之事,散逸奔逃,墟无煙火。果如斯言。後此鳥不知所在。  [拾遺記卷八 呉]
ともあれ呉の建国鳥がいたのである。狭い地域でしか通用しないトーテムだから、推定は難しい。

次は河西の鳥だが、名称が地名由来なら、発祥は中原の北西部かも。
嵐鳥】・・・河西
出河西赤塢鎮。状似烏而大,飛翔於陣上,多不利。
河西回廊は戦争の地でもあり、陣地の上を鳥が飛んでいけばソリャ不吉である。敵の大規模兵力移動や、村々での破壊活動が行われ、鳥が逃亡している可能性があるのだから。そんな見方が習い性になっている地であり、「塢」とは土塁で固めた土着民の陣を指しているのであろう。

河西に続くのは、西域への入口たる甘粛。

・・・涼州@甘粛省
状如燕稍大,足短,趾似鼠。未嘗見下地,常止林中。偶失勢控地,不能自振。及舉,上青霄。出涼州。
とは漢族の神話の雁的鳥らしいが、そんな話とは全く無縁な記載である。少々文字が違うこともある。2文字の場合は、。ところが、成式記載は、爽ではなく霜。霜の方は水鳥ではなさそうだ。お高くとまっていて地に降りないとされる。しかし、勢いを失うと地に堕ち、自分の力では上昇できない。もちあげられると、空高くという習性。
ムムー。この鳥、棘もあるかも。

流石にここまでくると疲れる。成式先生の情熱凄すぎ。
羽篇はここで了とさせて頂こう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 3」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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