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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.21 ■■■

珍景(水と塩)

物質だから、珍品といえばそうなのだが、水と塩はモノというより情景として見た方がよさそう。

まず最初は、耳目を集めそうな話からいこうか。駆虫薬になる水。
【田公泉】
華陽[四川]雷平山有田公泉。飲之除腸中三蟲。用以浣衣,勝灰汁。
湧き水に虫下し効果ありとは、にわかに信じがたいが、寄生中にのみ影響を与える有毒成分含有なのだろうか。そんなもんがあるなら、水商売ができた筈だが聞いたことがない。
しかし、衣類洗濯石鹸用の草木灰と同等の効果があるというのはありえる話。アルカリ性鉱泉にすぎないからだ。実際、伊豆下田にはp.H9.5の温泉があり、入浴すると肌が溶け始めた気分を味わえる。この数字だと、十分洗濯可能だろう。
しかし、成式が伝えたいのは、これは四川にある泉の効果に関する伝聞だヨという点。
道教的雰囲気の地としては、まさに本場だからだ。そうなると、これは寄生虫といっても仮想の虫。小生のあて推量で言っているわけではないのは以下の詩でおわかりになれると思うが。
  「華陽頌十五首 第八首」  [陶弘景(道教茅山派開祖:456-526)]
  物軌
  果林鬱餘奈,
  蔬圃蔓遺辛。
  芝可燭夜,
  田泉嘗浣塵。


続いては、リアリズムの世界。
【半湯湖】
句容縣[江蘇]塘有半湯湖,湖水半冷半熱,熱可以,皆有魚。發入輒死。
温泉噴出湖ありということだろう。
カルデラ湖の屈斜路湖には、川から強酸性の温泉水が若干入るが、その程度で魚が死ぬことはない。安全な方に逃げればよいだけなのだから。ところが、湖底から噴出する温泉はそうはいかぬ。湯量が格段に多く、一気に噴出すれば、当然ながら魚は全滅である。少なくともそのような事態は1回発生したことが知られている。
ただ、江蘇地域にそんな場所があるとは思えないが、それは実はどうでもよいこと。
この辺りは、水辺を散策して楽しんで、美味しい食で舌鼓、音楽や詩を愛好する自由な士多きところ。そこに、熱き連中に押し寄せられれば、そんな人々はひとたまりもない訳である。
上記でおわかりだと思うが、モノではなく情景が描かれているのである。
従って、河川がどのように流れているか記述してある「水經注」から引用したお話が多くなる。
「"地名"から読み取れ」とのお達し。

どこから行くか考えたが、甘粛からにした。つまらん説明が必要となるので少々、長くなってしまうので面白味がうすれてしまうが止むを得まい。
【泉】
元街縣[甘粛]有泉,泉眼中水交旋如盤龍。或試撓破之,尋手成龍状。驢馬飲之,皆驚走。
出典:湟水又東逕允街縣故城南,漢宣帝神爵二年置,王莽之脩遠亭也。縣有龍泉,出允街谷,泉眼之中,水文成交龍,或試撓破之,尋平成龍。畜生將飲者,皆畏避而走,謂之龍泉,下入湟水。 [水經注卷二 水]
渦巻くほどの激流あり。入れば飲み込まれてしまう。
遊泳禁止のそんな箇所は日本では珍しくないが、それは河川の傾斜が急で、流量が始終変わるから。大陸の河川のスケールは全く違うから、そんな場所は珍しい。
ただ、甘粛というか、河西走廊だけは別。平穏に見えても、足を突っ込めばすぐに波立ち、激流発生。これに飲み込まれたらたまったものではない。誰でも知っているのだが、わざわざ激流がどんなものか見に行って溺れる人だらけ。

