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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.18 ■■■

珍品(貢物とお宝)

卷十は「物異」篇。
いつの世にも珍品を家宝にする人はいるもの。

そのなかから、異国渡来モノを取り上げてみよう。

先ずは、樹木。
西域からわざわざ持ってきた種。風が吹くと葉がザワザワ鳴るので珍しいということで。マ、帝へのプリゼンテーションとしてよさげな名前を考えたのであろう。李白が「世人不識東方朔[B.C.154-B.C.94]、大隠金門是謫仙」と褒めたほどで、有名人だったようである。
【風聲木】
東方朔西那汗國[西突厥]回,得風聲木枝,帝以賜大臣。人有疾則枝汗,將死則折,應“人生年未半枝不汗”。
おそらく、風の樹木だから「楓」系の樹木。挿し木で栽培可能なので、帝は喜んで、臣下に分け与えた訳だ。樹皮から樹液が沁み出すタイプ。東方朔は、冗談半分に汗をかく木だと言ったにすぎまい。大切にせず、枝でも折ったりすればヒトが死んだりしかねないのですゾ、などと。もともとギャグ好きで知られ、それが帝にも気にいられた訳で、一般的には"笑いの神様"とされるほどなのだから。

【古鍋】
[河南]陵縣石城崗有古鍋一口,樹生其内,大數圍。
樹木でも、鉢植えならぬ、鍋植えも珍しいものだったようである。陶器だとポーラスだが金属はそうはいかぬから、上手く育てられるのかはなはだ疑問だが、面倒見さえよければ一種の大型盆栽になるということだろう。
樹網に合わせた陶器の鉢を用意するというのが、常識的な審美眼だから、一種のアバンギャルド。

そのような感覚とは程遠いが、なかには、なんとミイラを自慢する人がいる。
【人臘】・・・人臘=ミイラ
李章武有人臘,長三寸余,頭項<骨中>肋成就,雲是憔僥國[n.a.]人。
しかも、「小人」のミイラを持っているト。
成都辺りの墓泥棒が見つけた、ミイラ化した子供の遺骸をつかまされたのと違うか。
なにせ、この御仁、趣味は骨董集め(多聚古物)。得体の知れぬ物にも興味津々タイプだったと言われているのだ。矢鱈に学識があるだけに、掘り出汁モノを見つけるとすぐ入手したくなるのであろう。お蔭で、家中、ガラクタの山だったりして。
ただ、小人国は存在していたと見た方がよかろう。
古事記でも、羅摩の実の船で小人が渡来するからだ。少名毘古那神である。

ミイラを抱えて喜ぶ人から見れば、虎の皮所蔵ナゾ可愛いもの。
【大蟲皮】・・・大蟲=虎
永寧王鹽鐵,舊有大蟲皮,大如一掌,須尾斑點如犬者。
これも偽物で無いとの保証はない。ペテン師はくさるほどいる社会であり、猫皮だったりしかねない。成式もオチョくるのは大人げないと思ったのか、なんだか犬と似ているなどとヘンテコなことを書いて誤魔化している。

結構、骨董愛好家はいたようで、そういう人は、一種の発掘屋さんでもあったようだ。偶に、トンデモないものにもブチ当たるのである。
【類鐵斧頭】
李師古治山亭,掘得一物,類鐵斧頭。時李章武遊東平,師古示之,武驚曰:“此禁物也,可飲血三鬥。”驗之而信。
わからないものが出ると、なにかとかこつけて、李章武を呼ぶのが「通」なのであろう。
そして、「なんだろうネ、コレ。」と、鑑定を頼む訳だ。
期待とは大違いで、「そりゃ、御禁制品だゾ、危ない危ない。」

