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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.19 ■■■

珍品(石)

「物異」篇であるから、さぞかし奇異なモノだらけと思ったが、"貢物とお宝"は極くフツー。現代でも通用するようなお話で終わってしまった。もちろん、それだけで終わる訳がない。

さりとて、妖気ただようお話をそのまま引いてきたもなんの面白味もなくなってしまうので、成式的価値観で見ていこう。
と言っても、ことさら無理矢理に、合理的な解釈をする必要はないが。
だが、一寸考えてみると、たいていは由来が想像できそうな話が多い。というか、成式がそう仕向けている可能性が高い訳である。
折角だから、それにのって解釈してみよう。

まずは、現代ならさしずめ地質論議につながりそうな話題から。

【石墨】
無勞縣[越南]山出石墨,爨之彌年不消。
石炭産出ということか。次々とくべていけば消えることもないし。実際、燃焼時間が矢鱈に長い石炭だったということかも。上質の堅いものだと、酸化反応が急激に進まない訳で。
華南にそんな石炭鉱山があっただろうか。料理に半端でない労力をかける土地柄だから、石炭探しに熱心だった可能性があるが。

【魚石】
衡陽湘郷縣[湖南]有石魚山,山石色K,理若生雌黄。開發一重,輒有魚形,鱗鰭首尾有若畫,長數寸,燒之作魚腥。
こちらは、低質石炭。

【石漆】
高奴縣[陝西]石脂水,水膩浮水上如漆,采以膏車及燃燈,極明。
これは、原油含有岩石ありというだけのこと。粘土的な石である。
どこにでもあるような地質ではないが、極めて珍しいとも言えない。

【燃石】
建城縣[江西]出燃石,色黄理疏。以水灌之則熱,安鼎其上,可以炊也。
燃える石といえば、石炭と短絡しがちだが、これは水をかけると発熱し、燃えるものがあると発火する現象。要するに、生石灰産出地があるゾということ。

続いては、石の加工品。石像、石碑、オブジェ。

【石人】
尋陽山[湖北]上有石人,高丈余。虎至此,輒倒石人前。
誰かが、石像を作ったのだろう。それにしては聞き慣れない山の名前である。
虎は倒れたのではなく、腹を出してひっくりかえっただけの話だろう。猫科動物は気分がのる場所では寛ぐもの。虎君からみれば、お手頃でお好みの石製遊具がある場所にすぎまい。
動物園ではないのだ。虎の行動観察をすぐ近くでできる訳がなく、遠くから見るしか手がなく、石像の側にやってきた虎が突如ひっくり返ったように見えるのである。

【碑龜】
臨邑縣[山東]北有華公墓,碑尋失,唯趺龜存焉。石趙世,此龜夜常負碑入水,至曉方出,其上常有萍藻。有伺之者,果見龜將入水,因叫呼,龜乃走,墜折碑焉。
亀の形に作った台上に、石碑を立てただけのこと。場所が波打ち際だったから、潮の干満で動いているように見えたりするだけ。当然ながら、台の表面にはフジツボや貝がへばりつき、藻や苔で覆われる部分もでてくる。それだけのこと。
台の下の土砂が流され始めれば、いくら重いものであっても波の力で倒されることはあろう。あるいは、ヒトが倒したかも。さすれば碑は壊れる。その責任を負わされたのではたまったものではないから、亀が動いたことになる訳だ。

オブジェといってもヒトの作品ではない。頭のなかでの創作物である。

【釜石】
夷道縣[湖北]有釜P,其石大者如釜,小者如鬥,形色亂真,唯寶中耳。
よくできた石のオブジェありとのお話。
急流の地には、自然に形作られた奇妙な格好石は少なくない。ただ、釜は珍しい。たいていはヒトや動物の姿に似ているということでの命名となる。一種の交通標識でもあるから、どの川にもそんな場所があるもの。
しかし、成式は、なんでその程度のモノを引いてくる気になったのだろうか。
釜で観光地になるとも思えないし。それに、近くには虎瀬があるようだし。上流の山形竦峻、峯秀甚高の風景の方が魅力がありそうだし。[水經注 夷水]
天邪鬼的に、ここは地獄の一銅釜[@長阿含経(原始仏教経典)]かネと言ってるのかも。