この続き。
【泉】
玉門[甘粛]軍有蘆葭泉,周二丈,深一丈,駝馬千頭飲之不竭。
どう読むかは、読者の好き好きと突き放される一文。
字面に拘れば、絲之路でもある甘肅省河西走廊の敦煌市〜安西縣〜玉門市辺りに水が豊かなオアシスあり、ということ。だが、そこには「軍」の一文字が輝く。
一般的には、この時代の河西走廊ハイライトとしては、沙州敦煌の張議潮[799-872年]が募兵集衆、帰義軍を編成したことがあげられよう。これにより、吐蕃統治を脱し、西域十余州を唐朝下におき、節度使になるのである。
この裏面に宗派戦争があるのは自明。
インド-チベット僧 v.s. 長安僧。後者は土着呪術的道教と習合した宗派であり、前者はこの地域の仏教文化を花開かせた牽引車的役割を担っている僧侶集団。
吐蕃型統治とは、政宗一体の奴隷制護持が第一義的なもの。従って、両者の並立は困難を極めた筈である。しかしながら、吐蕃型だったからこそ敦煌莫高窟の大繁栄が続いたともいえよう。ここは、仏教教理と高僧を輩出する、知の泉だったのである。それは、駱駝(反唐勢力)の水飲み場でもあった。さらに、北方からの馬も。そのなかで、唐朝隷属派がついに主導権を握ったのである。
そして、長安派仏僧集団は長安に入りびたり、歸義軍政権を支えたのである。
河西走廊でのそんな動きが、「會昌滅法」を引き出したと言えなくもないのである。成式先生お見通し。

続いて広東に移ろう。
【材下】
宿縣[広東]山下有神宇,水至此,沸騰鼓怒。槎木泛至此淪沒,竟無出者,世人以為河伯下材。
出典:水又西南,逕中宿縣會一里水,其處隘,名之為觀岐。連山交枕,絶崖壁竦,下有神廟,背阿面流,壇宇虚肅,廟渚石巉巖,亂峙中川,時水至,鼓怒沸騰,流木淪没,必無出者,世人以為河伯下材。[水經注卷三十八 水]
激流の岩場は神域化される。

【鼓杖】
[広東]翁水口下東岸有聖鼓杖,即陽山之鼓杖也。在川側,沖波所激,未嘗移動。衆鳥飛鳴,莫有萃者,船人誤以觸,必患瘧。
出典:水東南,左合翁水。水出東北利山湖,湖水廣圓五里,潔踰凡水,西南流注于,謂之翁水口。口已下東岸有聖鼓杖,即陽山之鼓杖也。[水經注卷三十九 水]
激流旧跡からくる伝説化。

いらぬ解説は冗長になるだけだが、以下の記載にはどうしても少々触れたくなる。余りに高度な問題意識だからだ。
【銅神】
衡陽[湖南]唐安縣東有略塘,塘有銅神。往往銅聲激水,水為變麹銅腥,魚盡死。
ほほう、この時代からすでに、公害問題があったのか。
これは、どう見ても銅鉱山廃液で死の川化した情景としか思えない。
官僚としては、これは銅神の仕業にしておけばよいのである。あとは、鬼神を鎮めるように、専門屋に頼めば一見落着。

この姿勢、現代の官僚とウリ。
成式先生としては、これしかないのだということで、手ほどき。・・・
【木囚】
《論衡》言,李子長為政,欲知囚情。以梧桐為人,象囚之形,鑿地為臼,以蘆葦為郭,藉臥木囚於其中。囚當罪,木囚不動。囚或冤,木囚乃奮起。
例えば、有罪判決を下しても、それは自分の判断ではなく、神が決めたことにしておけば、後で冤罪とわかったところで責任をとる必要はないのである。権力抗争が激しい時には、なんといっても、恨まれない仕掛けを考案することが肝心。

ここで、水は水でも、少々、色を変えて。
【井】
石陽縣[広西]有井,水半青半黄。黄者如灰汁,取作粥飲,悉作金色,氣甚芬馥。
出典:又東北過石陽縣西。 漢和帝永平九年,分廬陵立。漢獻帝初平二年,呉長沙桓王立廬陵郡,治此。豫章水又逕其郡南,城中有井,其水色半青半黄,黄者如灰汁,取作飲粥,悉皆金色,而甚芬香。 [水經注卷三十九 水]
花崗岩が砂礫化している層から出る地下水は鉄分が多く、褐色の水になる事が多い。鉱泉だと茶色にもなる。そこまでいくと、鉄錆臭がする。
鉄分リッチな水のお粥は褐色になると思われるが、色がつくほどであれば渋みを感じると思う。ただ、中国粥は油を入れるので味が落ちると感じることはなく、金色がついたということで嬉しい気分で食べれるので、それはそれ楽しいか。