成式氏、思わずワッハッハである。

別に趣味でなくとも、偶然、発掘品に出会うことはある。一家皆殺しの粛清は日常的であり、革命と動乱であけくれている国なのだから、突然、兵馬俑がでてきても驚くような話ではないのである。
そんな状況を踏まえると、成式型のクスクス笑いが見えるような記述もある。
流石に、一緒の篇に入れるのは拙かろうと、「巻十三 屍」に、お気に入りの事績を採用している。
江淮元和中有百姓耕地,地陷,乃古墓也。棺中得昆五十腰。
百姓が耕作していたら、地面が突然陥没。そこは古墳だったのである。
鬼神の祟りを恐れながら、意を決しての行動なのかは判然とはしないが、お棺の蓋を外すと、そこから出て来たものはなんと、褌50枚。墓泥棒が入れたのだろうか。

宝石でも期待したのだろうが、そんなものが見つかる訳がない。入れたことが知られれば、とっくの昔に盗掘済み。権謀術数の世界とはそういうもの。

しかし、突然の一族郎党皆殺しもあったから、隠し財産発見の幸運に恵まれることはあるようだ。
【蘇秦金】
魏時,洛陽令史高顯掘得黄金百斤,銘曰“蘇秦金”。
埋蔵金発見である。蘇秦の頃は、突然の一家惨殺が頻繁だったネ〜との成式の感慨か、はたまた、将来は蘇秦金が唐金になるのだゼと言っているのかは、なんとも。

単なる貨幣でも、さらなる価値が見出されれたり。
【官金】
中螻頂金最上,六兩為一,有臥螻蛄穴及水形,當中陷處名曰趾腹。又上凹處有紫色,名紫膽。開元中,有大唐金(一有“印”字),即官金也。
金の場合は、通貨価値だけでなく形状に価値が生まれることがある。貨幣の穴のデザインが多少変わるだけで、名前がついて、プレミアムが生まれるとはコレいかにである。
ヒトの社会はつくづく面白いものだ。「唐」と刻印するだけで、大帝国の公定貨幣とのハクが付くのである。ハクがはがれ落ちると材としての価値しかなくなる訳だ。それが官金の宿命。

ともあれ、寶とは、やはり貴石、真珠、珍しい貝の類だろう。
ただ、派手さで勝負なら海のお宝。
呉辺りも含む地域からの貢物は有名だった模様。
【珊瑚】
漢積翠池中珊瑚,高一丈二尺,一本三柯,上有四百六十二條。是南越王趙佗[B.C,203-B.C.137]所獻,號為烽火樹。夜有光影,常似欲燃。
華南地域の初代王からの献上品であるから、素晴らしいものだったようである。「烽火樹」との命名が素敵である。趙佗は北進に余念がなかった武力信奉の王でもあるし。いくら水で冷やそうが、侵略の意気が落ちることなどありえぬ。

珠の名称がついた献上品も記載されている。
【上清珠】
肅宗為兒時,常為玄宗所器。毎坐於前,熟視其貌,謂武惠妃曰:“此兒甚有異相,他日亦吾家一有福天子。”因命取上清玉珠,以絳紗裹之,系於頸。是開元中賓國[カシミール]所貢,光明潔白,可照一室,視之,則仙人玉女、雲鶴降節之形搖動於其中。及即位,寶庫中往往有神光。異日掌庫者具以事告,帝曰:“豈非上清珠耶?”遂令出之,絳紗猶在,因流泣遍示近臣曰:“此我為兒時,明皇所賜也。”遂令貯之以翠玉函,置之於臥内。四方忽有水旱兵革之災,則虔懇祝之,無不應驗也。
古事記記載の、海神が山幸彦に与えた潮満珠+潮干珠に類似。潮珠だから真珠だと思われるが、上清珠は内陸部の西北インドからの献上品。そうなると、幻のサファイアの可能性があるが、それなら青色についてのコメントがありそうなもの。
帝にとっては、珠そのものより、それを父亭から首飾りとしてつけてもらった思い出の品という点で貴重な品となっているようだ。
だからこそ、幸運を呼び込んでくれると確信できる訳で。

日本の皇室の宝物は、天皇さえも実見できないので、どのような形態なのか知る由もないが、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣である。珠は入っていない。