【承受石】
築陽縣水中,有孤石挺出,其下澄潭。時有見此石根如竹,色黄。見者多兇,俗號承受石。
透明な清流の中の孤立した石は余り好かれないようである。
「承受」と名付けられているのは、運命として達観して耐え抜いて存在して来たとみなされているからだろう。
そう言うと、一見、堅固というか、頑固な岩に見えるが、その根は実は竹とよく似ているというのが、成式の見立て。

【鏡石】
濟南郡[山東]有方山,相傳有奐生得仙於此。山南有明鏡崖,石方三丈,魑魅行伏,了了然在鏡中。南燕時,鏡上遂使漆焉。俗言山神惡其照物,故漆之。
ここは特殊な地。方山とは、東岳泰山の北西に当たる玉符山を指すからだ。屈指の名刹たる霊巌寺の辺り。
そこの石の崖が「鏡」とされたのである。もちろん仏教ではなく、鏡フェチの道教信仰の対象である。
鏡として使われなくするために表面を漆で塗って覆ってしまうのは当然かも。もちろん、反道教ということではなく、山の神が気に喰わぬという理由がつけられて。

【石鼓】
冀縣[甘粛]有天鼓山,山有石如鼓。河鼓星搖動則石鼓鳴,鳴則秦土有殃。
河鼓星とは天の川辺の太鼓星座の主星。七夕の牽牛織女のコンセプト導入以前の命名だとされている。その天の鼓に対応する地上の鼓に当たる石が甘粛の地にあるという訳である。時に山鳴り現象がみられるのであろうか。
ソリャ、地滑りが至るところで発生しているに違いないのだから、禍殃[わざわい]だらけになろう。
言うまでもないが、インドプレートの歪は甘粛大地震を度々発生することが知られており、大規模な地割れ、陥没、山崩れは古代から発生しているのである。古代の状況はわからぬが、1143年、1306年、1739年、1920/1927年の大地震については記録が残っている。1920年の死者は、寧夏回族を中心に少なくとも20万人と見積もられているそうだ。

ここまでは、成式もカンがきく地域での話。
遠い異国だと、文化が違いすぎて、さしもの読書家もそれほど自信をもって書けない。
しかし、それこそ千夜一夜物語のように、伝えたい本質を創作話に置き換えてあるものを、選りすぐって並べるのも、民俗文化を知る上では有意義である。
掲載されているのは以下のようなもの。

【石柱】
劫化他國[カピタ]有石柱,高七十余尺,無憂王[アショカ]所建。色紺光潤,隨人罪福影其上。
玄奘:「大唐西域記 巻第四」記載の、中印度に位置する、風俗淳和,人多學藝な劫比他国の話。大伽藍にある石柱である。
色紺光潤,質堅密理,上作師子蹲踞向階,雕鏤奇形,周其方面,隨人罪福,影現柱中。

【石靴】 =靴
[コータン]利寺有石靴。
まさか、石製の靴ということではないだろうから、所謂、仏足跡が仏靴跡にかわっていたのだろう。コータンではとても裸足で歩けるような地面ではないということか。
玄奘:「大唐西域記 巻第十二」記載の俗知禮義,人性温恭にして、好學典藝,博達伎能。衆庶富樂な瞿薩旦那國。玄奘は大伽藍を細かく紹介しているが石靴には触れていない。僧金剛三昧から聞いて印象的だったので採択したのだろうか。「水經注 河水巻二」では以下のように寺院名が記されてる。
河水又東與于河合,南源導于南山,俗謂之仇摩置,自置北流,逕于國西,治西城。土多玉石。西去皮山三百八十里,東去陽關五千餘里。釋法顯自烏帝西南行,路中無人民,沙行艱難,所逕之苦,人理莫比。在道一月五日,得達于。其國殷庶,民篤信,多大乘學,威儀齊整,器鉢無聲。城南十五里,有利刹寺,中有石,石上有足跡,彼俗言是辟支佛跡。法顯所不傳,疑非佛跡也。又西北流,注于河。即《經》所謂北注嶺河也。南河又東逕于國北,釋氏《西域記》曰:河水東流三千里,至于,屈東北流者也。