ということで、食の領域に入ろう。題するなら、シルクロードその2である。
【鹽】
腮(一曰肋)縣[四川]鹽井有鹽方寸,中央隆起如張傘,名曰傘子鹽。
塩はその原料で考えると4種類。海鹽、湖鹽、井鹽、礦鹽である。“茶馬古道”の近辺の、四川、雲南、西藏はこのうちの井鹽。
ミネラルリッチな地層なので、地下から水をくみ上げ、熱で水分を飛ばせば塩がとれることになる。多くの鹽井は廃業したが、今でも観光を兼ねた生産は残っている。(西藏瀾滄江峽谷東岸、四川自貢市海井、西藏昌都、等々)
唐王朝は「権鹽法」で収入確保を図ったが、「多結群党,并持兵杖劫盗及販売私鹽」で実効には至らなかったというような時代で、成式も官僚であるから塩にはひとかたならぬ関心があったのは間違いない。
出典:江水又東逕瞿巫灘,即下瞿灘也,又謂之博望灘。左則湯溪水注之,水源出縣北六百餘裏上庸界,南流暦縣,翼帶鹽井一百所,巴川資以自給。粒大者,方寸,中央隆起,形如張傘,故因名之曰傘子鹽。有不成者,形亦必方,異于常鹽矣。王隱《晉書地道記》曰:入湯口四十三裏,有石,煮以為鹽。石大者如升,小者如拳,煮之,水竭鹽成,蓋蜀火井之倫,水火相得乃佳矣。湯溪下與檀溪水合,水上承巴渠水,南暦檀井溪,謂之檀井水。下入湯水。湯水又南入于江,名曰湯口。[水經注卷三十三 江水]
大きな塩の塊ができるところを見ると、暖かい飽和食塩水の井戸かと思ったが、これは井鹽ではなく、礦鹽なのでは。不純物を取るために温湯に溶かしていそう。
その辺りが気になって、成式先生、備忘録的に付け加えたのではないか。当時の名塩であり、官塩でなく、私塩だった可能性もあろう。
マ、これが組曲「塩」の序曲。

続くは美しきメロディー。
【君王鹽】
白鹽崖[ヒマラヤ]有鹽如水精,名為君王鹽。
こちらは、当時は、極上の名塩だった。
グローバル経済の時代になると、雑貨屋にも並ぶ商品となる。ヒマラヤ岩塩と書いてあることが多い。ピンク色に人気があるようだが、もちろんクリスタルもある。日本では、固形塩を使う習慣が無いから、お飾り的な意味あいでの消費に近いのではないか。おそらく、量的に一番多く使われているのはバスソルト。
一方、この塩は、西域・西蔵・蒙古では、"茶+塩+ミルク"用必需品。長安ではミルクをそのようにして飲むことはなく、この名塩はもっぱら酒のつまみ。塩に枡酒的でわからぬこともないが、食文化の違いはとてつもなく大きい。・・・
  「題東谿公幽居」  [唐 李白]
杜陵賢人清且廉,東溪卜築將淹。宅近青山同謝,門垂碧柳似陶潛。
好鳥迎春歌後院,飛花送酒舞前簷。客到但知留一醉,盤中有水晶鹽。

脳味噌はアルコールで酔いが回り、目はクリスタル感に酔ってしまい、もともとドラッグ服用効果もあって、李白仙界遊泳の境地。
成式は冷静沈着に、この塩は澄んでいるのが特徴と。従って、王宮厨房用にされたと指摘。

ということで、〆にもう一つ。
【陸鹽】
昆吾[河南許昌]陸鹽周十余裏,無水,自生天鹽。月滿則如積雪,味甘。月虧則如薄霜,味苦。月盡則全盡。
河南省許昌市といえば、魏の武帝曹操が遷都した地として知られる。関羽の敵将、とつい書いてしまうのは、関羽が山西省運城市塩湖区解州の出身だから。日本では、ほとんど語られていないようだが、誰が見ても私塩業者。関羽廟は民間信仰のメッカだが、それは義にかたい英雄信仰であると言えばその通りだが、時の政権とは無関係に私ビジネスで大儲けしていたことが大きいのでは。この辺りが、三国志の戦いを支えた財政の大元かも。
要するに、金儲けなら、関羽様を見習えなのである。
ところで、昆吾の塩は、どう考えても陸鹽ではなく、湖塩な気がするが。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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