ついでだから、剣と鏡も見ておこう。

剣だが、ヤマタノオロチ斬劍と類似の品の話が記載されている。[Wiki原文テキストに欠落しているので、「太平廣記」卷第二百二十九 器玩一収載文から]

【斬白蛇劍】
漢帝相傳以秦王(相傳以秦王五字原作□為□奏□。據明抄本改補。)子嬰所奉白玉璽,高祖斬白蛇劍。劍上皆用七採珠(「上皆用七」四字及「珠」字原空缺,據黄本補。)九華玉以為飾,雜廁五色琉璃為劍匣。劍在室中其光(「室中其光」四字原空缺,據黄本補。)景猶照於外,與挺劍不殊(「殊」原作「昧」,據明抄本改。)十二年一加磨龍,刃上常若霜(「上常若霜」四字原空缺,據明抄本補。)雪。開匣板鞘,輒有風氣,光彩射人。
秘宝ではなく、12年毎に磨くことになっている。輝くような美しい剣なのであろう。

一般的には、たとえ武器だろうが、売れる出土品ならあっという間に人手を渡り歩きどこへ行ったかわからなくなるもの。しかし、使えない大きな武器が発掘されれると厄介である。お上に届け出るのが一番だろう。それを怠ると、よからぬ呪いでもかけたとされ血祭りにあげられかねないからだ。
為政者の扱いとしては、普通は、天から降ってきたもので、喜ばしいことと見なすのが一般的だろう。
【毒槊】
南蠻有毒槊,無刃,状如朽鐵,中人無血而死。言從天雨下,入地丈余,祭地方得之。
「槊」とは、長い柄がついた槍の一種だが、もっぱら騎兵用。特別に名前がついているのは、矢鱈に重いから。つまり、馬が突進する慣性力を利用して突き刺すのである。当然ながら、手で持つことなど無理。肩から紐でぶる下げたのであろう。しかも、ご丁寧なことに、それに毒が塗ってあるようだ。
いかに丈夫な盾や鎧でも一発で致命傷という理屈だが実用性は低そうであり、もともと象徴的な武器だった可能性が高い。唐と吐蕃の両者と闘っていた南蛮らしさ紛々の武器と言えよう。

【甲】
遼城[遼寧]東有鎖甲,高麗言前燕時白天而落。
鎖帷子ならなにかに転用して使えそうな気もするが。すぐ錆びてしまうので、発掘されることは稀な筈。弓矢や槍に対する防御性はほとんど期待できないから、中原では注目を浴びない出土品ではなかろうか。

続いて、鏡の方だが、実は、「物異」篇の最初は鏡なのである。多分、最古の鏡の類。
【秦鏡】
溪古岸石窟有方鏡,徑丈余,照人五藏,秦皇世號為照骨寶。在無勞縣[越南]境山。
透視する鏡だそうだが、どのような意味があるのだろうか。しかも、それが何故に越南にあるのだろう。そこが鏡信仰の故郷という意味か。(都では、古い「雅」のしきたりは、新しい「俗」で駆逐され滅びてしまうが、周辺部では大切にされ生き続けるとの古書の指摘通りか。)
一般的に言われている「秦鏡」は蟠文の円形であり、方形は珍しいのでは。正邪を映すための神鏡と言われているらしいが、どうせ想像だろう。

道教は青銅製の鏡を用いると聞いていたが、鉄製鏡もあるという。
【鐵鏡】
荀諷者,善藥性,好讀道書,能言名理,樊晃嘗給其絮帛。有鐵鏡,徑五寸余,鼻大如拳,言於道者處得。亦無他異,但數人同照,各自見其影,不見別人影。
どうも、ご当人だけが見え、他の人には鏡としては使えない代物らしい。いかにも道教的。もっとも、ドラッグにのめり込みすぎて、普通の鏡だと目が4つ映ったりして、えらく使いにくかった可能性もある。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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