【石阜石】
河目縣[内モンゴル]東有石阜石,破之,有祿馬跡。
「水經注 河水巻三」では、以下の如しで、石を破壊すると鹿馬現るとなっている。 [阜:"おか"]・・・
<至河目縣西,> 河水自臨河縣東逕陽山南,《漢書注》曰:陽山在河北,指此山也。東流逕石跡阜西,是阜破石之文,悉有鹿馬之跡,故納斯稱焉。
巴彦[バヤンノール(豊かな湖)]市 烏拉特[ウラド] 前旗の中心は内蒙古最大の烏梁素海から黄河へ注ぐ辺り。烏拉山鎮はこのすぐ下流。北側は鹿の棲む山である。
湖の東側が河目縣だと思われる。
長安からここらまで来ると、馬が牽く戦車と歩兵からなる国軍の戦いが基本だった中原文化とは縁が切れる。訓練された将兵に、経済生活を送っている民兵からなる巨大騎馬軍がいつでも編成できる体制が確立されている地だからだ。
ただ、そのような観点よりは、ここらは王昭君出塞ルートという意味あいが強かろう。

【石駝溺】
拘夷國[クチャ]北山有石駝溺,水溺下,以金、銀、銅、鐵、瓦、木等器盛之皆漏,掌承之亦透,唯瓢不漏。服之,令人身上臭毛落盡得仙。出《論衡》。
この駱駝の小便話では、成式がわざわざ典拠を示している。そんな場合、単なる抜粋ではないですゾと注意を喚起していると見た方がよい。
石の駱駝とされてはいるが、実は生きた駱駝なんだヨと示唆しているようなもの。信じがたい習慣なので「石」にしてあるだけなんダと指摘している訳だ。つまり、「沙漠の船」たる駱駝の小便について、なにかを聞き及んでいたのである。
金銀容器で小便を受けると漏れるというのは、要するに数分続く放尿なので、通常のやり方では対応できないから、瓢で次々で採取すべしというだけのこと。
だが重要なのは、そんなことではない。この駱駝は、長安でも見ることができた二瘤ではなく、滅多に見ることができなかった一瘤という点。そう言えば、おわかりの方もおられよう。現代の恐ろしき感染症MERSの媒介動物の話である。当たり前だが、飲むと臭毛落つどころの話ではない。仙薬同様に命が失われる可能性が高い。そうそう、彼の地域の人々は、現代でも喜んで駱駝の尿を飲み続けていることが、疾病対策指針公表て世界中に知られることになったのである。

【石人】
子國[山東]海上有石人,長一丈五尺,大十圍。昔秦始皇遣此石人,追勞山不得,遂立於此。
成式先生、兵馬俑の存在を薄々感づいていたのかも。始皇帝が石の彫刻でできたヒトに、蓬莱の勞師を追跡させたという話を耳にし、コレがピッタリと思ったのでは。

【石
私訶條國[シーラン/セイロン]金遼山寺中有石,衆僧飲食將盡,向石作禮,於是飲食悉具。
セイロンとされるが、「大唐西域記」では僧伽羅の羅刹女国との建国伝説が紹介されており、文字がかなり異なるので、この地域を指しているとの確証がある訳ではなさそう。
は、一般には揚子鰐/Chinese alligatorを指すが、ここではスリランカ[斯里蘭]の鰐だから、淡水棲の大型種 沼澤/Mugger crocodile/ヌマワニ]である。ガンジス川の古代信仰のクンビラに当たり仏教でへ宮比羅大将だ。スリランカでも神聖な動物とされている筈。

金遼山寺は不詳だが、セイロン島の最高峰の皮杜魯塔拉格勒山/Mt. Pidurutalagala辺りにあったのだろうか。特段、興味をひくような名前とは思えないのに、あげているところを見ると、この名前は仏教経典で知られる稜伽山を示唆しているのかも。

ただ、そうだとしても、そこに鰐石ありというのは、どういうことかよくわからん。
シンハリ族としては、自らのトーテムを重視するということで神聖な岩は獅子としたいだろうが、仏教徒なら鰐たるべしということか。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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